2003年3月30日日曜日

タイ旅行2003年

 一週間ほどタイに行ってきた。昨年やり残したことの後始末がいちばんの目的だったが、尻切れとんぼになってしまったタイの暮らしにもう一度触れることで、いくらか心の整理が着いた。  

 一年ぶりに見るバンコクはあまり変わっていず、それがなぜかうれしかった。道端に以前と同じ露天商がいて、相変わらず同じものを売っていると、一年間のブランクが消えていくような気がした。よく鳥を見に行っていた空き地もまだ開発されずに残っていて、むしろ成長の早い南国の植物が生茂って自然に戻っているようだった。短い滞在だったが、これまでバンコクで見たことのある鳥にもほぼ全種類「再会」できた。  

 もっとも、実際には感傷旅行というよりはむしろ珍道中だった。旅に出るとよくあることだが、今回も日本では絶対にありえないことに多々遭遇した。バンコク・ノイとバンコク・ヤイという運河を、ルア・ハンヤオという二〇人乗りくらいの船をチャーターしてまわったときのこと。観光コースになっているのか、途中でスネーク・ファームに立ち寄られてしまった。檻に入ったヘビやワニを見てもつまらないので、すぐにまた出発することにしてふと後ろを見ると、中学生とおぼしき女の子が七、八人乗り込んでいる。船をまちがえたかと思い、あわてて降りようとすると、マイペンライ、そのまま乗っていろ、と言われた。どうやら私たちがチャーターした船に勝手に乗り込んでいるらしい。結局、五分ほど行った先の船着場で中学生たちはにこにこしながら降りていった。運河を通る船があれば、子供の通学を助けてやるということらしいが、ひと言断ってから乗ってくれればいいのに、とひそかに思った。まあ、このおおらかなところがタイ人のいい点なんだけれど。  

 チャアムというビーチリゾートに行ったときも珍事があった。海岸で半日のんびりしたあと、バンコクに帰るバスに乗ろうとしたのだが、ガイドブックに書いてあるバス乗り場が見当たらない。出発時刻も近づいていたので焼き鳥屋のおじさんに尋ねると、乗り場まで歩いては行かれないと言う。すると突然、おじさんが送ってやるから後ろに乗れと言いだした。事情がのみこめずぽかんとしていると、そばにあるバイクにさっとまたがり、後ろを指さす。仕方なくリュックをかついだまま、母娘+焼き鳥屋の三人乗りで市内のバス停まで急行することに。ところが、信号待ちしているあいだに、目の前でバスが発車してしまった。私が悲痛な声をあげると、娘が「おじさんがミー・ソーン・トゥアって言ってるよ」と叫び返した。「二台ある」という意味なのだが、「台」にあたる類別詞の「トゥア」は「匹・頭」の意味でもよく使うので、「バスが二匹いる」みたいで大笑い。二匹目は遅れて発車してくれたので、なんとか間に合い、おじさんはちゃっかりモーターサイ代として四バーツを請求してきた。  

 タイから帰国したのはちょうどイラクへの攻撃が始まった日だったが、とくに警備も厳しくなく、拍子抜けした感じだった。それにしても、なぜこんな事態になってしまったのだろう。勝手に攻撃をしかけておきながら、イラクの戦い方が悪いと文句を言うアメリカ政府高官の発言にはあきれる。アメリカが使うミサイルだって、充分に大量破壊兵器ではないか。自分の物差しでしか人を見られない人間が、こういう戦争を始めたにちがいない。ハイテクの武器の力を過信するブッシュやラムズフェルドこそ、砂嵐の吹き荒れる前線に行けばいいのだ。そこで死を恐れないイスラム教徒の抵抗を身をもって感じればいい。