2022年10月28日金曜日

グレタ・トゥーンベリ

 この半年間、文字どおり休みなしで働きつづけ、いま最後の山を登り始めている。昨年の後半取り組んでいた大部の作品が、諸般の事情でなかなか進まず、手持ち無沙汰になっていた3月末に、グレタ・トゥーンベリが編集した本をやらないかと声をかけていただいた。352ページで図版も多いという話だったので、7月末脱稿、11月刊行と納期の厳しい仕事だったが、『グレタ たったひとりのストライキ』のような本を想像して、並行して作業できるかなと思い、気軽に引き受けた。  

 ところが、蓋を開けてみると、The Climate Bookと題されたこの本は、科学界の大御所から先住民活動家、トマ・ピケティやナオミ・クラインのような著名人まで、寄稿者が100人を超える強烈な本で、グレタ本人も数多くの章を書き、誰よりも痛烈なパンチを繰りだすという内容で、驚きの連続となった。いつまでやっても終わりが見えないワードファイルの原稿と格闘するなかで、各著者からの訂正が巨大なエクセル・ファイルになって次々に届き、いざゲラになったPDFを開けてみると446+18ページもあり、しかもB5版変形という図録並の大きさの本であることがわかった。 

 ブライアン・フェイガンの『歴史を変えた気候変動』(2001年)に始まり、気候変動や環境をテーマにした本はそれなりに訳してきたものの、温暖化問題を直接扱った本を最後に訳したのは、ウォレス・ブロッカーとロバート・クンジクの『CO2と温暖化の正体』(2009年)であり、いつまでもつづく否定論者からの攻撃にほとほと嫌気が差していたので、2015年のパリ協定のころには、関連のニュースを真剣に追わなくなっていた。グレタの活動についても、正直言えば、この複雑な大問題をどれだけ理解しているのだろうかと、半信半疑で見ていた。 

 そんなわけで、気候科学そのものに関連した章はさほど苦労せずに訳せたけれども、国連気候変動枠組条約締約国会議(COPと略されるもの)や、環境活動家たちのこととなると、面食らうことばかりだった。カーボンフットプリント、カーボンオフセット、カーボンクレジット、ネットゼロ、ネガティブ・エミッションなどの用語が次々にでてきて、訳語を書きつけたノートが何十ページにもなった。どうにも探せなくなって、結局エクセルで打ち直しところ、最終的に800以上にもおよんだ。 

 バイオ燃料とバイオマス燃料はどう違うのか等々、いちいち言葉の定義を確かめ、訳語を調べるためにあれこれ検索するたびに、「リジリエントでサステナブルかつインクルシーヴなクライメート・ソリューション」といった調子の、電文のなかにひらがなの助詞が交じるような文章に遭遇し、げんなりさせられた。こんな調子では大多数の人は、気候や環境問題と聞くだけで、食わず嫌いになってしまうだろう。 

 しかもなぜ、よりによってこうも間違った発音でカタカナ語をつくるのだろうか? サステナブルは後ろにアクセントがあるので、サステイナブルとなるはずだが、サスティナブルと書く人すら散見される。肝心の気候すら、クライメートとカタカナ書きする人が圧倒的に多い。「クライメートゲート事件」以来だろうか。ゲートはいまさらゲイトと書けないとしても、気候のほうは「ライ」にアクセントがあるので、後ろの母音は小さな音にしかなりえない。クライミトが近いと思うけれど、これでは理解できない人が多いだろうから、私はクライメトと表記することにしている。

 きわめつけはソリューションだ。日本語では言いにくいはずの「リュ」はどこからでてきたのか。フランス語ならソリュシオンとなるが、英語の場合はソルーションではないのか。「ソリューション」は環境問題に限らず、PR会社や広告代理店、コンピューター関係でも広く使われているようなので、完全に定着しているようだ。 

 レジリエント、レジリエンスは最近の流行語のようで、最初に使った人が「打たれ強い」のような訳語を広めてくれていたら、それで定着していたのだろうが、いまはもっぱらカタカナが主流のようだ。ただでさえグローバルノース(北の先進国)とか、プラネタリー・バウンダリー(地球の限界)とか、本来は使いたくないカタカナ語を入れなければならないため、読者の負担を少しでも軽減しようと、今回レジリエンスは回復力で通すことにした。それで充分に意味は通じるはずだ。 

 インクルシーヴもわかりづらい言葉だ。岸田首相は先日、所信表明演説で包摂社会という言葉を使っていたが、どのくらいの人が意味を理解できたのだろうか。英語でも反対語のエクスクルシーヴは、排他的もしくは、一見さんお断りといった意味でわかりやすいが、インクルーシヴのほうは一般人には意味をつかみにくい言葉なのかもしれない。グレタの本では何人かが「誰も取り残さない」という表現を代わりに使っていた。こういう工夫は大切だ。

 今回の本の原題The Climate Bookは、最初に見たときは何だかピンとこない題名だと思った。バラバラと送られてきたワードファイルに付けられたファイル名TCBを、恥ずかしながら、長いこと意味も考えずCTBと誤解していたほどだ。しかし、読み進めるうちに、彼女がこれを定冠詞のついた「ザ・気候の本」として打ちだした意図がよく理解できるようになった。 ヨーロッパ各国では10月27日に、各国語版が同時発売されたようだ。それぞれLe Grand Livre du Climat (フランス語)、Das Klima Buch(ドイツ語)、El Libro del Clima(スペイン語)、Klima Bogen(デンマーク語)、Klimat Boken(スウェーデン語)、Het Klimaatboeck(オランダ語)、O Livro do Clima(ポルトガル語)など、ほぼ同じ意味の書名で、基本的にすべて同じ装丁で売りだされている。 

