2001年2月27日火曜日

娘のバードウォッチング

 私がいま一番よく利用している図書館は、家から旧東海道沿いに自転車で20~30分行ったところにある。途中、川上川や柏尾川、舞岡川といった小さな川と何度かぶつかり、しばらく川沿いに走ることになる。何気なく眺めていると、川にカモがいたり、シラサギがいたりする。  

 ある日、アオサギまで見たので、帰ってから娘に話すと、興味をそそられたらしい。しばらくして、虫と鳥が大好きという親友を連れて、娘は近くの川にバードウォッチングに出かけた。幸い、2年前のクリスマスに〝サンタさん〟から手のひらサイズでも倍率は6倍という双眼鏡と、野鳥のポケット図鑑をもらっていたので、それをもって意気揚揚と出かけていった。  

 暗くなっても帰ってこないので心配していると、5時半すぎに息をはずませて戻ってきた。大収穫だったらしい。「今日はカルガモとオナガガモとコガモを見たよ!」。私はカモとアヒルの区別しかつかないし、そんなにいろいろな鳥が、しかもこんな住宅地にいると知ってびっくりだった。  

 それからというもの、娘は暇さえあれば数人の友達や小学生のいとこと、あちこちの川に観察に出かけている。「今日、ゴイサギを見たよ!」。「ユリカモメとキセキレイがいた!」。「カワウが3羽、電線にとまっていた!」、とそのたびに嬉しそうに帰ってくる。観察日誌のようなものもつけていて、どこそこの川にいたコガモの群がこっちの川に移っているとか、最近、トモエガモを見ていないから、もう渡ってしまったんだろうかとか、いろんなことを言う。  

 どうやら娘は、大好きなアーサー・ランサム全集の「オオバンクラブ」や「白クマ号」に出てくる鳥の観察活動を手本にしているらしい。以前、読んだときにはどうでもよく思われた、鳥のくちばしの色や羽根の模様の描写が、いまでは実感としてよくわかるらしく、また本を引っ張り出しては、夢中になって読んでいる。そして、本に出てくるディックそっくりの口調で、「○○みたいなんだけど、くちばしの色が違うんだよね……」なんて言っている。  

 あんまり鳥に夢中でテスト勉強もろくにしないので、困ったなあと思いつつ、でも、鳥を通じていろいろと学ぶこともあるだろうと思って、大目に見ることにした。それに、子供たちがこんなに生き生きと楽しそうにやっているのだから、それが何よりだ。私も一緒に見に行きたいのだけど、とてもそれだけの時間はとれないので、図書館の往復や、ベランダから隣の家の梅の木に来るメジロを眺めて我慢している。  

 それにしても、都会の片隅に残されたこのわずかな自然は、この先どのくらい残るのだろうか、とふと心配になる。うちのアパートの唯一(?)の取柄だった富士山の眺めも、いま建設中の超高層マンションができあがったら、見えなくなりそうだ。毎朝、雨戸を開けるたびに富士山が見えると、その日一日、いいことがあるような気がしていたのに、まったくひどい話だ。毎日の暮らしのなかの、こうしたちょっとした潤いは、人間が人間らしく生きるために欠かせないものだと思う。子供が自分の足で歩いてまわって楽しめる自然が、いつまでも残るように私は祈っている。