2007年4月30日月曜日

国境

 私の住んでいる近くに境木という場所がある。昔の武蔵国と相模国の国境で、その名のとおり、「境木」が立っていた場所らしい。国境といっても、律令制にもとづいて線引きしたに過ぎない「くにざかい」だから、主だった街道に木を植え、木柱や石碑を建てる程度で区別がつけられたのだろう。もちろん、なかには箱根や逢坂の関のように、交通の要所として関所が設けられていた場所もあるけれど、日本全国の国境は、基本的にいまの県境と変わらない、ただの行政上の境目に過ぎなかったようだ。 

 日本のなかでも、弥生時代から古代にかけては、周囲に濠を巡らせた集落が発達したし、江戸の外堀のようにずっと後世に築かれたものもあるが、町全体を囲む城郭など、物理的に外の人を排除する防衛のための構築物はあまり発達しなかったようだ。ということはつまり、日本列島内は、内部の勢力争いはあっても、どこかの地方から急に大量の避難民が押し寄せてきたり、海を越えて言葉の通じない理解不能な集団が武力で迫ってきたりすることのない、おおむね安定した土地だったのだろう。  

 その点、大陸で異民族と接しながら暮らしてきた人の意識は違う。ヨーロッパでも中国でもインドでも、たいていの都市には昔の城壁の跡がある。川や山を越えて、あるいは草原の彼方から異民族の集団が襲ってくるといった恐怖感は、ずっと後世になっても人びとの潜在意識のなかに深く残るのだろう。それでも、豊かで平和な時代がつづくと、商業や人の往来が活発になり、人口も増加する。すると、周囲にめぐらした囲いはなかの人を締めつける邪魔な存在になる。こうしてどんどん城壁は取り壊され、都市は広がっていった。 

 だが、繁栄した場所には、おのずと世界中から人が集まる。あとからやってきた異分子が少数であるうちは、誰もあまり気に留めないが、ある程度まとまった数になると、先住者とのあいだでかならず諍いが生じる。戦争という明白な手段によらなくても、移民や難民、海外での労働といったかたちでじわじわと人口移動は起こる。先ごろも、ミラノで中国からの移民が警官と衝突したニュースが報じられたし、イスラム教徒の多いイギリスやフランスでは、失業問題とあいまって行き場のない若者世代の不満が高まっている。

 不況になり、社会不安が増すと、人は安易に強い指導者を求め、大きな政府や強力な警察力に頼りがちになる。イギリスはジョージ・オーウェルもびっくりの監視社会になり、現在は420万台のカメラによって、国民は外出すると1日平均300回撮影されている計算になるそうだ。これではもう、民主主義ではないとか、自由がないとか言って、他国を非難することもできないだろう。 

 つまるところ、地球全体が疲弊してきて、65億もの人間を養いきれず、小さくなる一方のパイの奪い合いになっているのだ。海という巨大な城壁で守られてきた日本列島も、ジェット機とインターネットの時代には、世界の惨状に目をつぶってぬくぬくと暮らすわけにはいかなくなる。いまこそ社会の、そして人間の本当の力が試されているのだろう。苦しい時代になればいっそう、異民族同士おたがいを理解し信頼し、納得するまで話し合うことが必要だ。城壁を築いて既得の利益を守り、おびえて暮らすよりは、たとえ貧しくても、誰の恨みも買わず、境木を立てる程度の決まりごとで自由に暮らせるほうが、やっぱりいいと思う。

 武相国境之木 
 2年ほど前にできたばかりのモニュメント