かく言う私も、決して虫大好き人間ではない。でも、先月のエッセイにも書いたように、この夏初めてイモムシを飼い、キアゲハの幼虫のあと、ナミアゲハとクロアゲハに挑戦し、さらにルリタテハ、アオスジアゲハ、コスズメ、ヒメアカタテハと手を伸ばし、六匹の蝶を羽化させる貴重な体験をしたおかげで、虫を見る目がすっかり変わった。
たとえば、ルリタテハの幼虫は赤茶色の体にトゲがたくさん生えていて、いかにも毛虫だけれど、よく見ると渋い紬のような地模様をしている。Jの字型にぶらさがっている蛹化寸前の前蛹は、トゲが光って線香花火のようだったし、蛹になると、背中に二ヵ所メタリックに光るところがあってお洒落だ。ヒメアカタテハの蛹にいたっては、全身に燻したような金属光沢があって、イヤリングにしたいくらい。でもちょっと、ナルニア国の“死に水島”に沈んでいたレスチマール卿のようでもある。
蛹は羽化する直前に色が黒ずんで翅の模様が見えてきて、ほっそりとしてくる。太っていたおなかが徐々にへこんできて、妙に色っぽい体つきになるのだ。ちょうど幼な太りしていたのが、年頃になってすっきりと痩せたみたいに。以前どこかで、こんな美術品を見たような記憶がある。エミール・ガレの作品だった気がするのだが、蛹を女性に見立てたものだ。改めてガレの作品を見ると、彼がどれだけ丹念に自然を観察していたかがよくわかる。少年のころ、ガレは蝶の羽化を飽かずに眺めていたにちがいない。それできっと、いつかこの美しさを再現してみたい、と思ったのだ。ガレの作品の怪しげな美しさは、彼が自然の一番美しい瞬間を心にとどめて、その色や形や質感を表わすことにとことんこだわったからなのだ。トンボの翅のあの繊細さとか、蝶の翅のあの青の色を表わしたい、という願望が、次々に新しい技術を思いつかせ、あの不思議な世界を生みだしたのだろう。
時間がたっぷりあって感性の豊かな子供時代に、そういった感動を味わった子と、そうでない子は、成長してからものを見る目が違うはずだ。画面上で戦うしか能のないムシよりも、本物の虫のほうがよっぽど魅力にあふれている。静まり返った家のなかで、“はらぺこあおむし”がミカンやクスの葉をショリショリと食べる音が響けば、無性にうれしくなる。アオスジアゲハの幼虫が糞をしたあと、下半身が透けている様子は、求肥のお菓子みたいだ。
もちろん、生き物だから、ときには不幸もある。先日も、クロアゲハの緑色の蛹がどんどん不気味な茶色になって悪い予感がしていたら、案の定、なかからブランコバエの蛆と思われるものが二匹、ブラーンとでてきた。せっせと与えた金柑の葉に、ハエの卵が産みつけられていて、幼虫のときにそれを食べて寄生されたらしい。これもハエの生きる知恵なのだろうが、大事なクロアゲハを乗っ取られたのはくやしい。まあ、よく見ると、蛆も黒い目のようなものが二つあって、ちょっと小トトロみたいだったけれど……。
まあ、虫は嫌い、なんて決めつけないで、一度、かわいいキャタピーを飼ってみてはいかが? きっといままでにない発見があるはず。