2015年11月30日月曜日

家畜の歴史

 英単語のなかには、辞書を引くとあまりにも違う意味が並んでいて、面喰らうものがある。その典型例はstockだ。「ストックがある」と言えば在庫という意味だし、ストックマーケットのように株式の意味にもなる。ところが、スープの出汁もストックだし、「アイリッシュ・ストック」ならアイルランドの出身という意味にもなり、ライブストックなら家畜という意味にもなる。言語学的には、いくつもの過程を経てこれだけの意味に変化したのだろうが、この言葉の根底には、富を増やすための種、およびその蓄え、という意味がありそうだと最近になって気づいた。日々、狩猟採集をして暮らしていた人びとが、あるとき農耕と牧畜というかたちで食糧を生産し始め、それによって余剰が生まれ、所有できる富が形成された。かつてはその富は、蹄付きの生きたon the hoofの財産である家畜や、備蓄された穀類や豆類だったのが、いつの間にか株券という紙切れに変わり、やがて電子データになってしまったのだろう。  

 いま必死に校正中のブライアン・フェイガンの家畜の歴史の本では、人間が時代とともに動物を個々の存在としてではなく、肉や乳、毛などの量という数値でしか見なくなった過程が描かれている。英単語のcattle、sheep、swine、fowlなどが通常は単複同形である理由は、じつはこの辺にありそうだ。一頭、一匹ずつ、顔を覚えて育てる存在ではなく、群れで飼い、なるべく短期間に太らせて目方で売り払うような対象だ。鹿、deerは家畜化されたことはないが、moose / elkとともに狩猟対象のgameであり、鹿肉はつねに食用とされてきた。魚、fishも同様に漁の対象で、中世ヨーロッパではcarpの養殖も盛んに行なわれていた。もちろん、食用に育てられてもgoatには複数形があるし、牛や羊や鹿を意味する言葉でも、bull / cow / ox / calf、ram / ewe / lamb、stag / doe / fawn などには複数形がある。だからこんなことを理解しても、テストの点数を取るにはそれぞれの細かい規則を覚えるしかないが、どの単語が使われているかで、話者がその動物を個々の生き物として見ているのか、単に肉や毛の塊として見ているのかがわかるのかもしれない。  

 高校時代にアメリカでお世話になった家の隣には二頭の馬がいて、あるときcoltが生まれたと聞いて見に行った。子馬を表わす別の単語があることを知っただけでも驚きだったのに、それがオスの子馬を指す言葉で、メスならfillyだと言われたときには唖然とした。なぜそんなに多くの言葉が必要なのか当時は理解できなかったが、動物を表わす語彙の豊富さは、暮らしのなかでそれらにはっきりと異なる役割があったからこそなのだ。日本人は明治なるまで、世界でも稀な非畜産民であったため、大半の人にとって家畜は「馬」や「豚」でしかなく、成獣でも雌雄をいちいち気にすることはなく、まして去勢されているかどうかなど、考えもしない。家畜を群れで飼う場合には、手間がかからず、喧嘩をせず、従順であることが何よりも優先される。繁殖用に必要な最低数の種畜以外は、たいてい幼いうちに去勢されてしまう。自然界では捕食者から身を守り、群れのなかの優劣を決めるうえで重要だった角も、囲いのなかでは無用の長物で、ほかの個体にも飼い主にも危険なものとなる。そのため、いまでは品種改良によって角のない品種が生みだされたり、角が生えないように焼ごてで除角されたりする。  

 私が通った小学校の裏にもかなり広い牧場があったし、いま住んでいる近所にも酪農家がある。牛はそれなりに馴染みのある動物だったはずだが、家畜についてあれこれ考えるまでは、あの敷地内にメスしかおらず、乳をだすために牛たちは、どこからか空輸されてきた冷凍精子というオスによってつねに妊娠させられていることなど、考えてもみなかった。子牛のいる時期には外で牛を見ることもあったように思うが、乳牛はたいがいどこでも狭い牛舎に繋がれたまま機械で搾乳されている。イギリスの湖水地方で、放牧された母牛から乳をもらっている子牛を見たときに、何か新鮮で意外な気がした自分が情けない。  

 毎日、乳製品や肉や卵を食べているのに、それらの食品を生産するために犠牲になった多数の生き物について、私は何を知っていたのだろう? 捕らわれ、食され、利用された挙句に、人間の都合に合わせて祖先の野生種とはまるで異なる生き物につくり変えられ、可能な限り効率よく利用されて生涯を終わるのだ。多くの人はペットを溺愛する一方で、自分たちの生命を支えてくれている動物のことは考えようともしない。折しも、中国でクローン肉牛100万頭計画という記事を新聞で見かけた。家畜は工場で生みだされ、工業製品である飼料を与えられて最短時間で肥大させられる、文字どおりの工業製品になるのだろうか。どうも人間は、食糧を生産しだして人口を増やし始め、stockをつくりだしたときから、生物としては道を誤りつづけたような気がしてならない。

 近所の牛舎

 イギリスで見た牛の母子