2003年12月29日月曜日

暮れのハイキング

 昔は暮れになると大掃除をして、おせち料理をつくり、食料を山ほど買い込んでお正月を迎えたが、スーパーが年末年始も休まず営業するようになり、普段と変わらない生活ができるようになったせいか、お正月のために取り立てて何もしなくなった。その代わりに、十年ほど前から年末に家族や親戚でハイキングに出かけるようになった。今年は横浜市最高峰という標高わずか159メートルの大丸山近辺を歩いた。  

 暮れにそんな里山をうろついている人などいないだろうと思ったら、暖かい陽気のせいか、意外に多くの人に出会った。カワセミの写真を撮ろうと朝からねばったら、すぐ近くの枝に30分ほどとまってくれ、「至福のひとときでしたよ」と、うれしそうに話してくれたおじさん。「向こうに見えるのがアクアラインで、あれが海ほたる。あそこで光が点滅しているのが換気塔だ」と、得意げに教えてくれたおじさん。野鳥の図鑑を片手にあたりをきょろきょろと見回しているおじさん。なぜか出会ったのは、いかにも定年退職したような一人歩きの中高年男性が圧倒的に多かった。大掃除中の奥さんに、邪魔だと言われてきたのだろうか。  

 今回のハイキングで見られた鳥は、シメ、ジョウビタキ、モズ、アオジ、カワセミくらいで、それにウソとコジュケイの声を聞いただけだったが、それでも「鳥はいると思えば見つかるし、いないと思えば見えない」という姪の言葉どおり、耳をすまし、目を凝らせば何かしら見つかるものだ。 

 小さいころはいつもうちの娘と探検ごっこに興じていたこの姪も、最近ではすっかりいまどきの中学生になり、髪のセットに余念がなく、欲しい服を手に入れるためならどこへでも出かけるようになった。久々の山歩きに戸惑い気味だった姪は、岩の割れ目から水が流れでている場所に出ると、急に子供時代を思いだしたのか、その岩のトンネルのなかへ入ってみたいと言いだした。向こうから光がもれてくるので長いトンネルではないようだが、薄暗いなかを進んだら足をとられそうで、結局はあきらめた。夏になったら懐中電灯とビーチサンダルをもってきてここを探検しようと意気込む姪を見て、子供のころに身につけたことはそう簡単には消えないのだな、と少しうれしくなった。  

 帰りがけに、逆上がりが不得意な小学生のほうの姪のために、小さい公園に立ち寄ることにした。冬休みに入ってから体操教室に通って特訓されたらしいが、まだ完全にはできない。逆上がりなんて私はもう10年近くやっていなかったし、日ごろの運動不足もあっていささか不安だったが、人に教えるためには自分の感覚を取り戻さなければならない。エイヤッとやってみたら、意外にすんなりとまわれ、空中逆上がりも難なくできた。コツは身体を鉄棒に引きつけることだと思いだし、それを姪に叩き込んだら、何度か失敗したのち、めでたく逆上がりができるようになった。  

 久々に自然のなかを歩いた一日は、それぞれに有意義だった。暮れの里山を一人で散策しているおじさんたちは、少年のころを思いだして歩いていたのかもしれない。この絵は、日ごろから自然のなかを歩きまわってばかりいる娘が描いた今日の収穫だ。お正月は娘に付き合って、「初日の出とスズガモを見る会」に参加する。ああ、寒そうだなあ。

イラスト: 東郷なりさ

2003年11月29日土曜日

子供のころの願望

 わが家の窓辺には4つのミニチュア人形が並んでいる。ハートの女王をはじめとする『不思議の国のアリス』の登場人物と、ムーミンのヘムレンさんだ。じつはこれ、いま何かと話題の食玩で、近所の大学生のお姉さんからいただいたものだ。コレクターの彼女は、全種類集まるまで「大人買い」しているので、複数集まってしまった人形を娘に分けてくれたらしい。ヘムレンさんの虫眼鏡には本物のレンズが入っているし、ハートの女王は歯まで一本一本あり、お菓子のおまけとは思えない精巧なものだ。  

 初めに彼女の話を聞いたときは、大学生になってもまだおまけに夢中になるなんて随分変わった人だと思った。ところが、それ以来、新聞などの関連記事を注意して読んでみると、実際にはいちばん夢中になっている年齢層は30代くらいだという。食玩ブームに関する記事にはかならず、子供のころにかなわなかった夢を大人になってかなえているのだ、と分析されている。  

 そう言われてみると、私にも思い当たるものがある。ガチャポンには興味がなかったので、幸いこのブームに乗せられることはないが、子供のころルーマ・ゴッデンの『人形の家』という本を読み、その見返しに描かれていたドールハウスに惚れ込んだのだ。もちろん、そんなものは買ってもらえないどころか、見たこともなかったが、自分に娘ができると、「娘のために」という口実でその絵とそっくりなドールハウスを半年もかけてつくったのだ。娘は喜んで遊んでくれたが、人形の家をもらえなかった私が抱いたような強い思い入れをもつことはついになかった。  

