2002年12月30日月曜日

本から学ぶこと

 年末恒例の家族でのハイキング(といっても、私は仕事が遅れているので参加せず)から帰ってきた娘に、どうだったと尋ねると、「みんなものすごい勢いで歩くんだよ。目的地があるわけでもないのに。おかげで鳥を見る暇もなくて。でも、カケスを見たよ!」との返事。そのあと、娘が読んでいた『あしながおじさん』の一節を見せてくれた。 

「大がいの人は、生活しているのではなく、ただ競争しているだけなのです。遥かかなたの地平線上にある目的地に到達しようとしています。そしてあまり一気呵成に行きつこうとするものだから、すっかり息切れがして、あえいで、通りすがりの美しい静かな田園の眺めを、みんな見落としてしまうのです。そうしてやっと気がつくことは、もう自分がとしをとって疲れ果てたことと、目的地に到着しようがしまいが、何の違いもないってことなんです」  

 たしかにそうだ。目標に向かって努力することは大切だけれど、その過程が苦しいばかりで何もかもを犠牲にしなくてはならないのであれば、目標を達成したところで何か意味があるのだろうか。このごろよくそんなふうに思う。  

 いま、娘は受験勉強の真っ最中だ。それでも、ハリー・ポッターの映画は観に行くし、ハイキングにも行くし、読みたい本も読んでいる。そのあいだに一ページでも問題集を解けばいいのに、とつい言いたくなるけれど、長い目で見ればそんなつまらない勉強よりも、『あしながおじさん』を読んだほうがよっぽどためになるので、私はぐっと我慢する。「一番大切なのは、大きな喜びではありません。小さな喜びから多くのものを得ることこそ大切なのです。おじさん、私は幸福の真の秘訣を発見しました。それは現在に生きることです」と、主人公のジュディは言う。こんな仏教哲学みたいなすばらしいことを、1冊の文庫本を楽しく読むだけで学べるのだ。  

 じつを言うと恥ずかしながら、そういう私は『あしながおじさん』を読んだことがない。中学の三年間は、いま思えば部活動に明け暮れていた。朝練に始まり、毎日、夕方遅くまで練習があり、もちろん土曜日の午後もつぶれるし、日曜だって年中、試合があった。部活動がまったく無意味だったわけではもちろんない。でも、自分の時間がまるでもてなかったこと(それに腰痛になったことも)に関しては、あの三年間は悔やまれる。  

 いまは残念ながら、仕事をして最小限の家事をこなすだけでも精一杯なので、昔、読めなかった分をとりもどすだけの時間はなかなかもてない。それでも、新しい年には、もう少しゆとりをもって日々の暮らしを楽しみたい、と思っている。それから、大きな目的や夢と現実をくらべてはため息をつくのはもうやめよう、とも。  

 みなさま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。