2007年10月31日水曜日

ワンオフ

 ワンオフ(one-off)という言葉を、最近よく見かける。「1回限りの」とか、「1個しかないもの」という意味の言葉だ。産業革命によって同じものが大量生産されるようになる以前は、ほとんどのものが手作りでワンオフだったに違いない。この言葉がいま、ときとして最高級と同義にすら使われているということは、ものがあふれた現代には、かけがえのない唯一のものであることが、いちばんの価値になったからかもしれない。 

 実は先日、ちょっとしたワンオフの体験をした。船橋の市制70周年を記念した演奏会に、同市ゆかりの演奏家の一人として私の姉が出演させてもらったのだ。しかも高校、大学時代を通じて、トリオなどを組んでよく一緒に演奏活動していたチェリストとの久々の共演で、さらにニューフィル千葉とのコンチェルトとなれば、たとえ台風で大荒れの日でも、たとえ校正原稿が届いていても、行くしかなかった。 

 スポーツでも演劇でも講演でも同じだろうが、人前でパフォーマンスをするためには、その陰にたいへんな努力が必要となる。出演する時間はわずか数秒かもしれないし、数時間かもしれない。いずれにしても、そう長くはない時間のために、たいがいは無償で長期にわたって練習を重ね、体調を整えて本番に臨まなければならない。それだけ準備しても緊張のあまり本番で大失敗することもあるし、練習しすぎて体調を崩すこともある。神経を尖らせている本人はもちろん、日々の生活のなかで膨大な練習時間を保証しながら、腫れ物に触らぬように気をつけなければならない家族の苦労も相当なものだろう。 

 先日の演奏会は地方都市で開かれたものだから、オーケストラも大編成のものではなかった。オーケストラの団員として食べていくのはなかなか難しいので、今回の演奏会も正規のメンバーは一部で、あとは「トラ」と呼ばれるエキストラなのだそうだ。でも、考えてみれば、これだけ大勢の人がこの日のために準備し、おたがいの忙しいスケジュールをやりくりして事前に何度かリハーサルをし、一つの音楽を奏でる、それだけでも充分にすごいことだ。 

 20数年ぶりに一緒の舞台に立つ姉とその昔の友人を見ると、歳月の流れを感じないわけにはいかない。学生時代のようにたびたび合わせることもできないから、息のぴったり合った演奏とは言いがたかったかもしれない。それでも、弾いているうちに長い空白の時間が一気に縮まったように思えたのは不思議だ。ふだんはいくつも仕事を掛け持ちし、三人の子供に振り回され、くたびれはてている姉の横顔が、なんだか生真面目な少女時代の顔に戻ったようにも見えてくる。演奏家なんて苦しいばかりで絶対になるべきではない、と私はつねづね思っているが、舞台に立ってこうして多くの仲間と一つの音楽をつくりあげる贅沢を味わっている姉を見ているうちに、この濃縮した一瞬のために彼らはみな生きているんだ、そういう生き方もあるんだ、と思えてきた。 

 会場には船橋高校のオーケストラ部時代の仲間が連絡をとりあって、たくさん聴きにきてくれたそうだ。地元のオーケストラに所属してチェロを弾いているという弟も、仕事後に駆けつけてくれたし、定年後にやはりアマチュア・オケに入ったという叔父も夫婦できてくれた。ふだんはなかなか顔を合わせることのできない人が一同に会する場でもあるコンサート。二度とないあのつかの間の時間は、大量生産された名演奏家のDVDやCDを何度聴いたところで味わうことのできないワンオフだったと思う。