2019年2月27日水曜日

抱っこ紐

 以前、大英博物館の『100のモノが語る世界の歴史』の仕事をした際に、東アフリカのオルドヴァイ峡谷で見つかった握り斧のつくられた過程と言語の発達を関連づける説があることを知った。道具をつくるのに必要な脳の領域と言語を司る領域が重なることから生まれた説だという。訳した本人が言うのも変かもしれないが、職人などは言葉を介さずとも、師匠のやることを見よう見真似で覚えることも多いはずなので、個人的にはこの説にはあまり納得していなかった。  

 ところが、現在翻訳中のフェミニズムと科学の本によると、人間の言語はむしろ母子間で発達した可能性が高いと近年考えられ始めているようなのだ。正確には、この本は道具づくりではなく、「狩猟者の男たちが人類の意思伝達を発達させ、脳のサイズを変えたという人類学者の考え」に疑義を呈している。石器づくりにせよ、狩猟にせよ、総じて男性の活動と関連づけられるものだ。それにたいし、言語は育児のなかで進化したと言われれば、本能的にも、自分の子育ての経験からも、あれこれ説明されるまでもなく、私にはすんなりと受け入れられる。自分の意思を少しだけうまく伝えられる赤ん坊が長い歳月のあいだに、より言語の発達した人間となって生き残ったという仮説には、考えさせられるものがある。乳幼児の虐待はたいがい、何が不快なのか自分でもわからず、うまく伝えられない赤ん坊がひたすら泣きわめくために、心のゆとりのない育児者側が苛立って引き起こされる。不快な状態が長引いて、子供が我慢の限界に達する前に、その原因が空腹なのか、眠いのか、オムツが汚れているのか、ガスが溜まっているのか、不安なのか、寒かったり暑かったりするのか、といったことを大人がうまく察してやり、それを繰り返し問いかける。こうしたやりとりこそが、言語を発達させたに違いないと、私などは思う。  

 そもそも人類が最初につくった道具は石器ではない。ただ何万年もの時代を経て残ったのがこれらの耐久性のある人工物であったという、これまた見落としがちな点も、このフェミニズムと科学の本は教えてくれる。考古学が残された物や遺構だけを調べても、それは過去の一面を見ているに過ぎず、実物としては残らなかった物の存在は、絵や言語、伝承など間接的な手段から推測するしかない。  人類が石器以前に発明したものの一つは意外なようだが、食べ物を探して歩き回る際に赤ん坊を運ぶためのスリング、つまり抱っこ・おんぶ紐だろうと推測する人類学者がいるという。その形態は場所によってさまざまだっただろう。

 「100のモノ」に関連して2015年に開かれた大英博物館展では、オーストラリアのアボリジニの編み籠が展示品の一つに選ばれていた。籠そのものは19世紀末から20世紀初頭につくられたものだが、似たような円錐形の籠の紐部分を額に掛けて運ぶ女性の姿が2万年前の岩絵に描かれていた。実際には何万年も前の物ではない近代の後継種を展示することに、当時はやや疑問をもったが、籠や筵、縄のようなものは人類が最初につくった物であり、そのことを忘れないためには必要な措置だったと思う。『大草原の小さな家』には、先住民のオセージ族がカンザスから移動させられた際に、馬の脇腹に吊るされた籠に小さな子供が乗っていた光景が描かれていた。アボリジニの祖先が籠に赤ん坊を入れていた可能性もあるだろう。

  抱っこ紐やおんぶ紐が人類最古の道具の一つであったかもしれないと読んで、思わずワクワクしたのは、一週間に何度かはそれを使って、おばあさん仮説を立証すべく、というよりは応援すべく、役立つばあさんを演じているからだ。うちの近所はあまりにも坂道が多く、ベビーカーがまともに使える道は限られている。娘一家のところまで往復しようものなら、よほど遠回りをするか、ベビーカーをジェットコースターか登山鉄道に変身させなければならない。図書館の本を借りに行ったり、銀行や郵便局に寄ったりといった用事のついでに、小一時間ほど散歩と称して孫を連れだすには抱っこ紐に限る。本人は20分もすれば寝てしまうから、これは赤ん坊のためという以上に、その間、娘が家で仕事に専念できるようにするためだ。昔、うちの「お隣のおばちゃん」が洗濯屋や銀行に行くついでによく幼児の娘を連れだしてくれたのは、子守をしてくれていた母がその間に少しでも用事を済ませられるようにという配慮からだったに違いない。こういう子育て支援についても、この本はじつに考えさえられることが多々書かれていたので、いずれまた取り上げたい。  

 ところでこの抱っこ紐、私が子育てをしていたころはカドラーと呼ばれ、胸のところでバッテンにする昔ながらのおんぶ紐に代わる、目新しい育児用品だった。その昔、私自身が赤ん坊だったころも、母は当時流行ったという網タイプの抱っこ紐を使っていたので、抱っこ派は1960年代にはいたことになる。いまもこういうメッシュの抱っこ紐は蒸し暑い日本の夏をやり過ごすのに欠かせない用品として存在するが、その多くはフランスで1970年代に開発され、「トンガ・フィット」の名前でロングセラーになっている商品と思われる。私がカドラーだと思っていた抱っこ紐は、いまはキャリーあるいはベビーキャリアと呼ばれることが多く、それ以上に、日本上陸10周年の「エルゴベビー」が、ゼロックスや宅急便のように、普通名詞化しそうな勢いらしい。娘たちが買ったのもこのエルゴで、最近では父親がこれで赤ん坊を抱いている光景をあちこちで見る。時代は変わった。ハワイ生まれというこの製品はえらく頑丈でごつく、着脱がやや難しいためか、祖父母の世代がこれで子守をしている姿を近所で見かけたことはいまのところない。ねんねこ半纏におんぶ紐の時代には、祖父母が活躍していたはずなのだが。そのせいか、私がエルゴを使っていると、何をかかえているのかと怪訝な顔で通りすがりに覗き込む人がときおりいる。  

 網のトンガや、アフリカ風の布を巻きつけるベビーラップと呼ばれる抱っこ紐はスリングに分類され、エルゴに代表されるようなバックルでカチッと留めるキャリーとは区別されるらしい。最近、新聞で読んだ子連れ出勤の記事では、お母さんたちが二人ともスリングで赤ちゃんを抱っこしながら仕事をしていた。これらは、アンジェリーナ・ジョリーなど欧米のセレブが使って普及したらしい。  こんなことをくだくだと書いたのは、ひとえにスリングという言葉をどう訳すべきか悩んだからだ。子育て世代には「スリングでしょう」と言われそうだが、一般の日本人には人類最古の道具がスリングと言われても、なんのことやらさっぱりになる。結局、前述の「抱っこ・おんぶ紐」という読みづらい言葉に、スリングとルビを振る、冴えない対応しか思いつかなった。カタカナ語の氾濫を食い止めるために、一翻訳者ができることは限られている。

 わが家の抱っこ紐の歴史