2010年1月31日日曜日

栄養学のにわか勉強

 長年、勉強してきた専門分野の翻訳だけをやって食べていかれる人、というのがはたして存在するかどうか知らないが、私はその正反対、つまりジェネラリストの最たるものなので、訳す本に合わせて、いつも付け焼刃で勉強するはめになる。知らない単語どころか、辞書を引いても意味のわからない単語が羅列しているときは、途方に暮れた気分になる。昔の蘭学者などは、暗号を解読するような気分で翻訳に取り組んでいたにちがいない。そう考えれば、インターネットもパソコンもある環境で、自分で辞書をつくりながらの翻訳作業など、苦労のうちには入らない。  

 こんな調子で仕事をしているから、校正の段になり、ようやく全体像が見えてきたころになって、次々に間違いが見つかる。何度も見直すだけの時間的な余裕があればいいのだが、いつも締め切りぎりぎりに駆け込んでいる私の場合、そうもいかない。原稿を修正してくださる方には申し訳ないと思いつつ、いまもたくさんの赤字を入れている。  

 たとえばfatという言葉。英語では私たちの身についている中性脂肪もfatだし、栄養成分表の表示もfatだし、その他、動物性の脂に多く含まれて血管を詰まらせる成分も、ショートニングやマーガリンに含まれる有害な副産物も、それぞれsaturated fat、trans fatと書かれている。もちろん、太っているのもfatだ。  

 ところが、日本の食品の成分表には「脂質」と書かれている。これに相当する英語はlipidだ。脂質もlipidも、脂、油、蝋、リン脂質など、水に溶けないもろもろの物質の総称と、似たように定義されている。食品には脂も油も含まれるから、本来はlipidとすべきところを、一般人にわかりやすいように、アメリカではfatが使われている、ということだろうか。日本の栄養学ではそれを「脂質」と呼ぶのであれば、「体内への脂肪吸収を妨げる○○茶」などと宣伝されているものは、本当は「脂質吸収」とすべきなのだろうか? となると、「低脂肪高タンパク」は、「低脂質高タンパク」なのだろうか? うーん、ややこしい。要するに、言葉の定義と、実際の使用例はかならずしも一致しないということらしい。  

 肥満大国のアメリカでは、栄養成分表に厳しい表示義務があるというので、アメリカから送られてきたコーンブレッドの袋を見てみると、確かにカロリーにつづいてSaturated Fat 0.5g、Trans Fat 0gなどと、明記されている。日本語ではこれらの成分は、飽和脂肪酸、トランス脂肪酸と正式名称で呼んでいる(ことに遅まきながら気づいた)が、アメリカでは科学文献以外はもっぱらただのfatだ。まったく紛らわしい。もっとも、オメガ3脂肪酸などは、さすがのアメリカでもomega-3 fatty acidと呼ぶようだ。  

 複雑なのは脂質だけではない。糖質にも、異性化糖からカロリー0の人工甘味料まで実にいろいろあって、コーンスターチからつくるHFCSは砂糖以上に血糖値を上げることなどがわかってくると、いったい自分は何を食べているのか、とつい気になってくる。最近は買い物に行くと、いちいち商品をひっくり返して裏の成分表を読んでいるが、老眼が進んできた私の目では、情けないことに読めないものもある。「40歳くらいから始まる老眼は、中年期に体と脳を襲うホルモンの逆転の前兆」なのだそうだ。いつまでたっても仕事は効率よく進まないけれど、一冊の本を訳しながら、少しずつ学んでいる気はする。

2010年1月3日日曜日

追悼 故鈴木主税先生を偲んで

「clueという単語をすべて『手がかり』と訳しているのは、どうかと思うね。数えただけでも9ヵ所はあった。糸口とか端緒とか言い換えられないのかね?」  1つの英単語にたいし、1つの訳語を機械的に当てはめるな、と鈴木主税先生にはたびたび注意された。「『しゃべりまくる』とか、『ぴんしゃん』なんていう下品な口語は使いたくないね。しゃべるように書けというのは、あれは間違いだ。書く文章は、気取っているくらい硬いほうがいい」とも言われた。  

 訳文が冗長で眠くなる。オノマトペや大げさな表現を多用するな。同じ助詞が連続しないように言い換えろ。漢字が無用に4語も連続すると四字熟語と見誤るから避けろ……等々、先生に指摘されたことは限りない。「きみの言語感覚を疑うね」と頭ごなしに怒られたときは、さすがに腹に据えかねて、「言葉なんて時代とともに変わるものだと思いますが」と、ささやかな反論を試みた。 

 いまから15年ほど前、転職を考えていた私は、会社勤めをしながら翻訳の通信講座を受けていた。資格さえとれたら、フリーで翻訳の仕事が始められると気楽に考えていたところ、1年半近く失業生活を強いられることになった。その後、鈴木先生の講座を受講したことをきっかけに、牧人舎で勉強しながら下訳の仕事をいただくという「徒弟」のような日々を8年ほど送った。  

 途中、バンコクに移住した時期もあったが、鈴木先生はその間も仕事をくださり、おかげで私は海外でもなんとか働きつづけることができた。そのころ訳した1冊、フェイガンの『歴史を変えた気候変動』の書評のコピーを、多忙な先生がわざわざバンコクまで送ってくださったことは、いまでも忘れられない。  

 牧人舎で下訳させてもらった本は、アンモナイトからマイケル・ジョーダンまで、占いから国際政治まで、実に多岐にわたった。下訳料は高いとは言えなかったけれど、なかには出版されず仕舞いの本もあり、それでも仕事が終わるとすぐに振り込んでくださったことが、毎月の家賃を払うのに苦労している私にとっては非常にありがたかった。  

 鈴木先生はどちらか言うと独断的で、懇切丁寧に教えるタイプでもなかったので、私は先生に言われたことすべてを納得して受け入れていたわけではなかった。それでも、フリーで仕事をするようになってからよく、そうか、これが先生の言わんとしていたことだったのか、と思い当たることがあった。たとえば、本を読んでいると、自分の気に入らない表現はやたらに目につく。それが1度でてくるだけなら見逃せるけれど、何度も繰り返されると、うんざりしてくる。同じ訳語を繰り返さなければ、読者をそんなつまらないことで刺激せずにすむ。だからこそ、言い換えは必要だったのだ! もちろん、特定の専門用語であれば、話は別だろうが。 

「15分でも30分でも時間があれば、仕事をする癖をつけなさい」と、先生はおっしゃっていたが、ご本人もいかにも仕事中毒の人だった。長時間、座りつづける翻訳業が身体によいはずがない。晩年はまず目や腰を悪くされ、入退院を繰り返されていた。「倒れるまで仕事をつづける」と、先生は口癖のように言われていたから、のんびり気ままな余生を送られるつもりなど毛頭なかったのかもしれない。延命治療は拒否なさっていたそうで、それもいかにも鈴木先生らしい。遺された膨大な数の訳書は、これからも多くの人に読みつがれるだろう。 

  鈴木先生、たいへんお世話になりました。どうぞこれからは安らかにお眠りください。