2010年9月30日木曜日

独り暮らし

 人生初めての独り暮らしが始まり、今回のコウモリ通信ではその心境をしみじみと綴ろうかと思っていたのに、このところやたらに忙しくて、物思いに耽る間もなく日々を過ごしている。半年近く、ほぼぷー太郎生活を送ってきた身にとって、仕事があるのは非常にありがたいのだが、干ばつと豪雨が交互に襲ってくるようなこの生活、なんとかならないものだろうか。  

 もっとも、フリーランスの生活も長くなって、心臓に毛が生えてきたのか、複数の仕事を同時にかかえても、このごろは以前ほどストレスを感じなくなった。昔は膨大な仕事の量に圧倒されると、あせるあまり睡眠時間を削り、そのためにかえって能率が下がるという悪循環に陥っていた。最近は、締め切りや納品の期限を考えて、優先順位をつけながら、とにかく一つずつコツコツとこなせばいつかはすべて終る、という妙な自信がついてきたようだ。三枚のお札のように、できあがったものを小出しに投げる戦術も使っているが。  

 一方、今年のように長期にわたって仕事がこない状況はやはり辛い。減りつづける預金残高を見れば憂鬱になる。フリーになったばかりのころはとくに、少しでも仕事が途切れると、前回の出来が悪かったのだろうか、もう私の存在など忘れられてしまったのだろうかと心配になった。いまでもそういう不安がないと言えば嘘になるけれども、連絡がないのは、必ずしも私が無視されているわけではなく、たまたま適当な仕事がないだけであって、しばらく待てば、またいつか声をかけてもらえると、最近は思えるようになった。だから、失業中も求人広告を見てはため息をついたりせず、これまでやりたいと思っていた「研究」などに時間を費やし、思い切って旅行にでかけることもできた。もちろん、その間、食いつなげるだけの余裕がたまたまあったからだが。  

 仕事に限らず、たいがいどんなことでも、人はえてして実際以上に、ものごとを大げさに悪く考えて、余計な不安をかかえているように思う。不安に駆られて不眠症にでもなれば、ただでさえ悪い状況がさらに悪化する。現状は変えられない場合が多いけれども、その現状を自分がどう受け止めるかは別問題であって、ものの見方、感じ方は変えられると教えられたことは大きい。心の平安を保つことが肝心だと、はるか昔にもらった瞑想の本で読んだことがある。瞑想に耽ることで苦しい現実から逃れても、仕方がないではないかと、当時は思っていた。でも、外の現実でいかに波風が立っていても、心のなかが安定していれば、一緒になってさらに大きく揺れ動くよりはものごとがうまく行く、という意味だったのだろうといまは解釈している。  

 ものの見方を変えることには、思わぬ実用的な効果もある。独り暮らしをするうえで何よりも心配だったのがゴキブリだった。子供のころに見た水攻めゴキブリ捕りのグロテスクな光景と、不潔だという過度の思い込みのせいか、私はゴキブリを見ると足がすくんでしまう。昔は母に(素手でつぶす)、近年は娘に(紙を使ってつぶす)、ゴキブリ捕りをお願いしていたのが、ついに自分で立ち向かわざるを得なくなった。娘から聞いた「ゴキげんよう、お久しブリ」をおまじないのように唱え、「怖くない、たかが虫だ!」と自分を鼓舞して丸めた紙で狙いを定め、先日、最初の一匹を見事に仕留めた。ゴキブリ恐怖症を完全に克服したとは言いがたいが、これなら独り暮らしもなんとかなる、と思えてきた。