 子供のころ得られなかったものは、不完全燃焼したまま心のなかにいつまでも残る。バレエを習いたかった、キャンプに行きたかったなど、果たせなかった夢は誰でも一つや二つはもっているだろう。人はみな何らかのコンプレックスを抱いて大人になるのだ。すべての面において満足した人間なんているわけがない。そのコンプレックスを一つずつ解消していくことが、じつは大人になることなのかもしれない。  

 それがお菓子のおまけのように、大人になって多少のお金があれば簡単に手に入るものであれば幸せだ。思う存分買いあさったら、いつか心が満たされるだろう。水泳やピアノなら、大人になってから習いに行けばいい。あるいは自分の子供にかわりに習わせる人もいるだろう。容姿は努力とお金しだいでかなり改善できる。貧乏暮らしに苦しんだなら、とにかく金持ちになることを目指せばいい。努力すればそれなりの成果が得られることを学べば、その満足感が自信へとつながる。そうすることによって、望んでいたものが完全に手に入らなくても、コンプレックスからは開放される。  

 ただし、子供のころに欲しかったものが親の愛情であれば、そう簡単には解消されない。親の愛情はすべての基礎であり、親から否定された人は、往々にして自分は価値のない人間なのだと思い込む。それが精神の病や非行の原因となる。いつか努力すれば手に入るものは、無理に子供に与える必要はない。むしろ、少しくらいかなわない夢があるほうが、将来へのエネルギーになる。でも、愛情だけはたっぷり注いでやらなければならない。  

 怒鳴り声が聞こえてきそうなハートの女王を見ながら、ふとそんなことを考えた。

 ハートの女王(写真は2020年11月に追加)

2003年10月30日木曜日

子供時代を忘れた大人

 子供が自分になつかず、父親や祖父母にばかりなつく、と悩む母親の投書をこのところ何度か目にした。逆に、子供とどう接していいのかわからない父親も大勢いるだろう。こういう人たちは、概して自分が子供だったころの記憶が乏しく、いかにも常識的な大人なのではないだろうか。大人の目で、自分より劣った存在として子供を見るから、子供の側もそれを敏感に感じとるのだ。  

 私の姪は、その昔、幼稚園の入園試験で「お名前は?」と聞かれて、「言いたかないもん」と答えた経歴の持ち主だ。名門幼稚園だったら、そのひと言で不合格だっただろう。でも、私にはそう答えた姪の気持ちがよくわかる。「お名前は?」「お年はいくつ?」なんて質問は、子供にしてみればうんざりするほど聞いている。そう話しかけてくる大人には、たいていの子供が顔をこわばらせている。  

 同じように、顔を見れば勉強しろとお説教する父親や、日常の動作ひとつひとつに小言を言う母親とも、子供は話をしたくない。親はつねに正しく、子供のやることはつねに間違っていると言わんばかりだからだ。 学校から帰ってきても何も言わない。食事のときも黙りこんでいる。うちの子はいったい学校でどんな様子なんでしょう? こういった話は、保護者会でもよく耳にする。子供から提供できる話題といえば、友達のことや学校であったことが大半だ。でも、友達のことを話すとやたらに詮索され、「そういう子とつきあうのをやめなさい」とか「○○ちゃんはすごいのに、あなたはどうして……」と言われるのがオチだ。だから自然とそういう話はしなくなる。そうかと言って、ほかに親と話す共通の話題がない。じつはそれがいちばん問題なのだ、と私は思う。 

 親のほうがアイドルやゲームやファッションに夢中な家庭は、それがいいかどうかは別として、親子関係はそれなりに良好であることが多い。むしろ問題は、親が古いまじめな世代で、子供はいわゆる今風の若者の家庭だ。親も子も、おたがい相手が理解できず、相手の好きなことにまるで関心がない。そのうえ、自分の関心事を相手が快く思っていないことがわかっているから、それについて話をする気になれない。やがて、親子の会話は途絶えていく。 

 そう考えると、親として大切なことは、たとえ子供がくだらない怪獣や人形に夢中でも、つまらないテレビばかり見ていても、奇抜なヘアスタイルづくりに時間を浪費していても、まずはそれに関心も示してやることだろう。頭ごなしにけなすのではなく、世の中で経験を積んだ人間の目から見た批評を聞かせてやることが肝心だ。それに関する新聞記事や本をさりげなく示してやるのもいい。親の冷静な意見は、そのときは賛成できなくても、頭の隅にかならず残る。親が自分の好きなことに関心を示し、対等の立場で意見を述べてくれたら、どんな子だってうれしいだろう。それは、ひとりの人間として、自分が認められたことを意味するからだ。 

 誰だって、かつては子供だったのだ。そのころ自分がどう感じていたのか思い出せば、おのずから子供にどう話しかければいいのか、何をすべきかわかるのではないか。大人になっても、子供だったときのことを忘れてはいけない。このことを子供時代に教えてくれたたくさんの児童書に、私は感謝したい。  

2003年9月29日月曜日

トイレで勉強中

 もう9月が終わってしまったとは、まったく信じられない。夏を充分に楽しまないうちにすっかり秋になり、損をしたような気がする。冷夏だったせいもあるけれど、忙しくてどこにも遊びに行かれなかったためでもある。庭にススキの穂が出てきたのを見て、もう秋なんだと驚いている。  

