2000年11月29日水曜日

クリスマス

 今回はクリスマスの話題をひとつ。毎年この時期になると、サンタクロースを信じている子供の夢を壊したくない、という趣旨の投書が新聞に載る。そういう投書を見るたびに、いまの子供は、どのくらい信じているのだろうか、と疑問に思う。  

 子供たちの話を聞いていると、「うちはお金をもらうんだ」とか、「25日の朝はプレゼントがなくて、明日来るんだって」とか、「プレゼントがお砂場用のバケツとシャベルなんだよ、いやんなっちゃう」など、思わず苦笑してしまうことがある。私の姉は小さいころプレゼントの包装紙を見て、「サンタクロースはそごうでお買物するんだね」と、まじめな顔で言ったそうだ。サンタになるのは、意外と難しいのである。  

 でも、一年に一度くらいは、不思議なことが起こる日があってもいい、と私は思う。だから、子供が小さいうちは、サンタを演じ、わくわくどきどきさせてやりたい。問題は、サンタの正体をばらさなくてはならない年齢に子供が達したときだ。その年を境に、子供はおとぎばなしを信じなくなり、親のほうもプレゼントをあげるのをやめてしまう。あるいは、子供の欲しいものを一緒に買いに行くようになる。でも、それではクリスマスの朝、枕元にプレゼントを見つけて、開けるときのあの興奮はなくなる。こうして子供は大人になるのだろうか。  

 私はアメリカにいたころ、ホームステイ先で迎えたクリスマスの朝が忘れられない。そこはいわゆるディンクスの家庭だったが、リビングには大きなクリスマスツリーを飾り、クリスマスの一週間くらい前からその下にたくさんのプレゼントが並べられていた。自分たちで用意したものもあるし、親兄弟や友達から送られてきたものもある。プレゼントはクリスマスまで触ってはいけないことになっていて、25日の朝に、みんなで一斉にびりびりと包みを破って楽しんだ。  

 クリスマスの時期になると、自分が大切にしている人たちにプレゼントを用意し、それを贈り合う。それがクリスマスの本当の楽しみ方なんだ、と私はそのとき思った。それぞれみんながサンタクロースになるのだ。相手のことを思い、何をあげようかと頭をひねり、それをこっそり用意する。面倒くさいようだけど、やってみると案外おもしろいものだ。もらったほうも、あの人が私のために手間隙かけてこれを選んでくれたんだと思うと、すごくうれしい。  

 考えてみると、「やかまし村」や「ローラ」の本に出てくるクリスマスも、こんなふうに祝っている。なにもサンタクロースにこだわることはないのだ。だいたい、サンタがこれほど脚光を浴びるようになったのは、デパートがクリスマス商戦を繰りひろげるようになってからだ、と何かの本で読んだ。  

 クリスマスがキリスト生誕のお祝い、というのも、どうやら後世の人が考えだしたことのようだから、あまり抹香臭い(?)ことを言わなくてもいいのかもしれない。まあ、日本にはクリスマスの「クリス」がキリストであることなど、考えたこともない人が多いようだが。  

 これは内緒だが、私は今年のクリスマスに贈るものはもうほとんど決めてある。娘には小さなのこぎり付きのスイス・アーミーナイフ(危険?)と、トトロのハイキング用バッグ。娘はもうとうにサンタの正体を知っているが、私はこれを24日の夜にこっそりツリーの下に置いてやるつもりだ。本を読まない甥と姪には、ハリー・ポッターをそれぞれ一冊ずつ。小さな姪の分はまだ考えていないので、これから本人と親に探りを入れるつもりだ。みなさんの家はいかが?