2000年2月29日火曜日

勉強法

 先日、小6の娘がうちで友達と宿題をしながら、こんな会話をしていた。 
「まったく○○ったら、やんなっちゃう。これどうやるのって訊くから、教えてやると、ほんの数分もたたないうちに、もう忘れちゃって、また訊きにくるんだよ!」 
「そうそう、○○は理解しないで、やり方をただ丸暗記しているんだよ」 

 得意げにそう話していたふたりも、「こういう計算は掛けるんだっけ、割るんだっけ?」と私に尋ねる始末。 子供のころは誰でもかなりの記憶力がある。一時、大流行したポケモンの歌「ピカチュウ、カイリュウ、ヤドラン……」は、クラスの大半の子がうたえたらしい。でも、そうやって一気に丸暗記したものは、忘れるのもあっというまだ。 

 そこで、私は娘にジグソーパズル方式の勉強を勧めている。つまり、最初はてんでばらばらなものでも、よく調べるうちに隣り合せのピースが見つかる。それをどんどんつなげていくと、一つの意味のある塊ができる。やがてそういう塊があちこちに島のようにできてくる。そして、あるところまでくると、島同士がつながり、一気に全体像が見えてくる。そうなれば、どうにもお手上げに見えた部分ですら、足りないピースのかたちを想像することで埋まっていく。 

 つまり、一つのことを覚えたら、別の角度からそれを見られるものを探し、そこから派生して次に移り、ときには隙間を埋めるためにまた戻り、というやり方だ。かなり時間はかかるし、分野も偏るので、どこかの教材のうたい文句のように、これですぐに学校の成績がよくなるわけではない。でも、そうやって築きあげた島同士が将来いつかつながったときの気分はたまらない。また、ある段階まで来れば、今度は想像力がはたらいて、類推できるようになるから、全部を覚えなくてもすむ。

 これに勝る勉強方法はない、と信じながら、私はいまも翻訳に取り組んでいる。それなのに、覚えるべき領域があまりにも広すぎるのか、いつまでたっても小さな島が点在するだけで、そこからぱっと視界が開けることがない。ああ、いつか楽々と翻訳できる日が来るのだろうか……。

2000年2月3日木曜日

『アンナと王様』

 このところ、あの抗うつ薬、プロザックが欲しいくらい落ちこんでいたので、とにかく気晴らしをしなくてはと思い、『アンナと王様』の試写会に行ってみた。  

 ユル・ブリンナーの『王様と私』が、いかにも西洋人から見た御伽噺だったのにくらべて、今回のリメーク版は主人公たちの心の動きがよく描かれていたし、マレーシアでオールロケしただけあって、蒸し暑さまでが伝わってきた。香港のスター、チョウ・ユンファが、流暢そうにタイ語をしゃべっていたのにも感激。ジョディ・フォスターは、芯の強そうな未亡人役を好演していたが、あの美少女もこんなに老けたか、と少し複雑な気がする。実は、『タクシードライバー』のころに、彼女に握手してもらったことがあるのだ! 

 今回の映画もタイでは上映禁止だそうだが、あの国の王室の扱いは戦前の日本のような感じなので、まあ仕方ないかな。宗教や王権、アイドルのように、強烈なものにすがっている人間のほうが圧倒的に多い。その力を使ってなんらかの秩序を保とうとするからこそ、誇大宣伝がなされたり、厳しい規制が敷かれている。ある日突然、それがただのつまらないものだとわかれば、アイデンティティを見失う人が続出するのだろう。

 映画を観たあとで、竹書房から出ている『アンナと王様』を読んでみたが、映画のシナリオみたいな本だったので、アンナ・レオノウェーンズ本人が書いたという本をアマゾン・コムで注文することにした。アンナのような強い女性の話を読めば、元気が沸いてくるかもしれない。それにしても、まったく便利な世の中になったものだ。今朝の新聞にアマゾン・コムは95年の創業以来、利益を出したことはない、と載っていたのでちょっと心配している。