 まあ、「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは」と兼好法師も言っているから、少しくらい季節の移り変わりを見逃すのは構わないか。「垂れこめて春の行方知らぬ」なんて、季節は違うけれどまさにいまの私の状況だ。こう書くと、いかにも古文に慣れ親しんでいるようだが、じつは少し前に娘が期末テスト(二学期制なので)の勉強でトイレに貼っていたのを読んで、まさにそうだと納得したしだいだ。ちなみに、うちでは暗記はトイレでというのが習慣になっており、大きなコルクボードが備えつけられている。友達に勧めると、そんなところに入ってまで勉強したくないと、呆れられるそうだが。  

 しばらく草取りもしなかったら、庭のあちこちに茂みができて、猫の格好の隠れ場所になっていた。そこで先日、重い腰をあげてその部分だけ雑草を抜いた。この春、変わった芽が生えてきて、正体がわかるまで見届けていた丈の高い草は、ようやく黄色い花が咲き、コセンダングサだということがわかった。要はひっつきむしの一種。庭中にあるのは、娘が運んだのか、鳥か猫が運んだのか。早速、一本だけ残してあとは全部抜いた。  

 猫との戦いは相変わらずつづいている。餌台の棒に枯れたバラのトゲつきの枝を縛りつけ、猫の好きな通り道の一つであるブロック塀を支える台の上に、栗のいがをコンクリート用ボンドでつけたら、ほとんどの猫は寄りつかなくなった。それでも一匹だけ、代赭色なので代赭と呼んでいる雌猫が、あっちの隅こっちの隅に身を隠して鳥を狙う。最近では、おたがい慣れっこになり、こちらも目ざとく隠れ場所を見つけては、代赭を驚かせて喜んでいる。  

 昨年、小さな鉢で買った紫式部とピラカンサは、地面に植えたら少しだけ大きくなり、おいしそうな実をつけている。暮れに娘の友達の家からいただいた切花の千両は、そのまま萎れることなく何ヵ月ももち、高校に合格するまでと祈願していたら、入学式になってもまだ元気だった。あるときふと見たら根が生えていたので、庭に植えたところ、次々に新しい芽が出てきた。今年は実こそならないが、そのうちこれもレストランのメニューに加わるだろう。  

 ところで、先ほどの『徒然草』の「花は盛りに」の続きに、こんな下りがある。「よろずのことも、始め終はりこそをかしけれ。男女の情けも、ひとへに会ひ見るをば言ふものかは。会はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明かし、遠き雲居を思ひやり、浅茅が宿に昔をしのぶこそ、色好めとは言はめ」。ふーむ、そんなものかな。四六時中、会いたいとは思わないけれど、いつまた会えるかわからないのは辛い。「色好み」というのは好色という意味ではなく、恋愛の情をよく解することなのだそうだ。  

 何百年も昔に生きていたおじさんの言葉に、慰められたような、励まされたような、そんな妙な気分だ。

2003年8月30日土曜日

編笠・権現

 今年も恒例の山登りに行ってきた。家族での山登りはもう10年以上になる。初めのころは八ヶ岳の山を全部制覇しようと意気込み、重いリュックを背負ってせっせと登ったが、最近は大人も子供もみなお疲れ気味で、とてもそんな気にはなれない。「ハイキング程度でいいよ」「山ではのんびりしたいな」というメンバーの声に応えて、今年は網笠山と権現岳だけの簡単コースになった。  

 山登りをする人はえてしてストイックだ。苦しくても黙々と歩き、喉が乾いても我慢し、無駄なおしゃべりはせず、ひたすら目的地を目指す。朝は3時ごろから起きだし、夜明け前にはテントをたたんで出発する。昼過ぎにはキャンプ地に着き、夜の7時ごろにはもう寝る支度がととのっている。午後になって天気が崩れても、これなら大丈夫だ。夕方遅く、ずぶ濡れになってやってくるばかな連中を見て、彼らはほくそえんでいるのだろう。日暮れあとの山道を歩くのはたしかに心細い。道に迷ったときは、岩を見てもクマではないかと不安になる。大雨で道が川のようになれば、泣きたくなる。  

 でも、あとから思えば、そうしたハプニングもみないい思い出だ。わざわざ危険な目に遭う必要はもちろんないが、山で出会うあらゆることを楽しむ、そんな方法もあるのではないだろうか。わが家の今年の山歩きでは、ずぶ濡れ体験と迷子をだすという珍事があった。それでも、のんびりしたおかげで鳥はまあまあ見ることができ、ルリビタキやメボソムシクイなどの常連のほか、ゴジュウカラ、ウソも見られた。来年の一月は、亀戸天神の鷽替に行ってみよう。悪いことが嘘になるかもしれない。真夜中に起きだして、満天の星空も眺めた。天の川や流星を見たことのない甥や姪は、寒さも忘れて見入っていた。  

