2011年5月31日火曜日

散歩のすすめ

 飽きっぽい私にしては珍しく、昨年末からほぼ毎日、散歩をつづけている。とは言っても、運動不足やストレスの解消という当初の目的からは大幅にずれて、何かおもしろいものを発見すると、翌日にはそれを調べにさらに足を伸ばすという具合なので、最近は行きたい場所が広がりすぎて、自転車を使うことが増えている。仕事の合間の1時間の息抜きだったはずが、ママチャリで何時間もアップダウンを繰り返しながら走ると、さすがにくたびれて仕事にならず、本末転倒になりつつある。  

 ふだんは用事をすますためになるべく平坦な最短距離を通るので、何度も近くを通っていても何も見ていないことが多い。電車に乗り遅れないように急いでいれば、なおさらだ。一本違う路地を行くだけで、ほんの少し寄り道をするだけで、思いがけない発見があるものだ。たとえば、私の住んでいる地区から駅に徒歩で向かう人は、たいてい福寿観音という小さいお堂の脇を通る。1982年に建てられたこの観音にある石碑を読むと、「昭和38年嘗て内務省官吏の経験を持つ弁護士で新一開発株式会社社長の福原政二郎氏が土地区画整理事業に依る開発を計画、同時に新駅設置運動を再燃せしめ」、その新駅の誕生を祝って建てられたことがわかる。しかも、駅前広場用地を無償提供し、駅舎総工費30億円のうち25億円を福原氏個人が負担したという!「近代的な駅と是を中心に東西を結ぶ自由通路を基盤とした都市構造は、巧にその地形を生かした全国でも稀に見る弐十壱世紀を魁する街造り……」、いや、たしかに。  

 以前、『巨大建築という欲望』を訳していたころ、浅い谷間にまたがる人工的な地上階に巨大高層建築物を建てたニューヨーク州オールバニーの開発の光景を見て、私の住む東戸塚の駅前開発地とどことなく似ていると思ったことがある。ネルソン・ロックフェラーが新しい行政中心地をつくろうと1958年に立てたこの計画には、18年の歳月と10億ドルが費やされ、完成したころにはロックフェラーの政治生命はとうに終わっていたという。東戸塚の開発は規模こそ小さいものの、駅周辺の開発工事が終了したのは昨年のことだから、じつに当初の構想から半世紀近い歳月がたっていたことになる。起伏の多いこの土地の35メートルほどと思われる高低差を、東西に一直線に伸びる自由通路と長いエスカレーターで結び、その間に高層マンションと商業コンプレックスが並ぶ様子は、見慣れた光景とはいえ、改めて眺めると圧倒される。駅の反対側からでも、旧東海道沿いに残る高い杉の木の下に福寿観音が小さく見える。福原氏はこの景観をどんな思いで眺めたのだろうか。  

 最近になって、駅の反対側にも同じ福原氏が建てた新戸塚観音堂があることを知り、散歩の折に探してみた。駅をはさんで東西両側に観音堂を建てようと考えるような人なら、当然、一直線の軸上に建てただろうと予想したのだが、どうもそれらしい建物が見当たらない。付近をぐるぐる回ったあげくに、横浜新道の脇に相輪が見えてきた。驚くほど立派な建物で、なかも豪華絢爛だ。ただし、東西の軸からは多少ずれており、駅の西口からは100均や量販店が入る建物などが邪魔をして見えず、裏口をでてよほど見回さないと気づかない。あえて目立たない場所を選んだのか、壮大な計画のなかの誤算だったのか。これまで何一つ知らずに日々、彼が引いた軸上を往復していた私には、もちろん知る由もない。

 東戸塚東口

 福寿観音からの光景

 新戸塚観音堂

 西方には横浜新道が見える