2013年8月31日土曜日

『世界一賢い鳥、カラスの科学』

 群集や暴徒を意味する英語にモッブ(mob)という言葉がある。この言葉は動物が捕食者にたいし群がり、騒ぎ立て、ときには集団で攻撃するモビングという行動を表わす場合にも使われる。生物にとって危険な状況を記憶し、次に同様の目に遭ったときにそれを思いだして、闘争か逃走かという恐怖反応を引き起こすことは、生存に必要なごく基本的な機能であり、脳の扁桃体の働きで深く脳裏に刻まれる。だが、カラスのように高度な生物は、自分がじかに体験した危険だけでなく、仲間からも危険な人間について学ぶのだという。  

 今月、河出書房新社から刊行される拙訳書『世界一賢い鳥、カラスの科学』にはこんな一節があった。「彼らはわれわれに威嚇した物知りのカラスを観察し、その仲間に加わっていた。威嚇行為は広まりやすい。そのため、一羽が威嚇すると、聞こえる範囲にいるすべてのカラスが飛んできて、その群れに加わる」。こうした「社会学習」は動物のなかでは特殊であり、認知機能として高度なものだ。自分より強い相手に立ち向かうモビングは、繁殖期にテストステロンで攻撃性が高まっている時期に増えるのだという。  

 インターネットで情報を交わし、全国から集まってくるデモと、カラスのモビングはじつによく似ている。勤めていたころ、組合活動でメーデーのデモに参加させられ、シュプレヒコールを聞きながら延々と歩く行為にうんざりした経験が何度かある。私のデモ嫌いの一部はこの体験からくるのだが、残りは自分の生存を脅かす敵がいるという意識が希薄だからかもしれない。賃上げしてくれない経営者も、原発の再稼動を目論む電力会社も、日本の離れ小島の領有権を主張するアジアの隣人も、私とは意見が異なり、議論すべき相手だとは思っても、敵ではない。しかし、中東のデモや、ヘイトスピーチを連呼する在特会のデモの参加者などは、「話せばわかる」とか「相手を説得する」理性的な段階は超え、「やるか、やられるか」という防衛本能に駆られているように見える。その多くは血気盛んな年代で、自分がじかに痛い目に遭っておらずとも、敵についてインターネットなどを通して学び、不安と憎悪のスイッチが入ってしまったようだ。  

 この本にはカラスの子殺し、仲間殺しに関するこんな気になる言及もあった。「カラスは何にとりつかれて殺害に走るのだろうか? 脳の化学的性質に生じる微妙な変化が、群れの一員にたいする態度のそのような激変の根底にあるのだろうか? われわれは誰でも、環境しだいで、あるいは社会的仲間から受ける合図しだいで、自分の感情が急速に変わることを経験している」。縄張りを守る、伴侶を守る、または捕食者を巣の近くから追い払うため、ストレスホルモンや性ホルモンによって攻撃性が高まったあげくに、それが本来は守るべき別の対象に向けられる可能性が示唆されているのだ。自制心があるはずのエリートや、正義感が強いはずの警察官が、性衝動に駆られて信じがたい行動に走ることから考えても、人間はストレスを受けると、理性が働かなくなり本能に操られるようだ。衣食足りて礼節を知るではないが、道徳教育が役立つのは世の中が平和である限りなのだろう。  

 本書には、ワタリガラスと暮らした経験もある共著者による表情豊かなイラストが多数掲載されている。邦訳版の表紙には、娘のなりさによるリノリウム版画を採用していただいた。イギリスで3年間、絵本の勉強をし、鳥のスケッチ修行を積んできた娘にとって、何よりもありがたい第一歩となった。書店で見かけたら、ぜひお手にとってみてください!

『世界一賢い鳥、カラスの科学』
 ジョン・マーズラフ/トニー・エンジェル著
(河出書房新社)