2004年8月30日月曜日

大叔母を訪ねる

 先日、ふと思い立って、茅ヶ崎に祖父の妹に当たる人を訪ねてみた。娘が夏休みの宿題で祖先について書くというので、この大叔母に昔の話を聞いてみたらどうかと思ったのだ。  

 91歳になる大叔母の記憶は、最近のことになるとかなりあやふやだったが、昔のことは不思議と覚えていて、一番知りたかった関東大震災の話も、大叔父の助けを借りながら聞きだすことができた。私の祖父は本所に住んでいたので、震災で家は全焼し、焼け跡に残っていたのは金槌一本だったという話は、私も子供のころから何度も聞かされていた。当時、学生だった祖父は隅田川に飛びこんで難を逃れたらしい。この地震ですべてを失ったためか、祖父の家の記録はないに等しい。子供のころの写真も一枚しか見つからないし、早くに亡くなったという曽祖父の写真も一枚あるきりだ。  

 今回、この大叔母をはじめ、いろいろな親戚に昔の話を聞き、高祖父の代まではたどることができたが、その先は誰に聞いてもわからなかった。たかだか150年前に、自分の祖先が何をしていたかすら、知るすべがないのだ。  

 大震災のとき、祖父の家族が被服廠跡に避難し、そのあとすぐに別の場所へ移動したおかげで命拾いしたことも、今回の「調査」でわかった。この跡地には4万人が避難したが、そのあと火災旋風が起こったために約3万8000人がここで亡くなったそうだ。関東大震災が起きたのは1923年9月1日午前11時58分というから、いまから81年前のことだ。14万以上の死者・行方不明者をだし、57万棟が倒壊または消失したという。それだけの規模の災害となれば、関東の人はほとんどがなんらかのかたちで、この震災とかかわっているはずだ。だが、こうした災害ですら、80年も経てば人の意識からすっぽり消え失せ、9月1日は防災訓練の日にすぎなくなる。あと10年、20年もすれば関東大震災の体験者はほとんどみな他界してしまうだろう。1世紀という歳月は、人間の記憶を一新するのだ。  

 いや、人の記憶がなくなるのに、それほどの年月は必要ないのかもしれない。普通の家庭であれば、親の体験は多かれ少なかれ子供に伝わる。とはいえ、たいていの子は説教じみた話は聞きたがらないから、親の苦しい体験談を積極的に知ろうとするのは、よほど歴史に関心がある子くらいだろう。思春期になれば、親と必要なこと以外はしゃべらなくなる子も多いので、実際には子供に伝えられる期間はかぎられている。祖父母が近くにいる環境であれば、さらにひと昔前の記憶も伝わるが、祖父母とは疎遠という家庭も多いだろう。 

 そう考えると、50年、ひょっとすると30年くらいで、大半のことは忘れ去られるのかもしれない。ひとりの人間が生きた痕跡など、いとも簡単に消えてしまう。死んで10年もすれば、誰も私のことなど思い出しもしないと考えるのは、ちょっぴり寂しい。だから、祖先のことを若い世代の娘が調べれば、あの世にいる顔も知らない祖先たちは喜んでくれるだろう。91歳の大叔母の記憶は、今回の訪問で口から口へ確実に伝わった。ルーツを知ることは、自分を知ることにもつながる。暑い日に茅ヶ崎駅から延々と歩いて訪ねた甲斐があったような気がした。