2016年9月30日金曜日

『雨の自然誌』

 いつか読もうと思いつつ、なかなか機会のなかったスタインベックの『怒りの葡萄』。先日ようやく、ジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演の映画のYouTube版ではあったけれど、観ることができた。プア・ホワイトを描いた話であることは言うまでもないが、ジョード一家がオクラホマの農場を去る羽目になった背景は、どのくらい知られているだろうか。そう、1930年代にアメリカの西経100度線付近からロッキー山脈にかけての大平原、グレートプレーンズで断続的に発生した猛烈な砂嵐、ダストボウルのことだ。  

 梅雨のシーズンには間に合わず、先週ようやく刊行に漕ぎつけられた『雨の自然誌』(シンシア・バーネット著、河出書房新社)という本に、ダストボウルにいたるまでの経緯が綴られていた。そして、そこに『怒りの葡萄』のジョード一家も、荷物をまとめて逃げだした25万人以上の人びとの一部だと書かれていたのだ。映画では砂嵐そのものはほとんど描かれていなかったが、ジョード家のおじいさんは、著者バーネットが書いていたように、「日照りで作物を失い、土地や農耕具、家屋は銀行に取りあげられ」、いよいよ立ち退きさせられる段になると、必死の抵抗をしていた。「うちの爺さんが70年前にこの土地を手に入れ、親父はここで生まれ、わしらみんなここで生まれたんだ。ここで殺されたのもいるし、ここで死んだ者もいる」  

 ダストボウルの70年ほど前と言えば、ちょうど1862年にホームステッド法が制定されたころだ。19世紀初頭、この一帯はまだアメリカ大砂漠と呼ばれていた。アメリカバイソンの群れを追って、移動を繰り返していた先住民だけが暮らせる土地だったのだ。やがて一時的に降雨パターンが変わって降水量が増えた。すると、未開発の土地であれば160エーカー分が無償で自営農地になることがこの法律で定められ、そのうまい話につられて、大量の入植者が押し寄せた。西部の開拓と文明化は神がアメリカ人に与えた「明白な運命」だという宗教的使命感と、「耕せば雨が降る」という幻想、それに大陸横断鉄道敷設という野心と欲得に後押しされたものだった。しかし、実際には雨が順調に降る年のほうが少なく、ダストボウルの時代には10年近く旱魃がつづき、砂嵐で大量の表土が失われた。ジョード一家の祖先がようやく手に入れた土地は、本来、人が定住できるような土地ではなかったのだ。  

 軽快なジャズ音楽で知られるルート66は、ジョード一家や隣人がオンボロ・トラックに家財道具を積み込み、乳と蜜の流れる土地、カリフォルニアを目指してひたすら進んだ砂漠の道だった。著者バーネットが雨に因んだもろもろの芸術作品について書いていた章には、乾いた砂漠の土地を表現した曲として、映画『パリ、テキサス』に使われたライ・クーダーの曲のことが少しばかり触れられていた。ネット上で見つけた動画はルート66から始まり、禿山が連なり回転草が転がるような景観をどこまでも真っ直ぐ貫くハイウェイが映しだされ、ライ・クーダーのボトルネック奏法のブルース・ギターが、押し殺した嗚咽のような、切ないメロディをかき鳴らしていた。  

 1930年代の砂嵐の被害をいちばん受けた地域はテキサスの北部とオクラホマの細長く伸びた「パンハンドル」と呼ばれる地域、および隣接するカンザス、コロラド、ニューメキシコの一部だが、この一帯は現在、冬小麦の産地であるほか、トウモロコシ、綿花なども栽培されている。かつては大砂漠と呼ばれた地域が、アメリカ随一の穀倉地帯となっているのは、ダムや人造湖のおかげでもあるが、なんと言っても、テキサスからサウスダコタまでつづく巨大なオガララ帯水層が地下にあるからであり、その水を汲みあげて潅水するようになったからだ。何年も前のことだが、デトロイト経由でヒューストンに飛んだとき、巨人のオセロゲームのように奇妙な円形が無数に並んでいるのを上空から見たことがある。センターピボットで潅水するために、水が届く範囲だけがきれいに緑色の円になり、それ以外は茶色い土壌が広がっていたのだ。忘れてはならないのは、帯水層の水は何百万年もの歳月をかけて溜められた、氷河期から水だということだ。わずか半世紀ほどのあいだに、その水位は危険なレベルにまでに下がっている。しかも、こうした大規模農場を動かすにも、肥料や農薬にも、大量の石油が使われ、政府の補助金というカラクリで農産物の価格は安く抑えられ、それがまた大量の燃料を使って世界各地へ運ばれ、大量の電気を使って巨大冷凍・冷蔵庫で保管され、世界中の人びとの食糧になっている。  

 日本人にとってはあまりにも当たり前な存在である雨をテーマに、その科学からSF小説、軍事作戦、文学、ロック音楽、雨具の歴史、さらには都市から有害な流去水を海に垂れ流さないための取り組みにまで言及したこの本に取り組んでいた数カ月間、私は雨が降るたびに、雨粒が葉に当たるかすかな音に耳を傾け、空気のにおいを嗅ぎ、うちの壊れた雨樋から窓に落ちる滝を眺め、土砂降りでも道路を冠水させることなく排水されてゆく雨水の行方を追った。ネイチャー・ライティング風のバーネットの美しい文体が、私の拙い訳文でどれだけ日本の読者に伝わるか心許ないが、一部の章だけでも読んで、日々の暮らしを振り返っていただけたらうれしい。

『雨の自然誌』 シンシア・バーネット著(河出書房新社)