2015年2月28日土曜日

キンセ・シリアク『近世史略』

 近年、版権の切れた古書の多くが大学などの特別プロジェクトのおかげでネット上で手軽に読めるようになった。先日もジョン・R・ブラックの『ヤング・ジャパン』の原書を読んでいたところ、その記述の典拠が「Kinsé Shiriaku」となっていて、思わず首を傾げた。キンセ・シリアク? 近世……尻悪? 調べてみると、アーネスト・サトウが1873年に翻訳したもので、原書は山口謙が1871年に著した『近世史略』であることがわかった。サトウの訳書のほうはいまでも簡単に買え、幕末史の本として海外で知られているようだが、原書の『近世史略』は古典籍総合データベースなどにはあるものの、いまや忘れられたも同然だ。運よく¥3,000の古書を見つけ、思わず衝動買いした。

 届いてみると、その軽さにまず驚いた。裏が透けるほどの和紙に、おそらく木版で印刷され、和綴じになっている。しかも、私が入手したのは明治5年刊で、サトウが底本とした初版かもしれない。ぱらぱらとめくってみて、ふと「亜國使節丿下田ニアルヤ長州吉田松陰其門人渋木某ヲ率ヒ卒然使節ノ舟に就キ倶ニ航セン事ヲ請フ」という下りが目に留まった。『花燃ゆ』で先日、放送していた松陰の密航の箇所だ。

 さらにこうつづく。「其邦禁ヲ犯スヲ以テ吉田渋木及ヒ佐久間象山ヲ獄舎ニ囚フ象山ハ松代ノ人文學該博傍ラ洋書ヲ讀ム松陰初メ兵ヲ象山ニ學フ」。サトウの訳はこうだ。“For this infraction of the laws Yoshida, Shibuki, and Sakuma Shôzan were cast into prison. Sakuma was a Matsushiro (in Shinano) man of vast learning, and also acquainted with European literature. He was Shôin's first instructor in the military art.” 

 明治初期に書かれた日本語よりも、英語のほうがよほどわかり易いのはなんとも情けない。こんな和本を出版してすぐに見つけ、一年後には訳書として刊行してしまったサトウの日本語の能力に感服した。このあとさらに、象山がオランダからの船の購入は、海外の情勢を知り、航海術を学ぶ機会にもなるので、オランダ人任せにせずに、日本人を派遣するようにと主張する言葉に「松陰斯ノ儀ヲ聞キ大ニ感發*スル所アリ窃ニ航海ノ志ヲ起ス」とつづく(私の版は*が叢に似た字になっている)。大河ドラマでは見事に省かれた密航の経緯が、ペリー来航に伴う近世の大事件として、ここにはきちんと書かれていた。これに先立って長崎のロシア船に密航を企てた松陰が、象山に別れの挨拶にきたときのことも、「象山其意ヲ察シ旅費ヲ興ヘ詩ヲ作リ行ヲ送ル」と記される。「環海何茫々、五州自成隣、周流究形勢、一見超百聞」で知られる餞別の詩と金四両のことだ。「松陰ノ捕ハル所持ノ行李ニ象山送別の詩アリ故ニ事象山ニ牽連スルナリ」として、象山が逮捕された理由もある。

 じつはブラックの本で最初に引っかかったのは、Ohara Shigetamiという名前だった。その一文の典拠がキンセ・シリアクだったために、この古書を入手するはめになったのだが、『近世史略』にはこうある。「松陰幕府ノ複タ輔クヘカラサルヲ謂ヒ乃チ廷臣大原重徳ヲ其藩ニ迎ヘ尊攘ノ説ヲ以テ藩論ヲ鼓動セント窃カニ書ヲ重徳ニ呈ス」(“Shôin declared that it [the Bakufu] could not be saved. He secretly wrote to a court noble named Ôhara Shigétami inviting him down to Chôshiu, in order to get up an agitation in the clan for the expulsion of the barbarians, and the restoration of the Mikado.”)。大原重徳(しげとみ)はのちに島津久光に警護させて幕府に文久の改革を迫った勅使で、これは幕府の権威を貶めた前代未聞の出来事だったそうだが、薩長に使い捨てられたのか、この人はあまり知られていない気がする。久光の一行はこの帰りに生麦事件を起こしている。

 松陰の再逮捕の下りではこう記されている。「適々間部下総守元老ノ命ヲ受ケ京師ノ有志ト唱フル者ヲ捕フ松陰即チ下総守ヲ圖ラント死志ヲ募リ京師ニ遣リテ事成ラス」(It happened that Manabé Shimôsa no kami had arrested, by order of the Chief Minister, all the patriots of Kiôto: and Shôin, collecting a number of desperate men, despatched them to the capital to assassinate Shimôsa no kami.)。そして「匿名書ヲ禁中ニ投シ及ヒ梅田源次郎長州ニ遊フ時梅田ト密謀ヲ合スル事」は否定し、「因テ詳ラカニ之ヲ辯解シ却テ呈書及ヒ閣老ヲ圖ル事ヲ陳ス」(He therefore gave complete explanations on these two points, but confessed his letter to Ôhara and his plot to assassinate the Minister.)。「松陰一タヒ航海ノ機ヲ誤ルヨリ為ス所皆蹉跎人其志ヲ哀ムト云」(Every plan conceived by this man since his failure in the attempt to get a passage on board the American squadron had ended in disaster, and his fate excited universal pity.)

 なぜ英語を学ぶのか、といった議論が最近また盛んになっているが、『近世史略』をサトウ訳を頼りに読めば、歴史も古文も英語も一石三鳥で学べる。明治の刊行なので、本書はすでに明治政府の意向が反映されているだろうが、当時の日記、書簡、新聞などを幅広く引用しており、少なくともこの時代の通説は読みとれる。自国の歴史を忘れ、古語は読めなくなり、為政者に都合よく書き換えられても気づかない国民にとって、外国語は必携の鏡かもしれない。