 しかし、なんといっても極めつけはオコジョだった。動くものにはすぐ反応する娘が「ネズミがいる!」と見つけ、私は「トカゲじゃない?」などと言い、全員でそちらの方向を見ていたら、なんと奇妙な小動物が出てきた。20センチほどしかない。「もしかしてオコジョ?」と娘が言いだした。オコジョって、こんなに小さいの? だってアーミン・コートってオコジョの毛皮でしょ? 顔を出したところに大勢の人間がいて、当のオコジョはびっくりしたにちがいない。どこかへ行ってしまったかと思ったら、またしばらくしてそばに寄ってきた。こちらがじっとしていると、近づいてくる。そこをすかさずパチリと撮った。ちょっとピンぼけだけれど、尻尾の黒いところまでちゃんと写っていたのはうれしかった。  

 せっかくの機会だからと思い、アーミン・コートについてちょっと調べてみた。昔の王様がはおっている白地に黒い斑点のある毛皮のマントが、アーミン、つまりオコジョだ。昔は白い毛皮はアーミンだけだったのでたいへん珍重されたらしい。いまではホワイトミンクがあるので一般には使われないが、イギリスの戴冠式にはアーミンのガウンを着用するそうだ。毛皮にするのは白い冬毛のもので、私が見たのはもちろん夏毛だ。黒い斑点は、冬でも黒く残る尻尾の先の毛だったのだ。図鑑によると、ホンドオコジョは体長14~20センチ、エゾオコジョは23センチとある。シベリアあたりにいるアーミンは体長が24~29センチ、尻尾が8~12センチとやや大きめだが、それにしても、これで毛皮のマントをつくるには、いったい何匹のオコジョを殺さなければならなかったのか。『ロンドン』に出てくるフロスガー・バーニクルがアーミンの白い毛皮で「縁どられた」マントを着ていたのもこれで納得だ。山に行ってひとつ利口になった気がしてうれしかった(この時点では誤解していたが、英語のlinedは裏打ちなので、やはり多数のアーミンの毛皮をつぎはぎしてそれを裏側とし、表側からは縁取りのように返した部分だけが覗いていたと思われる。2020年に加筆)。

 オコジョ

2003年7月30日水曜日

同調圧力

 先日、中学生になった姪の誕生日のお祝いに呼ばれた。最初に発した言葉の一つが「ホジイ(欲しい)」で、食べることにしか興味がなかった姪も、いつのまにか私の背を追い抜き、このごろでは毎朝、髪の手入れにいそしんでいるらしい。大好きなケーキを前に、すっかり子供のころに帰っている姪のところには、夕食のあいだ立て続けに友達からメールが入った。食後は友達と長電話を始めた。漏れ聞こえてきたことから察するに、意地悪なグループがいて友達関係が複雑になっており、その対応策を練っているらしい。  

 まったく難しい年頃だ。自分の中学生時代を振り返っても、特に部活動を通じての友達関係はかなり厄介だった。練習に出なければ白い目で見られる。鞄から靴下までなんでもそろえたがる。退部した人とは口をきかない、などお決まりのパターンだ。平日および土曜日は毎朝夕トレーニング、日曜日もよく試合があり、おたがいうんざりするほど一緒に時間を過ごした。クラスにはいろいろな人がいたので、さいわい中学時代の思い出はさほど暗くないが、こういう拘束的で濃厚な友人関係はもうこりごりだった。  

 小学校の高学年から中学にかけては、ただでさえ派閥争いやいじめが盛んになる年頃だ。そうしたなかで子供は親から離れて、自分たちの世界をつくりあげ、やがて自己を確立していくのだろう。だが、気になるのは、最近はそれにともなう陰湿さがいっそう増したのではないかということだ。テレビやゲーム浸けで育ってきた子供は、強烈な刺激を受けすぎていて、往々にして自分が何をしたいのかすらよくわかっていない。そういう感化されやすい子供が、携帯のメールで文字どおり四六時中、友達と接していれば、どうなるだろう。誕生日のケーキを前にして楽しんでいる時間にも、友達からの悩み事のメールがどんどん入る。こんなことが毎日つづいたら、思春期の難しい人間関係が、いっそう抜けられない耐え難いものにならないだろうか。  

 子供時代から携帯電話をもちはじめるいまの小中学生の世代は、いまの大学生くらいの若者から見ても違う世代に見えるらしい。ジェネレーションYどころかZくらいか。この子供たちが大人になるころには、世の中はどう変わっているだろうか。確固たる自分のない人間が、つねに似たもの同士で群れ、その時々の流行に合わせて右往左往し、その流れに乗らない人間は排除する。どうもそんな世界になりそうな気がする。イオネスコの『犀』はナチスの恐怖を皮肉った話だが、あの物語のように、いつの間にか犀に変身した人間が巷にあふれ、しまいには自分の身体もめりめりと犀に変身していくという日が、そのうち来るかもしれない。思いきって犀に変身してしまえば、案外、怖くないのか。  

