2022年11月28日月曜日

『気候変動と環境危機』その2

 先ほど、ついに見本が届いた。最後の2カ月間は、プレッシャーから胃が痛くなるほどの仕事だったが、ヨーロッパ各国に遅れること1カ月余りで、何とかこれを日本の読者にお届けできるようになって、肩の荷が下りた気がする。

 時間との闘いだったので、細かい点では見落としがいくらでもあるだろうし、疑問にたいする回答が得られず、やむを得ず判断して訳した箇所もある。実際、グレタが11歳のときに診断されたという場面緘黙症は、ルビの振り間違いに気づいたのが遅過ぎて訂正が間に合わなかったし、彼女の姓も、植物学者ツンベリーと同じ綴りなのに、なぜトゥーンベリなのかと思いつつも、慣例に従ったところ、現在は実際の発音に近いトゥンベリ表記が増えていることに、あとから気づくはめになった。多くの方が初版を読み、ご指摘いただければ、ぜひ版を重ねて改善し、気候運動のための行動指針として末長く活用できるものにしたい。

 さて、前回の記事に書いたように、その2は私にとっては不得意な倫理面からこの驚異的な本について触れておきたい。下訳時代に、否応なしに移民問題やアメリカの政治問題について訳したおかげで、アマルティア・センの著作とかかわったことが、今回少しは役立ったかと思う。

 訳し始めてすぐにぶつかった言葉が、グローバルノースとグローバルサウスという用語だった。要は、南北問題だ。この本を最初から最後まで一気に通して読む人は少ないだろうとの編集側の判断で、こうしたカタカナ語に各章ごとに訳語を入れたので、目障りでないことを優先して「北の先進国」と「南の発展途上国」と短い言葉を入れることにした。厳密には、南にもオーストラリアやニュージーランドがあるし、「南」は南半球ではなく、むしろ赤道を中心におおむね亜熱帯までに含まれる暑い地域にある、メキシコ、アフリカ、インド、中国以南の発展途上国を指し、かつ基本的に西洋人を中心としない国々を意味する。ここには人種問題もかかわってくるのだ。

 気候問題になぜ南北問題や人種問題が重要な意味をもつのだろうか。それは、人為的な温暖化の発端となった化石燃料の大量使用が、いち早く産業革命を遂げた欧米諸国から始まったからであり、温室効果ガスのなかでもCO2はとくに頭上の大気のなかに何百年もととどまりつづけるからだ。いま問題になっているCO2の大部分は、過去150年ほどのあいだに先進国が排出したものなのだ。これは累積的な危機だと、グレタは繰り返し述べていた。 

 欧米諸国には、大航海時代に始まり、各地に植民地を築いた過去もある。たとえ大半の地域が政治的な独立を勝ち取っていても、その多くは経済的にはいまだに旧宗主国や多国籍企業の支配下にある。数世紀にわたって植民地となってきた地域は、大半が農産物や木材、鉱物など一次産品の産地だ。独立後も、たいがいは環境破壊につながる単一栽培や採掘をつづけるしかない状況に追い込まれている。同様のことは先進国の内部でも言える。「犠牲区域」と呼ばれる環境からの脅威や汚染にさらされる低所得世帯や有色人(非白人)に関するジャクリーン・パターソンの報告には、非常に考えさせられるものがあった。 

 地球温暖化の影響を真っ先に受けるのが、人間には住みにくい気候の地域だという事実も忘れてはならない。あまりにも暑過ぎたり、寒過ぎたり、乾燥し過ぎたりする地域は、過去のさまざまな状況下でその僻地に追いやられた人びとが、工夫を凝らしてどうにか生き延びてきた場所なのだ。『気候変動と環境危機』には、グレタとお父さんがアメリカへの旅のなかでサウスダコタ州パインリッジ居留地の友人を訪ねる印象的なエピソードがある。友人は1890年にアメリカ第7騎兵連隊に虐殺された先住のラコタ人の生き残りの子孫だ。そこを訪れる前に立ち寄ったリンドストロームは、同時代にスウェーデンからの移民が築いた町だった。両者の格差にグレタが何を思ったかを、ぜひお読みいただきたい。 

