2012年1月31日火曜日

ココア

 昨年から一瞬のアイドリングもできない「一輪車操業」がつづいているが、いまや遅れがちな仕事が団子状に重なり、さらに厳しい綱渡りを強いられている。楽しみと言えば日課の散歩くらいだが、もう一つ、昨秋からはまっているささやかな楽しみがある。ココアだ。  

 ポリフェノールを多く含むということから、ココアは近年やたらと注目された。でも私のきっかけは、アマゾンの低地にあるジャノス・デ・モホスという場所で紀元前一〇〇〇年から住んでいた人びとが、カカオの木を植え、ココア飲料を飲んでいた、という一節をフェイガンの水に関する本で知ったからだった。強い興奮作用のあるこの飲料は、のちに中米のマヤ族やアステカ族にも伝わってショコラトル(苦い水)と呼ばれ、戦士と貴族の飲み物とされた。スペイン人がこれをヨーロッパに広めて、牛乳、砂糖を入れて飲むようになったのは十八世紀以降だった、というようなことを、そのときネットで少々検索して知った。カカオの産地は西アフリカだとつい思ってしまうが、原産地は南米だったのだ。  

 いま訳している大英博物館の本によると、スペイン人がくるまで中米には役畜がいなかったそうだ。ということは、元祖ショコラトルには牛乳を入れようがなかったのだ。そもそも成人した人間が牛乳を飲むためには、腸内でラクターゼがしっかりと分泌しなければならず、分泌が不充分な乳糖不耐症の人は下痢をしてしまうのだという。「われわれの祖先が苦労しながら食べ方を学んだ物がわれわれなのだ」と、その著者が書いている。  

 中米のカリブの島々はサトウキビ産地として有名だ。それなのに、なぜ砂糖を入れなかったのか。実際には、ニューギニア原産と言われるサトウキビが熱帯の各地に広まったのは、ほんの数百年前のことでしかない。したがって、砂糖を入れて甘くすることはできなかったのだ。蜂蜜は使われていたようだが。  

 そんなことをあれこれ考えるうちに、無性にココアが飲みたくなり、バンホーテンの小さい缶を一つ購入した。19世紀初頭にカカオマスから油脂を分離して粉末化し、牛乳に溶けやすくしたココアパウダーの生みの親だ。ふだんはつくり方などまず読まないが、眼鏡をかけて缶に小さく書いてある説明書きを読んでみた。ココアと砂糖を「少量の水か、冷たい牛乳でペースト状によく練る」。これは以前から知っていた。缶にはスプーン1~2杯の砂糖と書いてあるが、砂糖のような単炭水化物はアルツハイマーのもとなので、すりきり1杯にする。2番目の「沸騰直前で火からおろす」というのが、どうやらおいしいココアをつくるコツのようだ。ショコラトルの説明にも、「泡立ち」のことが特筆されていた。仕上げにはシナモンを振ってみた。確か、エセル・ケネディがそんなことを言っていたのを思いだしたのだ。シナモンはもちろん、東南アジアや南アジアが原産だから、これも元祖ショコラトルには入れられるはずがない。  

 この冬、私が病みつきになって飲んでいるココアは、身体の芯まで温めてくれる心地よい飲み物だが、これを味わうたびに複雑な思いがする。やたらに強い円の恩恵か、貧乏人の私でもなんの苦労もなく近所のスーパーですべての材料が買え、毎日でも飲める。その陰には不当な低賃金で働かせられている人や、無駄に使われている資源があるはずだ。昔では考えられなかったこういう贅沢な生活が、あらゆる成人病の原因となっているのはなんとも皮肉なことだ。健康のためにも、食べ物のありがたさを忘れないためにも、一日一杯までと決めている。

2012年1月6日金曜日

フェイスブック

 数年前、友達に誘われてフェイスブックを始めた。最初のうちは海外の友人ばかりだったし、どう利用すればよいのかわからず、「顔なし」のまま持て余していた。そんな折にSNSに関する本を仕事で読み、友達の友達に輪を広げることが人間関係を大きく発展させることに気づかされ、興味をもつようになった。  

 もともとインターネットという公共の場で、自分の考えを述べることには関心があった。十数年間、この「コウモリ通信」を書きつづけているのもその一環だ。ネット上とはいえ、文字で残るので、それを読んだ人から批判される可能性は充分にある。それでも、私が発信したわずかなことが、誰かの心に残り、なんらかの影響力をもつことだってあるだろう。  

 フェイスブックの場合は半公共スペースであり、おたがい少なくともある程度は素性のわかる人同士のやりとりなので、掲示板などで見られる匿名の誹謗・中傷の心配はない。顔をだすことは、集団の一人に紛れるのではなく、個人として活動することなので勇気がいるかもしれない。自分の弱みや内面をいっさいさらけださないタイプには向かない。ストーカーもいるので、神経を尖らせる人がいるのも無理はない。でも、みんなが鎧に身を固めて当たり障りのない話しかしなくなれば、それはもう社会ではない。実際には誰もが同じような悩みをかかえて生きている。要はそれを恥と思って苦にするか、しないかの違いなのだ。  

 震災後はとくに、フェイスブック上でかなり真面目な議論も交わされていた。人はいろいろな意見をもっているものであり、反対意見があってこそ、よりよい方向が見えてくる。これこそまさに弁証法だ。民主主義にとって「脅かされることなく発言し他の意見をきくことのできる機会」が、選挙と同じくらい大切だとアマルティア・センも書いていた。  

 選挙だけの議会制民主主義が機能しなくなって久しいのは誰でもわかっているはずだ。結局、政治家も官僚も地方行政も、これだけ複雑な社会の隅々の問題まで対処はできないのだ。世界の人口がこれだけ増え、どの国も食糧や水、エネルギー資源のようなごく基本的なものですら他国に依存せずには暮らせないいまでは、一国の努力では何事も解決しない。いら立つあまり強いリーダーを求める声もよく聞かれるが、英雄など幻想に過ぎないことは、ローマや漢王朝どころか古代エジプトを見ても歴然としている。金正日の葬儀で、霊柩車の上に彼の特大の写真が載っていたが、あれこそまさに「強いリーダー」の実態だ。国を代表する特大の顔は、裏に回れば薄っぺらなものであり、あの国を動かしているのはいまも昔も、周囲にいる顔の見えない大勢の将軍たちであるに違いない。  

 結局、できることは、一人ひとりが周囲の人を理解して支え合うことくらいしかない。でも、一人が差し伸べられる手は弱いから、手は何本もあったほうがいい。救われたいと思う側は、相手を泥沼に引きずり込まないために、自分でも這い上がろうとしなければならない。  

 なんと言っても、今年はついに2012年なのだ。5年前に『2012地球大異変』という本を訳して以来、私なりに心の準備はしてきたつもりだ。あの風変わりな著者の予測どおり、中東はいま不穏な空気に包まれている。「集団的な心理的虚脱状態を防ぐために、ぼくらにできることはないのだろうか? ことわざにもあるように、備えあれば憂いなしだ。まったくの不意打ちを食らいさえしなければ、間違いなくトラウマは軽減されるだろう」。来年のいまごろも、「コウモリ通信」が書ける世の中であることを心から祈っている。