2017年1月30日月曜日

カタカナ音写

 1月に入ってから何度か、欧州の寒波で移民・難民に多くの死者がでているというニュースを目にした。こういう痛ましいニュースをここ数年、何度も見聞するが、「トルコに近いブルガリア山間部では、欧州を目指したイラク人男性2人とソマリア人女性1人が死亡」などと読んで、この地域の位置関係が頭に描ける人がどれだけいるだろうか。  

 昨秋から、私は無謀にも考古学と言語学を融合させたような大部の専門書に取り組んでいる。扱っている地域は黒海とカスピ海沿岸を中心に、ウラル、アルタイ山脈までという、日本人にはとかく馴染みの薄い一帯だ。全体像を把握しようにも、地図帳のなかでこれらの地域のほとんどは、別々のページの片隅に申し訳程度に載っているに過ぎない。翻訳する以前に、まずはそれらをスキャンして張り合わせ、主要な河川をハイライトし、現在のどの国を流れているのかを知り、という作業が必要となった。その過程でようやく、トルコと東欧、ギリシャ、中東という、石器時代から多くの人びとの行き来があった地域の位置関係がよくわかり、いまも同じような経路で、難民がまたヨーロッパを目指している事実に気づかされたのだ。移住の遠因に気候変動とそれに伴う社会・政治情勢の変化がある点も変わらない。ソマリアの人は、イエメンから延々と逃避行した挙句だったのだろうか。クリミア半島のヤルタもセヴァストポリもはっきりと場所を確認したことはなかったし、毎日食べているカスピ海ヨーグルトの原産地がどこなのかも、ソチが地球の歴史上で大きな意味をもつ地域にあることも、ユーフラテス川がシリアを通り、貴金属を産出するカフカース地方につながることも、恥ずかしながら認識していなかった。  

 およその地理が頭に入っても、この本に登場する無数の地名をカタカナに音写する作業は並大抵ではない。通常はカナ表記がどこかで見つかるし、いまは発音サイトも多数あるのでさほど苦労しないのだが、今回は無名の遺跡が多数含まれるため、著者が書いたラテン文字の綴りをネットで検索しても本人の論文しかヒットしないこともある。そもそも、本来はキリル文字や、ラテン文字にヒゲやら点が付く東欧やトルコの言語だったりするのが、一定の原則にもとづかないまま英語読みになっている。ピンインでない英語読みの中国語から、漢字を推測するようなものと言えば、おわかりいただけるだろうか。自国語にない音を英語流に表現したものから、その日本式の表記を想像するのは至難の業だ。結局、オリジナルの言語の表記を探しだし、ネット上にある親切な発音ガイドを頼りに読むことになるが、問題はキリル文字の固有名詞だ。  

 じつは学生時代に一般教養でロシア語の授業を取ったことがあるのだが、この文字にめげて、数カ月で諦めたという情けない事情がある。今回は必要に迫られ、文字と発音の原則だけは学び直すことにした。そこで、曽祖父が書いた『新式實用露語獨修』という本がデジタル化されていたのを思いだし、ダウンロードしてみたのだが、1912年(明治45年)に刊行されたこのテキストは、「而シテ其ノ發音ハ」といった調子で、これを判読するだけで苦労しそうなので、即却下となった。「彼露國ハ我ト一葦帶水ノ隣邦ニシテ其民諄扑些モ西歐人ノ驕傲ナク且歐洲人中最モ東洋的趣味ニ富ミ」などと書かれた序文だけは、当時の情勢もわかっておもしろかったのだが。  結局、ネット上で見つけたいくつかの親切なサイトを参考に、一日ほど無駄にして自分でアンチョコをつくり、おおよそ読めるようにはなったものの、「後ろに無声子音がくると無声化」などという細かいルールをつい見落としてしまう。しかも、ウクライナ語やブルガリア語などで微妙に発音が異なるので、地図上で国境線を確かめ、どちら読みを優先させるのか悩まされることになる。  

 固有名詞をカタカナに音写するこの作業は、日本の翻訳者にとってはかなりの負担だ。たとえば、一般読者に馴染みのあるコーカサスにすべきか、その他の地名の読みとの統一でカフカースにすべきかで、いちいち迷うはめになる。読みを間違えただけで、ここぞとばかりに揚げ足をとられるから余計に神経を使う。そもそも曖昧母音や種々の摩擦音、有気音・無気音、lとrなどは、カタカナでは表記できない。横書きの論文などは敢えて音写していないものが多く、そうなると確かに読みづらいが、外国語の文献と照らし合わせる場合にはむしろありがたいに違いない。  

 などと、ブツクサ言っているとき、たまたま『日本語を作った男──上田万年とその時代』(山口謡司著、集英社インターナショナル)を読み、明治時代の識者が日本語の表記どころか、英語を日本の公用語にすることや、日本語のローマ字化、漢字撤廃まで検討していたことを知った。キリル文字を捨てた東欧の国々や、漢字を廃止した韓国やベトナム、アラビア語をやめたトルコ、英語を公用語(の一つ)にしたシンガポール、フィリピン、インドなど、考えてみれば世界にはこれを断行した例がいくらでもある。カタカナがおもに外来語を表記するようになったのは戦後のことなのだ。曽祖父の文章は漢字カタカナ交じりだ。言語はさまざまな事情で変わりゆくものであり、そこに背景となる歴史が透けて見える、というわけか。

露語独修 : 新式実用』山口虎雄著、博文館、明治45年