 いや、どんな生物でも、同種のものだけが大量に群生すると、やがては生態系を崩すことになる。いろいろな種類が適度に交ざっていてこそ、バランスがとれるのだ。サラダだって、味も食感も異なる食材を交ぜたほうがおいしいに決まっている。味付けだって、複数の調味料や香辛料を適度に入れるのがコツではないか。食べるのが大好きな姪は、こう説明すれば少しはわかってくれるだろうか。友達との関係は大切だ。でも、友達との距離も大切なのだ。四六時中、拘束し監視し合わなくても、何ヵ月ぶりかに会っても、相手を信用でき、意気投合できる関係こそ望ましい。それは友達にかぎらず、人間関係すべてにおいて言えることだと思う。

2003年6月29日日曜日

外国語の音に慣れる

 先日、久しぶりに映画を観に行った。「タイ王国最大のタブー、解禁」と大げさに宣伝された『ジャンダラ』というタイの映画だ。観客が男性ばかりだったら困るので、友達にお願いして一緒に行ってもらったが、ポルノ的ないやらしさはなく、俳優の肌から吹き出る汗がむし暑さを感じさせ、いかにもタイらしい映画だった。  

 映画の出来映えもさることながら、ちょっとうれしかったのは、映画のなかのセリフが断片的ながら聞き取れたことだ。タイで暮らしたのはわずか1年だったが、そのわりに私の耳はずいぶんタイ語の音に慣れていたらしい。  

 これはひとえにバンコクで通ったタイ語の学校で、うんざりするほど発音の練習をさせられたおかげだ。タイ語には基本的な母音が9つ、子音が21あり、さらに5つの声調がある。母音の微妙な違いはなかなか聞き取れないし、「タ」の音でも、thaとtaの二種類があるというのは日本人には相当やっかいだ。声調を間違えば、犬が馬になったりする。だから、タイ語を学ぶときは、ひたすら発音の練習をするしかない。  

 耳慣れない音でも、何度も聞くと、しだいに脳のなかでその音に反応する回路ができてくる。聞き分けられるようになれば、少なくとも人間の言語であれば真似できるようになる。聞いて、しゃべる。語学において非常に大切なこの2つの学習が、日本の学校の英語教育ではまだ欠けているような気がしてならない。話す訓練は、なぜか決まったセリフを繰り返す練習だけになり、結局、いつまでたっても英語が使えない。  

 挨拶の表現を教える前に、文の構造を教える前に、その言語の音とリズムに徹底的に慣れさせるほうがいいのではないかと、最近考えている。それも、母音、子音をひとつずつ取りあげ、その音を含む単語をいくつも発音させて修得させるのだ。英語のisは、日本語の「イズ」とはまるで異なる音だし、strangeのように子音が3つも重なる場合、「ストレインジ」と発音すればsとtの後ろに余計な母音が入ってしまう。  

 それぞれの音が発音できるようになったら、今度は文章のなかで使ってみる。英語だってリエゾンする。つまり、子音で終わる語のあとに、母音で始まる音がくれば、一緒に発音する。たとえば、All you need is loveは、オーリュニーディズラブと聞こえる。これをオール・ユー・ニードゥ・イズ・ラブと発音すれば、どうやったって、あの歌のリズムには当てはまらない。  

 フレーズなり、文章なりを身体にたたきこんでから文法を理解すれば、すんなりと覚えられる。人間には五感が備わっているのだ。できるかぎり多くの器官を使って学習したほうが、楽に決まっている。遠回りのように感じるかもしれないけれど、まず音を身につけたほうが、実際に使えて理解できる言語習得になるのではないか。 

『カーマスートラ/愛の教書』よりも激しい禁断の愛のかたち、と言われる映画を観なら、こんなことをひそかに考えていた。ちょっと無粋だっただろうか。

2003年5月30日金曜日

餌台その後

 今朝は雨。このところ大して何もしなかったので、姪の運動会に行って、その話でもこのエッセイに書こうかと思っていたのに、この天気では明日の6月1日に延期だ。それでは締切りに間に合わない。はて、何を書こうかと思いあぐねたところに、庭からシーシーシーと鳴き声が。シジュウカラの幼鳥だ! ふと見ると、物干しの上に乗って、どことなくまだ不恰好な体を震わせている。うちの常連たちの2世だ。私のピーナッツを食べて大きくなった子供かと思うと、感慨深い。  

 というわけで、またまた餌台の話題を。5月になり餌となる虫も花も豊富になったので、少しずつ餌やりを減らさなければと思いつつ、私はまだ朝と夕方の2回、餌を出している。シジュウカラは数日前から幼鳥を連れてきているのが声でわかったが、姿を確認できたのは今朝が初めてだ。「ここはピーナッツとヒマワリがあるんだよ。この家のおばさんは、わりといい人だから、心配しなくていいんだ」と、親鳥が教えているのかもしれない。  

 キジバトは、一ヵ月ほど前に一羽がカラスに食べられるという事件があったが、数羽が常連になっている。ときどきオスが狭い餌台の上でプアーッ、プアーッと妙な声を出しながら胸を膨らませ、「さあ、ディナーだ。食べたまえ」とばかりにメスに自慢している。なかにはお人好し(お鳩好しか?)もいて、スズメと並んで餌をついばみ、あげくのはてに追い出されているのもいる。冬みかんがなくなり、砂糖水しか出していないせいか、メジロとヒヨドリはあまり来なくなった。かわりに蝶と蟻が砂糖水に群がり、溺死している。  

