2023年7月14日金曜日

新刊紹介

 昨秋から年始にかけて、私にしてはかなり無理をして翻訳に取り組んだ仕事が、何とか無事に本になった。ノンフィクションの翻訳者として、多様なジャンルの本に挑戦をして自分の幅を広げてきたつもりだったが、実際には長年、仕事を引き受けるうえで一つだけ条件を付けていた。「数学と物理以外」、と。数学は、高校3年の夏にアメリカから帰国して、受験には不要な数3の授業で落ちこぼれて以来、苦手意識をもつようになった。物理にいたっては、そもそも授業の回数も少なく、教科書が説明する概念と、実験の結果があまりにも乖離していて、何をやろうとしているのかも理解できないまま、興味がもてなくなっていた。

 そんな私が、よりによって『私たちの生活をガラッと変えた物理学の10の日』(ブライアン・クレッグ著、作品社)という本を訳したのだ。もっとも、この本は240ページほどとかなり薄く、内容も半分くらいは物理学者の伝記なので、何とかなるに違いないと、いつもながら楽観的に、無謀にも、引き受けたのだった。原書のコンパクトさに大いに励まされながら、頑張った甲斐あって、年始にはほぼ訳し終えていた。  

 ところが、校正作業が始まった4月下旬には母が危篤状態になっており、姉と交代で病室に泊まり込まなければならなくなった。病室にゲラをもち込み、常時聞こえてくる苦しげな呼吸音や機械音、ナースステーションから聞こえてくるアラーム音など、気の滅入る音を必死にシャットアウトしながら、睡眠不足の朦朧とした頭で、ニュートンの運動法則について読んだりするのだから、われながらかなり異様な状況だったと思う。  

 病室には看護師や介護士、掃除係などが入れ替わり立ち替わり入ってくるほか、ときおりレントゲン技師もやってきた。本書でキュリー夫人がX線の医療利用を広めたことを学んだばかりだったので、いまでは病室内まで運び込めるポータブルな機械があることに驚いた。ちらりと見ると島津製作所の機械らしく、しかも丸に十文字のロゴマークであことに気づき、二度びっくりした。撮影時は被爆しないよう病室を出なければならないので、その間はデイルームが仕事場となった。校正作業は遅々としてはかどらなかったが、母を看取って納骨するまでの心身ともにきつかった期間も、校正の短い締め切りに合わせて仕事をつづけたおかげで、自分を見失わずに済んだように思う。 
 
 後日調べてみたら、島津製作所はコロナ禍でさらに小型の移動式レントゲンも開発したようだった。創業者が薩摩の島津家と血縁関係にあるわけではないが、16世紀に島津家から島津姓と家紋の使用を許可されたという。明治8年に仏具職人として木屋町二条にいた同社の初代が、この地の長州藩邸跡につくられた舎密局で学んで創業したらしい。木屋町と言えば、佐久間象山が晩年に住み、暗殺された場所だ。ただし、暗殺事件の背後にいたと言われる長州の品川弥二郎は、禁門の変の直前でその藩邸にはいなかったようだ。天王山で報告を受けて大喜びしたと、本人が後年、「つまらぬことをやったものです」という反省とともに述懐している。 

 物理学はもともと不得意な分野であるうえに、このように集中して仕事に取り組めない事情があったため、再校時には、NTTにお勤めだった電気通信の専門家と、物理を専攻した娘の夫にもゲラに目を通していただいた。画面でゲラを読むのはかなりつらい作業なので、お二方には本当に感謝している。おかげでどうにかスケジュールどおりに刊行できる運びとなった。 

 この仕事を終えたからといって、物理にたいする苦手意識は簡単に克服できそうにないが、少しでも知って理解したことには、自然とアンテナが立つようだ。アップルの拡張現実(AR)のゴーグル型端末や、常温で高速計算が可能な光量子に関するニュースなど、以前ならきっと読み飛ばしていたような記事にも目が行くようになった。せめて、日々の暮らしの基盤となる諸々の技術の根本原理くらいは理解できるよう、今後も関心をもちつづけたい。来月初めには書店に並ぶ予定なので、ぜひ多くの方にお読みいただきたい。  

