2007年9月30日日曜日

『巨大建築という欲望』

「坂を下ったところを左に曲がって、角から三棟目で止めてください」  

 勤めていたころ、終電を逃して船橋からタクシーに乗ったときなどは、いつも運転手にこう伝えていた。延々とつづく工事用の壁沿いに坂道を下りて、その角を曲がってみると、三棟目があるはずの場所には、ただ黄昏の空が広がっていた。砂遊びをした公園も、鍵を忘れてお隣の家から手すりを越えて入らせてもらったベランダも、見上げるほどの高さのクチナシの木も、何もかも。橇滑りをしたスロープでさえ、工事用の板が敷かれて跡形もなく、「山羊さん」とあだ名をつけていたおじいさんが毎日、丹念に雑草をむしっていた芝生も無残にはがされていた。  

 私が以前に住んでいたマンモス団地は、建替え工事が着々と進んでいる。とうとう、うちの棟も壊された、と母から聞いてはいたが、自分の目で見るまでは実感が湧かなかった。ぽっかり開いた空間を飛んでいくカラスを目で追いながら、9.11後にニューヨーカーが味わった気分が少しわかったような気がした。生まれたときから見上げていた大きな建物は、いまでも私の本籍があるその場所は、ただの更地になっていた。  

 部屋は狭く、すべてが「団地サイズ」と呼ばれる、なんだか小さめの寸法でできていて、お世辞にも素敵とは言いがたい家だったが、まだ希望に満ち、ゆとりのある1960年代に建てられたので、起伏のある自然の景観を生かして、棟と棟の間隔も日当たりを考えてたっぷりと取った設計になっていた。道も自然に曲がりくねり、生垣の陰には秘密の小道や庭があった。あまり頻繁に手入れされない芝生にスミレやニワゼキショウが一面に咲いて花畑が出現することもあったし、夏みかんやビワ、ヤマモモ、銀杏などの木からの思わぬ収穫もあって、人工的な空間ではありながら、子供が楽しむには充分な自然があった。49万平方メートルという敷地内は、小さい子供でも自由に行き来できる場所であり、徐々に行動範囲を広げていくには最適の環境だった。  

 昨年来、私が長らく取り組んでいて、このたびようやく刊行された建築の本『巨大建築という欲望』(ディヤン・スジック著)に、ワールドトレードセンターを設計した日系アメリカ人ミノル・ヤマサキについて書かれた胸の詰まる章がある。一九七二年当時、世界一高層だったツインビルを完成させたマヤサキが、その栄誉に浴することができなかったのは、一九五四年に彼が設計したセントルイスの広大な住宅団地プルーイット・アイゴーが、アメリカの住宅計画史上最大の失敗として、その同年に爆破解体されたためだったという。その団地が巨大なスラムと化したのは、ヤマサキの意図に反してお粗末な建築基準で建てられ、維持管理費もないに等しく、極貧相の住民ばかりが集中したためであり、また当初の計画にあった庭園や児童遊園地などの公共スペースが削られたためだったそうだ。  

 母が移り住んだ新しいアパートからは、解体工事現場がよく見える。それを毎日、眺めている母は意外にも楽しそうに、こう言った。「怪獣映画を見ているみたいで、おもしろいんだよ。こうやってパクッと食いついて、ガガガッと壊してねえ」。解体工事を見ていると、木材だけを集め、パワーショベルで鋼材とコンクリートをみごとに分別し、さらに細かい砂利と土に分けている様子がわかった。壊されたうちの棟も、こうやって再生されるのかと思ったら、なんだか心の整理がついた。思い出は胸のなかにあるから、それでよしとしよう。

 3棟目の代わりに広がる空

 1月のエッセイに載せたテラスハウスも

 解体前に木材をひきはがす

 貴重な鉄くずを集めて

『巨大建築という欲望』 ディヤン・スジック著、
  五十嵐太郎監修(紀伊国屋書店)