 個人的には日本語版も「気候の書」と名づけたかったのだが、気候変動にまったく理解のない日本の社会の現状を考慮して、『気候変動と環境危機:いま私たちにできること』(河出書房新社)となったようだ。日本語訳は何かと時間がかかるため、もともと1カ月遅れの刊行予定だったが、このままうまくいけば、12月初旬には店頭に並ぶはずだ。とにかく書店で見かけたら、手に取ってなかを見てほしい。わずか4年前の8月に、両親の反対を押し切って、15歳でスウェーデンの国会議事堂前に座り込んだ少女が、それ以来、この人類最大の問題を深く理解するようになり、その本質を暴いてみせ、世界各国のこれだけ多くの人びとを動かしてきた事実に、誰もが驚かされるはずだ。 

 私自身は、じつを言えば1997年に京都国際会館で開催されたCOP3から、少なくとも気候変動という言葉は知っていた。旅行会社にいたころ、しばらく国際会議のチームにいたこともあって、気候に関する大きな会議の仕事を受注しようと同僚たちが頑張っていたのを知っていたからだ。あいにくJTBに取られてしまったこの会議で、京都議定書が採択されたニュースなどは、退職したあとも懐かしく追っていた。ブッシュ(子)政権時にアメリカが離脱した過程について言及された箇所を訳しながら、当時グレタは何歳だったのだろうかと計算し、まだ生まれてすらいなかったことに気づいて仰天した。 

 考えてみたら、彼女が学校ストライキを始めたのは、私の孫が生まれた直後のことだった。娘との会話のなかで、何かとグレタの話になるので、いまではその孫も「車に乗るとグレタが怒るね」などと言うようにもなったが、先日は「お仕事しないといけないの。今日まで、ふみきりなの!」と言うので、爆笑してしまった。よほど、締め切り、締め切りと聞いていたのだろう。大人は4年間に成長しないどころか、後退する人がほとんどだが、子供や若者は大きく成長を遂げるのだと、改めて思う。 無事に刊行されたら、この圧倒されるような書の内容について、改めて記事を書きたい。

 その前にもう一つ、やはり12月に刊行予定の大きな山を乗り越えなければならないので、いまここで倒れるわけにはいかない。もう一踏ん張り頑張らねば!

近所の公園の山桜と孫。あまりに多忙で、よい撮影日を選べなかったけれど、一応、春夏秋冬に

8月の初校時、2つの仕事のゲラが積み重なっていたころ

2022年10月7日金曜日

『プロパガンダ』を読んで

 2カ月も前に読んだ本について、いまさら何かを書いても仕方ないかと思ったのだが、目下の仕事で引用されていた箇所の訳文を確認するため、もう一度図書館から借りたので、頑張って少しばかり書いておくことにする。「PRの父」と呼ばれたエドワード・バーネイズの『プロパガンダ』[新版](中田安彦訳・解説、成甲書房)という本だ。  

 この半年間、たびたび「ロシアのプロパガンダ」という言葉がネット上を飛び交っていたので、ちょっと興味をそそられて軽い気持ちで借りてみたのだが、驚くような内容だった。かいつまんで説明すると、プロパガンダはもともと国外伝道師を監督、教育するローマの組織や機関を指す言葉だったが、第一次世界大戦中に「戦争宣伝」として大衆の考えをコントロールする手段として使われるようになった。原書が書かれたのは1928年で、当時すでに多くの人はこの言葉を不快なものと感じていたという。 

 訳者の解説によると、第一次世界大戦ではドイツ兵に「野蛮なフン族のアッティラ」というイメージを植え付け、「敵であるドイツは悪魔であり、味方であるアメリカは正義の使者である」という単純な二分法によった戦争宣伝のかなりの部分が誇張で、虚偽も含まれていたため、プロパガンダという言葉のイメージが悪くなったようだ。 

 そのため、同じように大衆をコントロールする手段として、大企業に大衆が何を考えているかを伝え、大衆には経営についての考え方を伝える橋渡し役のプロパガンディストは、「パブリック・リレーションズ(PR)・コンサルタント」と呼ばれるようになったという。PRはプロパガンダと同義だったのだ。  

 ジークムント・フロイトの甥というバーネイズは、企業が流行と需要を生みだし、大衆を意のままに操って大量消費させる手法を本書で明らかにする。そこで説明されるPRコンサルタントの役割は基本的には、大衆と顧客企業との関係を徹底的に分析して、適切な方針を打ち出すまでであり、その先は広告代理店と棲み分けているようだ。広告代理店なら誰もがその存在を知り、具体的に何をやっているかも想像できるが、PR会社となると、何をしているのかよくわからないのは、そのあたりに理由がありそうだ。  

 色々な意味で刺激的な本で、原書と読み比べたわけではないが、訳文は非常に読みやすかった。手元に置いておきたい本だが、2010年刊のこの新版もすでに絶版のようで、電子書籍しか簡単には手に入らない。おそらく図書館には入っていると思うので、ぜひご一読を。