2011年7月31日日曜日

お手玉の効能

 ジャグリングが脳にいいということは、5、6年前から神経科学の実験でたびたび証明されており、いまさら私がここに書くまでもないかもしれない。両手、両腕を正確なタイミングで動かし、速く動くものをつかみ、視界の周辺で動くものを追う必要があるジャグリングは視覚運動技能の典型だ。「両手の動きを協調させるには、左右の脳が対話する必要がある。この対話は基本的に、左右の半球をつなぐ神経細胞の線維路の太い束、つまり脳梁を通じて行なわれている」と、この秋に刊行予定の『なぜ本番でしくじるのか』という本のなかで、著者のバイロックは書いている。「ジャグリングの練習を数ヵ月間つづけると灰白質(ニューロンの細胞体がある部分)が増す。これは一般に、運動を理解することにかかわる脳の部位で、脳細胞間の情報伝達が増すことを意味する」のだそうだ。  

 視線を上げて投げる、取る、という単純な動きだけに精神を集中させる運動には、瞑想のように頭のなかの邪念を追い払ってくれる効果もある。運動不足で脳の言語野ばかりを使いがちな現代人は、柔軟な発想ができない、ストレスがあっていざというときに力が発揮できない、不安や怒りに駆られるとそこから抜けだせないなど、多くの問題をかかえている。そんな現代人が手軽に始められる娯楽として、ジャグリングは注目されているのだ。 記憶には体で覚える「手続き記憶」や、意識的に覚える短期および長期の「顕在記憶」など異なった種類のものがあり、脳のさまざまな部位に少しずつ蓄えられていることがいまでは判明している。老化は20代から始まるし、いつか脳梗塞に見舞われたり、アルツハイマー病を患ったりすることもあるだろう。脳の一部を損傷しても、一度にすべてが失われないためにも、日ごろから普段あまり使わない脳の部分を鍛えておくのは重要だ。  

 ジャグリングというと、何本ものクラブを自在に操る大道芸を思い浮かべるかもしれないが、お手玉でもいい。「なんだ、おばあちゃんの遊びか」と、ばかにしてはいけない。ビーンバッグ(豆袋)は世界各地のジャグラーも使っている。聖徳太子もお手玉で遊んだらしいが、「石なご」と呼ばれたこの遊びはジャグリングではなく、ナックルボーンズという遊びに似ていて、お手玉では「よせ玉」という遊びになっている。布のお手玉が広まって、ジャグリングである「ゆり玉」遊びが流行したのは江戸末期から明治のようだ。子供のころお手玉でよく遊んだという私の母などは、いまでも両手三つゆりが上手にできる。  

 日本のお手玉の会が推奨する40gの小豆入りざぶとん型のお手玉は、当たっても痛くないし、手によく馴染み、手ごろな大きさだ。長方形の布(4.5×9cm)四枚を風車のように並べて縫い合わせる。誰が最初に考えたのか知らないが、わずかな布で簡単にボールをつくれるこのアイデアはすばらしい。私は別の展開図を考え、娘がつくった型で鳥の図案を一枚一枚ステンシルで染め、これと同じ仕様の鳥のお手玉を製作している。滑稽な顔の鳥がポン、ポンと舞い、ときどき空中衝突するさまは何度見ても笑ってしまう。  

 お手玉をやる人はたいがい、右手で投げて左手で取り、それを右に送る方法で三つゆりをする人が多い。でも、これから始めようという人は、ジャグリングの基礎と言われる3つのカスケードを先に習得するほうがよいようだ。これは両手が同じ動きをし、右手で投げたら、その玉を取る前に左手の玉を投げ、その玉を取る前に右手の2個目を投げるという技だ。球戯が得意でない私には、左手で投げることがそもそも難しい。取る前に投げる、などと考えていると、どれを投げるのかわからなくなる。そこで取ることは意識せず、投げることだけに専念した。「な・げ・る」は三音節なので、「ほぃ」「ほぃ」と唱えながら練習する。そのうちに私の脳にもめでたく新たな回路が形成されたようだ。以来、毎日少なくとも5分は練習している。

『なぜ本番でしくじるのか』 シアン・バイロック著
(河出書房新社)