 もう1冊、こちらはすでに発売されている『信州から考える世界史』(えにし書房)という本もご紹介したい。編者の一人である岩下哲典先生からお誘いを受け、私は見開き1ページの短いコラムを「横浜英人から馬術を学ぶ 上田藩士門倉伝次郎」という題名で書かせていただいた。執筆陣には、私が祖先探しの調査でお世話になった大橋敦夫先生、関良基先生、和根崎剛氏をはじめ、岩下先生はもちろん、先生の研究会に参加されている研究者の方々が名前を連ねている。 

 信州は海のない地域でありながら、古代から不思議と異国情緒を感じさせるものが残る地域だ。私自身は信州で育ったことがないので、部外者としての感想でしかないが、これぞ信州という文化はなく、むしろ山に隔てられて気風から方言、建築まで異なる多様な文化が共存しているように感じる。多分に相互の行き来が容易でなかった地理的な要因によるのだろう。32人の執筆者が古代から現代まで、じつに多様なテーマで書いたものなので、1冊の本としてまとまるのだろうかと少々疑問に思っていたのだが、蓋を開けてみると、多方面から光を当てることで、多様性を保ちつづける信州の本質をうまく炙りだした作品になっていた。一強となる支配的な文化で均質化されずに、相互に違いを認め合いながら共存できる地域、というところか。 

 目下まだ別の仕事の締め切りに追われているため、私もまだパラパラと拾い読みしただけだが、たとえば柳沢遺跡の銅戈の写真には目が釘付けになった。遼寧省から朝鮮半島北部で出土していたものとよく似ており、日本列島でこの手の青銅器が出土する地域は限られているからだ。「諏訪御神渡りと気候変動」と題された論考もあるし、私が取り上げた「横浜英人」が来日直後に遭遇した第二次東禅寺事件と松本藩を取り上げたものもある。母と一緒の祖先探しの旅で訪ねた松代大本営の地下壕など、太平洋戦争絡みのものも多い。自分が書いたコラムの再校ゲラだけは見せていたが、母なら大いに楽しんで全編を読んだだろうと思うと残念だ。 

 余談ながら、遺品からいまは母も眠る門倉家の墓の古い写真が見つかり、20年ほど前この墓を建て替えるまでは、この敷地に私の高祖父母に当たる伝次郎と妻のことの墓標があったことがわかり、戒名がほぼ判明した。親族には歴史に興味のある人が少なく、誰も古い墓標の文字を読もうとしなかったようだ。おこと婆さんとしか伝わっていない高祖母は色白だったと推測され、子孫の一部にも日焼けすると真っ赤になるタイプの色白の人がいる。彼女のルーツをたどることはまず不可能だろうが、いろいろ想像して楽しむことはできる。新盆でもあり、母の誕生日も近いので、そこに眠るご先祖の皆さんに、新たに判明したこの事実は報告しておこう。余談ついでに、「ヒーバーの新盆だから回り燈籠をつくろう」と、私の孫に言ったら、怪訝そうに膝の骨を指して「ニーボーン?」と言うので娘と爆笑してしまった。CDかYouTubeで聴いたDem Bonesの歌と、焼き場で見たひい婆さんの姿が、幼い頭のなかでごちゃ混ぜになったに違いない。

『私たちの生活ガラッと変えた物理学の10の日』(ブライアン・クレッグ著、作品社) 
インパクトのあるこの装丁は、サイニーの本を手掛けてくださった加藤愛子さん。

私の仮オフィスとなった病室の一角

島津製作所のポータブルなレントゲン。このおかげで母の容体を正確に知ることができた

『信州から考える世界史』(岩下哲典/中澤克昭/竹内良男/市川尚智編、えにし書房)