 スウェーデンは植民地主義とは無縁のように思いがちの国だが、実際にはアメリカに大量の移民を送り、その国内でも先住のサーミ人を最北の地に追いやってきた。自然とともに暮らす人びとは、温室効果ガスをわずかにしか排出しないにもかかわらず、いまでは気候変動によって残された最後の砦すら奪われつつある。温暖化によって環境が激変した最北の地の悲劇を書いたサーミ人ジャーナリストのエリン・アンナ・ラッバの章はじつに印象的だ。 

 ひるがえって日本はどうか。1853年にペリー艦隊がやってきて、そのわずか数十年前に実用化された蒸気船で使う石炭の供給地になることを要求されると、石炭など使い道がないと思った江戸幕府は、これを素直に受け入れた。だが、西洋の技術を即席で学んだ日本人は、ついでに植民地主義も学んで、明治になると北方の地に屯田兵を送り、アイヌ人を追いやって森林を伐採して「開拓」、つまり植民地化し、炭鉱を掘り、近海のラッコを絶滅させた。その後は朝鮮半島や中国大陸、東南アジアやインドの奥地、太平洋の南北広範囲にわたる島々にまで進出したことは言うまでもない。 

 敗戦によってそのすべてを失ったのもつかの間、日本は戦後の高度成長期に一大工業国に変貌を遂げ、猛烈な環境汚染を引き起こし、やがて経済力で他国を支配するようになった。その過程で、先進国に倣って労働力が安く、環境基準の甘い他国に、製造部門を環境汚染とともに送りだし、自分たちは公害の減った環境で利潤と恩恵だけを享受してきたのだ。私の子どものころはまだ、隅田川を渡るたびに車の窓を閉めなければならないほどの悪臭が漂っていた。一時よりはだいぶ落ちぶれたとはいえ、私たちがまだそれなりに健全な暮らしを営めるのは、日本人ががむしゃらに働いたからだけではない。その陰に名前も存在も知らないような異国の地で資源や安い労働力を搾取されている膨大な数の人びとがいて、国の融資や補助金を受けた化石燃料を使って、大量の温室効果ガスを排出しながら、世界各地に産物を輸送できるからなのだ(ついでながら、以前にも触れたwell-beingの訳語は「健全な暮らし」としてみた)。 

 世界の平均気温が産業革命前からわずか1.1℃ほど上昇した現在でも、極地や熱帯域の上昇幅はとくにいちじるしい。それによって雪や氷が解けるかどうか、雨が降るかどうかだけなく、海面の上昇幅も変わり、結果的にもはや人が住めない環境に変わり始めている。こうした地域で気候変動の犠牲になっている人びとの声は通常は聞こえてこない。自分には無関係なこととして、私たちは敢えて耳を塞いできたのかもしれない。『気候変動と環境危機』を私が高く評価することの大きな理由は、寄稿者のなかに気候変動に翻弄されている当事者、もしくはその立場を代弁する人びとが多数いる点だ。 

「気候正義」という、耳慣れない言葉が強烈な意味をもって迫ってくるのは、こうした背景を考えればこそだ。正義という言葉は、本来、虐げられた弱者に発する権利のある言葉だろうと思う。少々温暖化すれば、むしろ住みやすくなるようなスウェーデンの都心部で生まれ育ったグレタは、自分が加害者の立場にいることをよく自覚している。その彼女が、グローバルサウスで気候変動の最前線に立たされている人びとに深く共感するのは、先進国に住む若者世代の未来も、過去1世紀半にわたって化石燃料を消費し、開発の限りを尽くしてきた私たちやその親・祖父母の世代のせいで、もはや保証されなくなったからだ。しかも、科学者が地球温暖化の事実に確信をもって世に訴え始めてからの30年間に、事態は悪化の一途をたどってきたのだ。

