2012年8月30日木曜日

都市景観

 私はふだんめったにテレビを見ないが、ロンドン五輪中は珍しくマラソンの中継に見入ってしまった。選手にとっては走りにくそうだったが、背景に映るロンドンの町並がじつに印象的だったためだ。整然としすぎたバッキンガム宮殿周辺よりも、ギルドホールやイングランド銀行などが狭い通り沿いに並ぶシティ内がおもしろい。テムズ川沿いは近年、新しい建造物が次々に建っているが、歴史的建造物とまだ絶妙なバランスを保っている。あの中継は2000年にわたるロンドンの歴史を、世界中の人びとに巧みに見せていた。  

 イギリスはユーラシア大陸の西のはずれにある島国だが、その東端にある日本とはいろいろな面で似て非なるものだと最近よく思う。ブリテン島にはさまざまな時代に大陸から多様な民族が渡ってきて征服、分裂、併合を繰り返したし、ロンドンはそのなかで自治都市としての地位を保ちつづけた。シティがローマの都市ロンディニウムだったころから、ここはヨーロッパやアフリカの物資が運ばれてくる港町だった。島国なので文化的に孤立しそうなものだが、実際には陸上の交通が困難だった時代には、河川流域や海上からのアクセスが容易な場所のほうが、交易にははるかに有利だったという。大英帝国は「七つの海を制覇した」とよく形容されるが、それには世界の海の海岸線や沿岸の水深、海流や風、魚群や海鳥、植生や資源、住民の文化や気質など、あらゆる事柄を知らなければならない。ジェームズ・クックがアメリカ大陸や太平洋上で新たな「発見」をするたびに、イギリス人は帝国領土の拡大という実利だけでなく、知的好奇心もかきたてられていたのだろう。  

 国民国家が出現し各国がナショナリズムをむきだしにしていた時代、イギリス人も自分たちを諸外国に対抗する一つの国民という強い意識をもっていたに違いない。植民地では現地民を差別し、イギリス文化をひけらかすことで優越感にも浸っていただろう。しかし、そのなかでも異国に深い関心を示し、野蛮に見える異文化にも西洋文明となんら遜色のない真理があることを見出す人びとがいた。東インド会社の文官でヒンドゥー教関係の彫刻を多数収集したチャールズ・スチュアート、ボロブドゥールを再発見しジャワ文化を研究したトマス・ラッフルズ、世界中の知識を集めようと雑多なものを収集しつづけたサー・ハンス・スローンなど、大英博物館の基礎をつくったのは、外の世界に目を向けつづけたこれらの人びとだった。彼らの収集熱は、異民族の珍品を略奪してこれみよがしに展示するためではなく、むしろ世界のあらゆることへの理解を深める一環だったのだ。  

 スローンがアメリカ先住民の工芸品だと思ってヴァージニア州で収集した太鼓は、実際には西アフリカから連行されてきた「奴隷を躍らせる」ために船上で使われたアカンの民の太鼓だった。「彼らを生かしておく唯一確かな方法は、どんなつまらないものでもよいから、楽器を奏でてやることだ」という奴隷船の船長の言葉が残されている。イギリス人は自分たちのこうした暗い過去を、当時の被支配民の視点から客観視することができる。その一方で、奴隷貿易にアフリカの黒人やイスラム教徒も多くかかわっていた事実も、白人対有色人種という単純な構図で考えがちな世界の人びとに示すことも忘れない。その公平でリベラルな姿勢が、いまや旧植民地から多くの移民を受け入れ多民族国家となったこの国を動かす原動力となっている。海に囲まれた立地条件を活かして海洋帝国を築き、求心力を発揮しつづけるイギリスと、海に守られていることに安堵して島嶼化したかのように小さくなり、究極的に現在の自分のことと、身近に迫る脅威にしか関心がない日本。何がこの違いを生んだのか。
 
 5月に旅行した際のテムズ川からの眺め

 ちぐはぐながらも、おもしろい空間

大手町から新宿まで広がるコンクリートジャングル

 ようやく揃った私の特製ブックカバー