これほどの規模の津波は予期していなかったとしても、スマトラ沖で地震が発生した段階で、近隣諸国がなんの警戒態勢もとっていなかったというのは、どうしたことだろう。タイのバンド、カラパオが津波の犠牲者への鎮魂歌をつくり、「ツナミ・クー・アライ、ルーチャック・テー・サシミ(ツナミってなんだ? サシミなら知っているけど)」と歌っている。まさに寝耳に水だった人も大勢いたようだ。
インドネシアは日本と同様、プレート境界に近く、世界的な火山地帯であると同時に、地震多発地域でもある。津波をともなった大地震は、過去に何度も起きていたはずだ。その証拠に、震源地の近くで津波の大被害を受けながら、奇跡的にほとんど死者をださなかったシムル島や、タイのスリン諸島では、海が急に引いたら、すぐに高台へ逃げろという昔からの言い伝えを島民が守り、そのおかげで命拾いをしたのだという。
タイの被災地では死臭がたちこめ、住民はピー(霊)におびえているらしい。タイでは、不幸な死に方をすると成仏せず、ピーになってこの世をさまようと多くの人が信じている。肉親を亡くした人や、いまも行方がわからない人にとっては、やりきれないものがあるだろう。この目で遺体を見るまでは、死が信じられず、きっとどこかで生きていると思いつづけるに違いない。心身ともに傷を負い、近親者を亡くし、家も仕事もなくし、援助に頼って最低限の衣食住を確保している人たちは、この先どうなるのだろう?
被災地では復興事業が始まっているようだが、被害にあった地域の多くが、それぞれの国の中心地から遠く離れた地方にあり、しかも以前から反政府運動が盛んな場所だったりするので、今後、さまざまな問題が生じそうな悪い予感がする。プーケットやカオラックのようなリゾート地は、しばらくは苦しい年がつづいたとしても、いずれまたもとのようなにぎわいを見せるかもしれない。でも、全滅したアチェの貧しい漁村などは、もう手の施しようがない。生き残った人たちは、悪夢を封じ込め、うつろな心をかかえてほかの町へ、都会へと離散していくしかない。
今回の大津波ほどの被害がでれば、この先は自然の恐ろしさが後世まで語り継がれるだろうか? それともいまだに海中に漂い、土中に埋もれて、行方知れずとなっている何万もの人びとともに、いずれ忘れ去られてしまうのか? おそらく、これだけの大災害も、100年もの歳月がたてばただの歴史上の出来事となり、その恐怖の記憶は消えてしまうだろう。そのころにきっとまた、災いは訪れるのだ。