 餌台のまわりにも変化がある。餌台の下では、おこぼれのヒマワリがあちこちで芽を出している。狭い庭にすでに2列ほどヒマワリを植えてあるので、夏になったらちょっとしたヒマワリ畑になりそうだ。よく見ると、ヒマワリとは違う丸い双葉もたくさんある。茎が赤いので、もしやと思って調べてみると、案の定、ハト用の餌に含まれていたソバだった。ソバは成長が早いので、もう白い花が咲いている。それだけではない。少し離れたところに、山椒が6つも芽を出していた。常連のなかに「サンショウクイ」がいたらしい。おそらくヒヨドリがどこかの家の山椒の実を食べて、うちで用を足したのだろう。儲けた気分になり、早速、卵豆腐を買ってきて上に載せて味わった。そのほかにも鳥のしわざと思われる正体不明の若葉がそこかしこに芽を出している。  

 色とりどりの花を飾ってガーデニングにいそしんでいる近所の人たちは、うちのアパートの庭を見てさぞかし眉をひそめていることだろう。なにしろ、マーガレットのかわりに、ヒメジオンが伸び放題になっており、少し前までお隣は一面のドクダミだった。(私にも増して不精な隣のお兄さんもさすがにひどいと思ったのか、ある日、庭中のドクダミを刈ってしまった。せっかくドクダミ茶をつくろうと思ったのに。)いま、うちの庭のほうはヤマノイモが猛威を振るっている。ここ1ヵ月ほど、毎日きれいなピンクの花を咲かせる、ヨモギに似た葉っぱの植物も2株ある。何冊か図鑑を調べてみたが、フウロソウ科らしいということまでしかわからなかった。  

 雨が激しくなった。外を見たら、今度はスズメが2羽、物干しで雨宿りしている。たっぷり水を吸った地面からは、きっとまた珍しい新しい芽が生えてくるだろう。いまから楽しみだ。

2003年4月29日火曜日

技術の進歩

 大人になると月日が経つのが早く感じるのは、感動することが少なくなって脳に記憶されなくなるからだと、以前に読んだことがある。毎日、同じことを繰り返している私などは、その最たるものだ。忙しかったせいもあり、季節が変わったことにも気づかず、ある日いつものように上着を着込んで買物に出かけたら、まわりは半袖姿の人ばかりだったなんて失敗すらある。  

 若いころに受けた刺激は、より鮮明に脳に残るのだろう。私の記憶には、学生時代や会社勤めのころに体験したことがいまなおはっきりと残っている。入社したころはまだ紙テープをつくってテレックスを流していたし、ファックスは通信室にあるだけだった。初めて使ったコンピューターは立ち上げるのに大きなフロッピーを何枚も出し入れしなければならなかった。携帯電話は大きなイベントがあるたびにNTTに借りに行ったが、充電器がとてつもなくかさばり、不便な代物だった。インターネットが導入されたときは、画期的なことになると言われながら、どう使えばいいのかわからずもて余していた。  

 それらが徐々に新しい機種に変わり、新しい機能が加わると、便利になったと感激して率先して新しいやり方を覚えた。そして、新しいものについていけない年配の人たちを哀れみの目で見ていた。そのころまではよかった。  

 やがて、新しいものが登場しても新鮮味がなくなり、どうせまたすぐに次のものが出るだろうと考えるようになった。コンピューターをはじめとする機器は、私にとってしょせん道具にすぎず、必要な機能さえ使えれば充分であり、それ以上に時間をかけて奥深く追究したいものでもない。いまある機器でも充分に役に立つし、新しい機能などとくに必要ないし、何よりも新たに操作を学ぶのが面倒なのだ。だが、それが間違いのもとだったらしい。  

 私が関心を失ってからも、技術は日々進歩し、瞬く間に普及していたのだ。先日も、娘が学校の部活で撮ってもらった写真だといってCD-ROMをもちかえってきた。つい数年前までデジカメの画質があれこれ論じられていたのに、もう学校ですら写真をこうして配るのが当たり前の時代になっていたのだ。こんなことを書くと、へえっ、まだデジカメ使っていないの?と言われそうだが、それどころか私は携帯電話ですらもっていない。  

 しかし、どうやらこんなことを言っていては、そのうちに本当に世の中から取り残され、私がかつて哀れみの目で見ていた人たちと同化しそうだ。現状に満足していてはいけない。新しい情報を貪欲に求め、より優れた機能を追求しなければならないのだ! そのためにも、いつまでもダイヤルアップ接続などしていてはいけない。というわけで、私もようやく重い腰を上げてADSLの申し込みをした。  

 それにしても、疲れるなあ。これから大嫌いなマニュアルを読まなければならない。

2003年3月30日日曜日

タイ旅行2003年

 一週間ほどタイに行ってきた。昨年やり残したことの後始末がいちばんの目的だったが、尻切れとんぼになってしまったタイの暮らしにもう一度触れることで、いくらか心の整理が着いた。  

