2012年4月30日月曜日

『100のモノが語る世界の歴史 1』

「アブラハムの宗教」という表現を最近よく目にする。アブラハムを始祖とするユダヤ教、キリスト教、イスラーム教という意味だ。クルアーンではユダヤ教徒、キリスト教は「啓典の民」として特別扱いを受けるが、その他の異教徒は強制的に改宗すべき存在とされた。このアブラハムは紀元前二〇〇〇年ごろの人とされており、「創世記」によれば生誕地はカルデアのウルで、彼の家族はここをでてカナン地方に向かった。このカルデアのウルは、世界最古の都市の一つで、現在のイラクにあるウルだと考えられている。  

 そのウルで、紀元前二六〇〇~前二四〇〇年ごろにつくられた「ウルのスタンダード」という作品がある。この半年ほど取り組んでいる大英博物館の本で、その鮮明な写真を見たときの衝撃は忘れられない。よく引き合いにだされるので名前だけは知っていたが、それが何なのか理解していなかった。実際、何に使われたのかはいまも判明していない。小さいブリーフケースほどの木製の箱で、表面にラピスや赤い石、貝殻でモザイクが施されている。戦争と平和を描いた二枚のパネル絵が前後にあって、シュメール人の社会がそこに凝縮されている。ここには世界最古の車輪付きの乗り物が描かれ、上層階級はビールとおぼしきものを飲んで談笑している。彼らの暮らしを支えるのは、羊やヤギ、魚などの貢物を携えてやってくる民だ。なかにはインド原産であるコブウシもいる。インダス文明とメソポタミア文明が交流していた証拠はあるが、牛を運ぶとなれば海路からだろうか?  

 モザイクは一部はがれ、染みにしか見えない人物もかなりいる。「確実にわかることには限界があるのをわれわれは認め、別の種類の知識を見つけようとしなければならない。物は本質的にわれわれと同じ人間がつくりだしたはずだ。だからこそ、彼らがなぜそれをつくり、それがなんのためなのかも解き明かせるはずだと気づくことだ。ときにはそれが、過去だけでなくわれわれの時代においても、世界の大半の人びとが何をしようとしているのかを把握する最良の方法かもしれない」。この本の著者である大英博物館のニール・マクレガー館長の言葉に触発されて、このパネル絵を穴の開くほど眺めるうちに、これをつくったシュメール人の職人が、似たような人物を随所に配置して大勢に見せていることに気づいた。そこでふと、鮮明な部分を寄せ集めて消しゴム判子をつくり、それをポンポンと押せば、不鮮明な部分も私流に補って完璧な絵ができるのではないかと思いついた。  

 何の貢物をもっているのか、最後までわからずに悩まされた一人は、左手を前方に突きだしている。あれこれ考えるうちに、ひらめいた。鷹狩り用のセーカーハヤブサだ! 調べてみると、鷹狩りの最古の記録は紀元前二〇〇〇年ごろのメソポタミアかモンゴル、中国のようだ。私の推理が正しければウルのスタンダードが最古の鷹狩りの証拠となる!  

 老眼鏡をかけて私が彫った消しゴム判子製の「ウルのスタンダード」は、上出来とは程遠いけれど、このたび筑摩選書として刊行された邦訳版『100のモノが語る世界の歴史』のよいブックカバーになった。この本で紹介される100の所蔵品は、純金の宝物から文字どおりガラクタまでさまざまだが、いずれも人間の本質を深く考えさせる物だ。原書は厚さが6cmもある巨大な本だが、日本語版はペーパーバックで三分冊されているので、通勤電車にも、大英博物館への旅にも簡単にもち運べるし、写真の刷りあがりは実は原書より格段によい。これまで歴史は年号を丸暗記する嫌な教科だと思ってきた人も、ぜひ読んでみてほしい。歴史の見方が、ものの考え方が大きく変わるはずだ。

『100のモノが語る世界の歴史1:文明の誕生』ニール・マクレガー著(筑摩選書)

 私が再構築してみたウルのスタンダード
 
 ブックカバーにしてみた