 この問題に関して、現在、温室効果ガスの最大の排出国となっている中国や、急速にそのあとを追うインドなどをただ非難することがいかに間違っているかという点も、本書は過去の排出量という観点と、格差に配慮したうえでの平等である衡平さ(equity)という点から、力強く訴える。誰しも自分がどの国に生まれるかは選べない。先進国に生まれただけで、どれだけの下駄を履いてきたかを、よく自覚しなくてはいけない。新興国を責めることはできないという主張は、先進国に追いつけ追い越せとばかりに急成長を遂げるこれらの国々の人口の多さや、世界の製造業を一手に引き受けているような現状を考えても、妥当と思う。 

 だがその分を補うために、多年にわたって豊かな暮らしを送ってきた先進国が、率先して温室効果ガスの排出を一気にやめることで、気候の緊急事態を食い止めなければならないという主張には、正直驚かされる。ノブレス・オブリージュのような甘いものではない。身を切らんばかりの覚悟だ。当然ながら、本書にはジェイソン・ヒッケルによる脱成長の章もある。最も単純な気候変動対策は、これまでやってきた一部の行為をやめることなのだ。

 グレタ自身は、アクティビストとして飛行機に乗らない決断をし、ヴィーガンになっているし、遠出するときは電気自動車をレンタルしている。だが、ほかの人にそれを強要はしない。それぞれ住む場所によって、手に入る食料は異なるし、飛行機にどうしても乗る必要がある人もいるからだ。こうした細かい対策についてこだわり始めると、それだけで議論に明け暮れ、価値観の違いから「文化戦争」に陥ってしまうからだとも書いている。いま重要なのは、できる限りすみやかに気候運動を全世界に広めて、可能な限り多くの人にこの現状を認識してもらうことであり、本書はそのために彼女が考えついた最善の手段だったのだ。 

 30年ほど前、仕事で出会った若いイギリス人に、なぜベジタリアンになったのか尋ねたことがあった。すると彼が、肉の生産に必要な飼料の代わりに、人間が食べる作物をつくれば、何倍も多くの人が食べられるようになるからだと説明してくれた。私はそれでも肉を断てずに、いまにおよんでいるが、ここ10年ほどは大幅に消費量を減らしている。本書を読んで、牛肉はもうやめようと決心したのだが、そう思った途端、牛タン家で同窓会が開かれたため、食べてしまった。飛行機はもうだいぶ乗っていないが、これもまだ諦めきれない。ただ、近距離の国内線はやめようという本書の提言に従って、今度、九州を旅するときは、横須賀からフェリーに乗るか、新幹線にするか、在来線を乗り継ぐかなどと思案中だ。車は手放して久しく、移動手段はもっぱら徒歩か自転車、孫のお迎え時には娘宅の電動アシスト自転車なので、これに関しては及第点がもらえそうだ。気候と環境問題について、「年がら年中、うるさいほど、邪魔なほど語ろう」という本書の提言も、こうしてブログにしつこく紹介記事を書くことで、多少は実行しているつもりだ。  

 私の生きてきた時代は物質的に豊かになる一方だったので、いったん慣れた便利さを手放せるだろうかという不安はもちろんある。持続可能でないと判断された多くの産業に人生を賭けてきた人にとっては、自分の世界が崩されるような恐怖感があり、死活問題にもなるだろう。気候変動に対応できる社会への「公正な移行」を提言したナオミ・クラインの章は、とりわけ行政に携わるすべての人にとって必読の章だ。  

 私がこの大著のなかでもとくに秀逸と思った寄稿文は、ベンガルのノンフィクション作家オミタブ・ゴシュの「認識のずれ」と題された論考だった。かつて香料諸島とも呼ばれたインドネシアの群島の一つ、テルナテ島の悲劇について書いたものなのだが、激しい言葉で糾弾する代わりに、抜群のユーモアとともに素晴らしい解決策を示してくれる。ぜひ読んでみてほしい。