 一年ぶりに見るバンコクはあまり変わっていず、それがなぜかうれしかった。道端に以前と同じ露天商がいて、相変わらず同じものを売っていると、一年間のブランクが消えていくような気がした。よく鳥を見に行っていた空き地もまだ開発されずに残っていて、むしろ成長の早い南国の植物が生茂って自然に戻っているようだった。短い滞在だったが、これまでバンコクで見たことのある鳥にもほぼ全種類「再会」できた。  

 もっとも、実際には感傷旅行というよりはむしろ珍道中だった。旅に出るとよくあることだが、今回も日本では絶対にありえないことに多々遭遇した。バンコク・ノイとバンコク・ヤイという運河を、ルア・ハンヤオという二〇人乗りくらいの船をチャーターしてまわったときのこと。観光コースになっているのか、途中でスネーク・ファームに立ち寄られてしまった。檻に入ったヘビやワニを見てもつまらないので、すぐにまた出発することにしてふと後ろを見ると、中学生とおぼしき女の子が七、八人乗り込んでいる。船をまちがえたかと思い、あわてて降りようとすると、マイペンライ、そのまま乗っていろ、と言われた。どうやら私たちがチャーターした船に勝手に乗り込んでいるらしい。結局、五分ほど行った先の船着場で中学生たちはにこにこしながら降りていった。運河を通る船があれば、子供の通学を助けてやるということらしいが、ひと言断ってから乗ってくれればいいのに、とひそかに思った。まあ、このおおらかなところがタイ人のいい点なんだけれど。  

 チャアムというビーチリゾートに行ったときも珍事があった。海岸で半日のんびりしたあと、バンコクに帰るバスに乗ろうとしたのだが、ガイドブックに書いてあるバス乗り場が見当たらない。出発時刻も近づいていたので焼き鳥屋のおじさんに尋ねると、乗り場まで歩いては行かれないと言う。すると突然、おじさんが送ってやるから後ろに乗れと言いだした。事情がのみこめずぽかんとしていると、そばにあるバイクにさっとまたがり、後ろを指さす。仕方なくリュックをかついだまま、母娘+焼き鳥屋の三人乗りで市内のバス停まで急行することに。ところが、信号待ちしているあいだに、目の前でバスが発車してしまった。私が悲痛な声をあげると、娘が「おじさんがミー・ソーン・トゥアって言ってるよ」と叫び返した。「二台ある」という意味なのだが、「台」にあたる類別詞の「トゥア」は「匹・頭」の意味でもよく使うので、「バスが二匹いる」みたいで大笑い。二匹目は遅れて発車してくれたので、なんとか間に合い、おじさんはちゃっかりモーターサイ代として四バーツを請求してきた。  

 タイから帰国したのはちょうどイラクへの攻撃が始まった日だったが、とくに警備も厳しくなく、拍子抜けした感じだった。それにしても、なぜこんな事態になってしまったのだろう。勝手に攻撃をしかけておきながら、イラクの戦い方が悪いと文句を言うアメリカ政府高官の発言にはあきれる。アメリカが使うミサイルだって、充分に大量破壊兵器ではないか。自分の物差しでしか人を見られない人間が、こういう戦争を始めたにちがいない。ハイテクの武器の力を過信するブッシュやラムズフェルドこそ、砂嵐の吹き荒れる前線に行けばいいのだ。そこで死を恐れないイスラム教徒の抵抗を身をもって感じればいい。

2003年2月27日木曜日

餌台日記

 隣の家の紅梅が満開になった。濃いピンク色の木に渋い緑色のメジロがくると、じつに絵になる。色のない寒い冬ももうおしまいだ。春がすぐそこまできたいま、わが家では一年間つづけてきた鳥のレストランを今後も営業するかどうかで悩んでいる。  

 白鳥などの餌付けが最近よく問題にされているが、うちのように人工的に餌をやることもやはり生態系を崩すらしい。庭に鳥の餌となる木を植えるのは構わないが、いわゆる餌やりは、食べ物の少ない冬季だけにという意見が多いようだ。  

 でも、一年間の開業で常連客もできたいまとなっては、急にやめるのは忍びない。このごろでは、私が庭にでると鳥が集まってくる。キジバトなどは、手を伸ばせばつかめそうなところに止まっている。もちろん、私は素知らぬふりをしているのだが。  

 果物フィーダー用に、冬のあいだずっと「お徳用みかん」を買いつづけたおかげで、最近はメジロとヒヨドリも完全に固定客になった。シジュウカラにはピーナッツと自家製ヒマワリの種とスーパーの棚からもらってくる牛脂をやりつづけた。  

 餌台をつくるそもそものきっかけは、娘が受験で鳥を見にいかれないからだった。その娘も受験勉強から解放され、あちこちに鳥を見にいかれるようになったいま、庭にくる鳥はもっぱら私の楽しみになっている。コンピューターの画面から目を離してふと窓の外を見たとき、そこに鳥がいるとほっとする。  

