以前にも、こんなふうにキツネにつままれた気分になったことがある。通販でフィンランド製パイン材のテーブルを注文したら、ベトナムから荷物が届いたのだ。この場合は察するに、フィンランドの木材をベトナムで加工し、それをさらに日本に輸送したのだろう。それだけ地球をめぐってやってきたテーブルが、日本国内の木材を使って、日本で加工したものよりはるかに安いことが、なんとも信じられなかった。
そして昨日、また新たな驚きがあった。インターネットで見つけたプリントショップにはがきの印刷を頼んだところ、どうやらベルギーで印刷されて、送られてきたらしいのだ。宛名のシールに小さい字で送り主が書いてあるだけなので、よく見なければ気づかないところだった。近所にも小さい印刷所があるけれど、インターネットを使えば、家から一歩もでずに注文から支払いまで完了し、できあがったものも届けてもらえる。その手軽さと安さにつられたのだ。それにしても、はるばるベルギーからやってくるとは!
ここ10年ほどの情報、流通の大革命は、人間の生活を根本的に変えてしまったのだと、いまあらためて思う。以前は、人間の生活は物理的な空間に大きく制限されていたが、いまでは自分の嗜好や値段しだいで、地球のさまざまな地域と複雑にかかわり合うようになった。それは一概にいいとも悪いとも言えないが、良質で安いものは売れるという原則が、地理的な制約を次々に取っ払っていくのは、どことなく恐ろしい。国内産業の空洞化もさることながら、こうしたことすべてが可能になっている陰に、膨大なエネルギーを消費して何千キロメートルも物資を運んでいる現実があるからだ。また、安い値段が、人件費の安い国に生産拠点を移すことで実現されているのなら、いずれはその格差が地球規模で縮まっていくのではないかと思われるからだ。
頭ではそうした現実に不安を覚え、社会の行く末を案じながらも、いざ目の前に、見たところ質の変わらない安いものがあれば、ついそちらに手が伸びてしまうのは私ばかりでないだろう。また、なんでも簡単に手に入る生活をいったん知れば、後戻りは難しい。こうして、異国情緒豊かでもなければ、高級でもない、「舶来」の日用品に囲まれて暮らしているうちに、いつのまにかごく平均的な世界市民ができあがるのかもしれない。