2004年1月30日金曜日

亀戸天神の鷽替え

 1月24日、亀戸天神の鷽替えに行ってきた。1年間の凶事を木彫りのウソ鳥に託すと、それが嘘になるというありがたい行事で、大宰府から広まった風習だそうだ。そもそもの始まりは、菅原道真が蜂に襲われたときにウソが助けてくれた故事にちなむらしいが、諸説あってどうもこじつけくさい。受験生の神様となっている菅原道真本人も、遣唐使を廃止したほかは「治績にはとくに目だった点はない」ようで、むしろ死後、そのたたりを恐れて天神様として祀られたというから、どうも嘘っぽい神様だ。  

 まあ事情はともあれ、1年のうち2日しか行われない行事なので、亀戸まで出かけてみた。ここの天神は広重の江戸百景に描かれており、それを見て感銘を受けたモネがジヴェルニーの庭に再現した太鼓橋もあるというので、それも楽しみのひとつだった。ところが、行ってみると、毒々しい赤に塗られたコンクリート製の橋がふたつ並んでいて、おまけに参拝者の高齢化のためか、無粋な金属製の手すりまでついていて興ざめだった。  

 大宰府などの鷽替えでは、「替えましょう、替えましょう」と言いながら、集まった人同士で木彫りのウソを交換しあうそうだが、亀戸天神のは、なんのことはない、列をなして木製のウソを買い求めるだけのことだった。昨年のウソを律儀に持参してくる人も大勢いた。新品同様のウソを手放して、また新たに同じものを買うなんて、ちょっとばからしい気もするが、こうして心のけじめをつけることが肝心なのだろう。「回収されたウソを、また新たに売ったりしてね」と、不謹慎なことを口走ったら、前に並んでいたおばさんがぎょっとした顔で振り向いた。境内のはずれで、「1個300円でいいよ、安いよ」なんて売る業者の姿をつい想像してしまうが、それがありえないところが日本のよさなのだろう。  

 鷽替えの帰り、道に落ちていたオナガガモのものらしい羽を拾った娘は、そのあとその手で菓子パンを食べてしまった。そのせいか、あるいはその翌日に参加した探鳥会のせいか、はたまた単に誰かからウイルスをもらったのか、娘はこのあとインフルエンザにかかり、寝込むはめになった。このところ、鳥インフルエンザのせいで、野鳥の評判はすこぶる悪い。新聞などは、犯人が渡り鳥だと言わんばかりに書き立てたが、はたしてそうだろうか。  

 こんな真冬に日本に渡ってくる鳥はいない。南からの鳥は春から初夏にかけて来るし、北からの鳥は秋に渡ってくる。仮にウイルスが低温のため長期間、糞のなかで生存できたにしても、その割には野鳥の大量死のニュースを日本では聞かない。数年前に中国で鳥インフルエンザが流行したときに、ニワトリにいっせいにワクチンを投与したせいで、かえって表面化せずにウイルスが蔓延したという見方もあるようだ。  

 もちろん、渡り鳥説もヨーロッパやアメリカで実際に例があるように、絶対にありえないわけではない。でも、人間が狭い場所で同種の動物を大量に飼育するからこそ被害が拡大し、何千万羽ものニワトリやアヒルを食べるためではなく、ただ殺さなければならなくなったのだ。効率を考えれば、こっちの農家で10羽、あっちの農家で20羽というわけにはいかないのだろうが、一生狭い檻に閉じ込められて過ごし、ただ生きたまま埋められるニワトリは浮かばれない。これを機に、人間と動物のかかわり方をもう一度見直す方向になればいいのだが。そして、渡り鳥にかけられた疑惑が嘘となることを、祈っている。
 
 イラスト: 東郷なりさ