 いまも、隣の家の瓦屋根に、スズメが一〇羽ほど集まって餌はまだかと待っている。冬のスズメはもこもこと太っていてかわいい。付け根のほうが黒く、先にいくにしたがって白くなっているスズメのおなかの羽は、一見地味な色だが、双眼鏡で見るとカシミアのコートのようだ。スズメはとりわけ警戒心が強いが、最近では私がまだ庭にいるうちから待ちきれずに餌台に群がる。狭い餌台にときには二〇羽近くが押しかけ、あぶれたのがその上でホバリングしている。  

 私が与えるほんのひと握りの餌に、ソースの蓋一杯の砂糖水に、小鳥は飛びついてくる。自分の行為が誰かに(たとえ鳥でも)これだけ喜んでもらえるということが、餌やりをやめたくない一因かもしれない。生態系にとってどうかはわからないが、少なくとも私の精神上は大いに役立っているので、もう少し餌やりはつづけてみたい。  

 世の中はいまひどく物騒になっている。イラクを攻撃しろと血相を変えて叫んでいる人たちは、おそらく道端の鳥などまるで目に入らないだろう。以前、ブッシュ大統領が双眼鏡をのぞいている写真を見たことがある。何かの視察なのだが、双眼鏡にはキャップがついたままだった。一瞬の失態を撮られたのだろうが、盲目的になっているいまのブッシュをよくあらわしている一枚だった。もし、あの双眼鏡でのぞいた先に一羽の鳥がいて、その鳥が一心に餌をついばんだり、さえずったりする姿を見ていたら、少しはブッシュも変わっただろうか。  

 地球上には自分たち以外の人間や動物がいて、それぞれに一所懸命に生きている。その相手とは仲良くなれるかもしれないし、かかわり合いたくないかもしれない。いずれの場合も、おたがいに存在を認め合い、共存する道を探るべきであり、相手を支配したり、自分の都合に合わせて変えてはいけないのだと私は思う。

 イラスト: 東郷なりさ

2003年1月30日木曜日

画一的な美の基準

 何週間か前の新聞に「『美女軍団』青森には来ず」という短い記事が出ていた。昨秋の釜山アジア大会で話題を呼んだ北朝鮮からの300人ほどの女性応援団が、今回のアジア大会には来ないという内容だった。  

 そう言えば、ワールドカップのときも北朝鮮の応援席に美人が勢ぞろいしているシーンがテレビに映った。一般に伝えられる北朝鮮の悲惨な状況とはいかにも不釣合いな華やかな女性たちに、不自然さを感じたのは私だけではなかっただろう。やっぱりあれは国家宣伝用だったのか。あの光景を見て、北朝鮮には美人がいっぱいいるなどと誤解してはいけないのだ。  

 北朝鮮の美女軍団は、韓国内で追っかけも生まれたほどの人気だったそうだから、この罠に引っかかるばかな男たちはいるのだ。彼女たちを見てふと、ハリー・ポッターの4巻に出てくるブルガリア・チームのマスコット、ヴィーラを思いだした。月のように輝く肌と風もないのになびくシルバー・ブロンドの髪でハリーやロンを虜にする100人の女性だ。  

 でも、ヴィーラの本性は魔物だったように、あの美女たちだってよく見れば「まがいもの」かもしれない。そもそも、全員が同じ雰囲気なのが不気味だ。カメラを意識してほほえむせいかもしれないが、髪型といいメイクといい、大量生産されたみたいに似ていた。たとえ美人でも、同じ顔がいくつも並んでいると、何か背筋の寒くなるものがある。昔のスパイ映画のように、ベリベリと皮をむくと違う顔が出てくるのではないか、とつい想像したくなる。  

 もっとも、気味の悪いそっくりさんなら、日本にだってたくさんいる。髪型や服装、小物はもちろんのこと、メイクの仕方からしゃべり方、しゃべる内容まで同じ高校生や大学生の集団をよく見かけるではないか。素顔が見えなくなるほど厚化粧した若い女の子たちは、リカちゃん人形を思わせる。一見したところきれいだけれど、いつも同じ顔で笑っていて、ゴムのにおいのするあの人形が、私はいまひとつ好きになれなかった。どの子の家にもあるリカちゃんより、自分にしかない(と少なくとも本人は思っている)自分のにおいのしみついた汚れたぬいぐるみのほうが、案外、子供は好きなのではないだろうか。  

 それにしても、いまの若い子たちは、なぜあそこまで同じ顔を目指すのだろう。美人は得をするから、少しでもきれいになりたいと思う気持ちはわかる。でも、素顔が見えなくなるほど厚塗りして、髪を染め、美容整形で骨を削って別人になりすましたところで、意味があるのだろうか。彼女たちの頭のなかには、美人の基準が一つしかないのだろうか。いま流行の「美人」が、自分に似合うとはかぎらない。どこにでもいる派手な娘になるより、多少古風でも、田舎風でも、本人の個性がよくあらわれているほうがよほど魅力的に見える。  

 だいたい、似たような人ばかりいたら、仲間内で名前を覚えるのに苦労しないのだろうか。ああいうギャルは、人の顔を見分ける顔細胞がよほど発達しているにちがいない。カラスは人の顔を見分けると言われるけれど、よく似ている女子高校生の顔写真を使って実験してみたらおもしろいだろう。