リーディングを依頼された際に、これは面白いかも!と直感したのだが、じつを言えば、本書のテーマである物理は私の苦手科目の一つだった。長らく、翻訳の仕事を引き受けるときも「数学と物理以外であれば」と、いつも条件をつけていたほどで、それが少しずつ変わったのはフェイガンの『水と人類の1万年史』(河出書房新社、2012)で水車の魅力を知り、ダートルネルの『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』(同、2015)で回転機械の仕組みをいくらか理解したころからだろうか。気象学、気候科学や物理学史の著作に携わった経験も、「物理は苦手」という私の意識を少しずつ変えてくれたかもしれない。幸い、本書の著者は、物理が過度に数学に依存してきた弊害があると考え、数式を避けて読者に直感でわかる物理的な説明を心がけてくれている。
とはいうものの、本書が扱う分野は工学分野にとどまらず、第1部は宇宙物理学、第3部はスポーツ科学という、私の未経験分野も含まれている。内向きの向心力のような目に見えない力や、歳差運動のような方向がどんどん変わる運動を、三次元空間で思い描く能力が私にはいちじるしく欠けており、宇宙空間の事象ともなれば、どっちを向いて、どの方向に回っているのかわからなくなる。
ありがたいことに、今回はChat GPTという強力な味方がいたので、何度も質問を繰り返し、図示してもらい、どうしてもわからない疑問点を一つひとつ解決していった。インターネットすらろくに使えなかった時代から考えれば、翻訳を取り巻く事情も何と変わったことか。AIのデータ処理に大量のエネルギーと水が使われ、それが人類の新たな深刻な脅威となっていることをこれまでいくつもの訳書で学んでいたので、少なからず後ろめたさはあった。それでも、私に可能な限り正確に訳し、本書を世に送りだすことには意義があると、自分を納得させることにした。はたしてうまく訳せたのかどうか自信はないが、通常はお茶を濁した説明で終わっているという猫捻り問題などもしつこく質問したので、AIも呆れたのか、「そこまで理解していれば、大学の物理学科に入学できます」と、最後にはお墨付き(?)を頂戴した。高校時代に本書を読む機会があったならば、私の人生の進路は変わっていたかもしれない。
回転技術・機械を扱った第2部は、多少馴染みがあったせいもあって、楽しく訳すことができた。ガーンディーがインドの独立運動の象徴として使いつづけた紡ぎ車チャルカが、産業革命前の時代の人力で動く装置の頂点だという本書の指摘を読んだあと、その簡易版のようなブック・チャルカを自作してみたほどだ。実際、人間がつくった機械の多くは繊維製品をつくるためのものであり、なかでも綿や絨毛のような短い繊維を撚り合わせて糸をつくる製糸技術に、人の知恵が凝縮されていることを本書でたびたび実感した。
綿花から種を取り除くために日本で古くから使われている綿繰り機は、本書で言及されている12世紀インドの発明品と同種のものであることを発見して驚いた。しかも、ペリー艦隊の再来航時、横浜に下見のための上陸した際に、通訳として同行したサミュエル・ウィリアムズがそれに注目していたのである。1854年1月21日(嘉永7年1月21日)、午後の3時15分になって突如、香山栄左衛門が応接場として横浜はどうかと言いだしたときのことだ。「木枠に二個のローラーを組み合わせ、それぞれの先端に短いスクリューを取り付けて、これを相接して回転させることにより、種子から綿をはじき出す機械を見つけた」と、『ペリー日本遠征随行記』には書かれていた(洞富雄訳)。二つのワームギアを組み合わせると、どういう動きになるのか実際に試してみたいのだが、これはまだ実行できていない。 綿の繊維を揃える作業では、日本では綿打ち弓が使われていたが、欧米の羊毛産業ではカーダーが長らく使われ、やがてこの作業も回転装置で機械化された。私は100均でペット用の毛梳き器を買って試してみたが、糸がスムーズに紡げるほどには上達していない。
本書を訳しながら、レゴで多数の作品をつくってみたことは、すでに「コウモリ通信」でも何度か書いた(たとえばこの回 やこちらの回)。ごく最近になって、レゴのボッチは定間隔なので、織機もつくれそうだと試してみたものの、綜絖(そうこう、ヘドル)にする手頃なパーツが思い当たらず、取り敢えず片道だけは綜絖を滑車で上下し、シャトルを許せる速度で動かせるものが出来上がった。せっかくタイルをはめて杼摺(ひずり)にしたのに、「飛び杼」ならぬ「這い杼」くらいの速度ではあるが、子どもが織物の原理を知るにはよさそうなものだ。
最も単純な作品は、世界初の機械だというはね釣瓶、シャドゥーフだ。このごくシンプルな装置でも、ピボットにどのパーツを使えばよいのか意外に悩まされた。しかも天秤となる短いほうの軸の先端に、汲み上げる水と同程度の錘をつけることが肝心であることは、つくってみてから理解した。
いちばん試行錯誤したのは、水車場と通常、私は訳している水力利用の工場、millだろうか。上斜式にすれば少量の水を流すだけで水車を回せるのではないかと思ったのだが、水の重力エネルギーが無駄な抵抗を受けずに推進力に使われるような仕組みをレゴで再現するのは、私には難しかった。かなり高い位置からそれなりの水量を流せば回るには回るのだが、水がもったいなので、諦めて手回しすることに。それでも、大きさの異なる歯車を組み合わせて回転速度を変え、ベベルギアやワームギアで回転方向を変え、カムやクランクで往復運動に変換させることなどは挑戦でき、若干のパーツをつけて石臼や蜂蜜用の遠心分離機、製材所、縮絨器(というより餅つき器)のようなものもつくった。
「指南」という言葉の語源が、古代中国の指南車にあったことを本書で知り、差動歯車の仕組を理解しようとネット検索中にレゴで指南車をつくった人を見つけ、それを参考にして、上に仙人のようなミニフィグを乗せて、同じ方向を指しつづける装置をつくったこともある。
人間の動きは歩く、走るを含め、多くが回転運動であるという本書の指摘から、坂道を自重でカタカタ歩く玩具なるものも挑戦してみたのだが、適度な重さが必要らしくレゴではうまく再現できず、ハンドルを回して歩くオウサマペンギンのようなものに改造した。ところが、足が回るだけで「歩いているようには見えない」と孫に一蹴され、上体を揺らす工夫をしてみたが、このプロジェクトはそこで頓挫している。
ブーメラン、スリング、コース・フィッシング用の投げ棒、ブンブン独楽など、本書で言及されている道具も、その関連で思いついたヌンチャクや竹トンボとともに、紙工作などでお試し品をつくってみた。私もブルース・リーの真似をして遊んだ一人だったが、小学生のころにこうした遊びをもっと実体験していたら、違う世界が広がっていたのだろう。学生時代に一年ほどお遊びで通ったテニススクールで教わったことは、投げる、打つなど、私のあまり得意でないスポーツを訳すうえで、それなりに役立った。スポーツの専門家は、本書をどう読むだろうか。
だいぶ背伸びをして引き受けた仕事ではあったが、高校時代よりよほど勉強して取り組んだおかげで、多少は視野も広がった気がする。本書を手に取ってくださる方々が、私と同じくらい、いや、それ以上に、本書を活用してくださることを願ってやまない。
『回転の科学:宇宙・気象・エンジン・人体』ローランド・エノス著、河出書房新社、2026年 ペーパーバックのコンパクトな本です!
自作のブック・チャルカ 実用性があるとは言えませんが……









