2000年4月29日土曜日

横浜へ引っ越し

 横浜に引っ越してから1カ月が過ぎた。 かなりおんぼろのアパートを借りたので、朝夕、新聞配達人が階段を駆けあがるたびに、震度5くらいの揺れが起こる。日中は、トタン屋根の上を歩くカラスに悩まされる。ときどき、ズリッという音が聞こえると、思わず仕事の手を休めて、さては転んだな、などと考えてしまう。  

 いろいろ欠点はあるけれど、最近になって二つも嬉しいことを発見した。ひとつには、向かいの家と木立のあいだのわずかな隙間から、富士山が見えること。昨年の夏、富士山に登ったばかりなので、窓から真っ白い山が見えるたびに、あのてっぺんに立ったんだぞ、とひとり優越感に浸っている。  

 もうひとつは、アパートの前にある幅3メートルにも満たない道が、旧東海道であるのを知ったこと。ときどき地図を手にした中高年の集団が、がやがやと歩いていくので、もしやと思って調べてみたら、案の定、ここが旧東海道だった。ほんの数十メートル先には環状2号が走り、ダイエーやら西武が建ち並ぶのに、この道に入るとふと田舎に来たような錯覚にとらわれるのはそのせいだったのか、と妙に納得。  

 さっそく『広重の東海道五拾三次旅景色』という本を買って調べてみると、この近所にいくつも史跡があることがわかった。とりあえず第1回目の探検として、ここ東戸塚から、保土ヶ谷にある程ヶ谷宿本陣軽部家跡まで、娘と自転車で行ってみることにした。途中、東海道の難所といわれた権太坂や、そこで行き倒れた人を葬った投込塚がある。娘はその長い長い坂を、一度も休まずに自転車で登ってしまうのだが、日ごろ運動不足の私は、もう少しで投込塚行きになりそうになった。坂を登りきった境木地蔵のあたりで、昔の旅人はぼた餅を食べたそうなので、私たちもそれに倣うことにした。  

 道沿いに点在する大きな木や、古そうな家を眺めながら、数百年も昔、ここを行き交った人びとに思いを馳せた。イギリスのウォトリング街道には負けるかもしれないが、東海道だって充分にロマンチックだ。これから暇を見つけては、東海道探検をつづけていきたい。