 本書の短いプロモーション動画が公開されたので、ぜひご覧ください。
 

『気候変動と環境危機: いま私たちにできること』グレタ・トゥーンベリ編著、河出書房新社(右)。左側が原書。

倫理面にいくらか関連のあるこれまでの訳書。下訳時代のものには、部分訳のものもある。

2022年11月16日水曜日

『気候変動と環境危機』その1

 すでに2回にわたって関連記事を書いたが、12月初めに刊行予定のグレタ・トゥーンベリ編著の大作『気候変動と環境危機:私たちにできること』(原題:The Climate Book、河出書房新社)がいったいどんな本なのか、もう少し内容を紹介しておきたい。この本は、気候科学はもちろんのこと、林野火災やプラスチック汚染などの環境問題も広く網羅し、人類がかかえる大難題を技術の力で乗り越えようとする地球工学などの実態にも言及しており、じつに多岐にわたる広い分野にまたがるものだが、それだけでは終わらない。これは科学面だけでなく、倫理・政治・経済にも深く突っ込んだ作品なのだ。

 私はこれまで翻訳の仕事を通じて気候科学や農業、水の問題などにはかなりかかわってきたほうだと思うが、「気候正義」という言葉を、グレタ当人を含め、多くの寄稿者が使用していることには、当初だいぶ戸惑いを覚えた。道徳や倫理問題は、私の得意な分野ではない。正直言えば、何であれ正義を振りかざされると、私はげんなりしてしまうほうだ。だが、幸か不幸か、同時並行して校正作業に取り組んでいた作品が、『アマルティア・セン回顧録』(上下2巻、勁草書房、12月下旬刊予定)だった。これは私の苦手な倫理問題をじつに明解に説明してくれた傑作だったため、まるで異なる分野の双方の仕事を行き来しながら、これまではとは違う観点から気候問題を考えるまたとない機会となった。科学面と倫理面は、どちらも非常に入り組んだ問題なので、この紹介記事は前後2回に分けて書こうと思う。

 まずは科学面から。気候科学の歴史についてはすでに多くの本が書かれており、私ですら『異常気象の正体』、『CO2と温暖化の正体』、『地球を支配する水の力』(いずれも河出書房新社)を訳してきたので、詳しくはぜひそちらをお読みいただきたい。19世紀なかばにジョン・ティンダルがポーターと一緒にアルプスに登って氷河の動きを実測し、水蒸気の実験を行なったことや、グレタの祖先のスヴァンテ・アレニウスが19世紀末に人類が地球を温暖化させている可能性について初めて指摘したこと、20世紀前半にアルフレート・ヴェーゲナーがグリーンランドを探検して現地で帰らぬ人なったこと、その後にミルティン・ミランコヴィッチが天文学を研究してミランコヴィッチ・サイクルの理論を打ち立てたことなどは、これらの本でよく説明されていた。 

 戦後になってアレニウスの理論がようやく研究され始め、それを受けてC・D・キーリングが大気中のCO2濃度を測り始め、1958年3月からはハワイのマウナロア山の観測所で連日測定するようになった。観測を始めた当初は315.1ppmだったものが、2004年には開始時より20%近く増えて377.43ppmになったと訳したのを覚えている。CO2は現在も毎日マウナロアで測定されており、インターネットで確認できる。この記事を書いている11月14日現在で417.94ppmだが、季節的に高くなる5月27日には421.99ppmだった。産業革命前は280ppmであり、グレタが生まれたころからさらに12%ほど増えている。

 温室効果ガスはもちろんCO2だけではない。メタンをはじめとするそれ以外の気体がどの程度作用するかといった問題は、グレタの本で専門家が詳しく解説しているが、温暖化の原因はわかっていないとか、CO2は無関係などといまも固く信じておられる方は、まずこれまで刊行されてきた気候科学の書物を再読することをお勧めする。本書では、気候変動の否定論がどのように形成され、意図的に広められてきて、そのために貴重な30年間が論争で失われ、その間に増えに増えた温室効果ガスと悪化の一途をたどる生態環境が、もはや取り返しのつかない時点にまで地球上の生命を追いやりつつあることが、ナオミ・オレスケス、ケヴィン・アンダーソン、ジョージ・モンビオなど、数多くの寄稿者によって暴かれている。2021年8月9日にIPCCの第6次評価報告書が発表され、「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がない」と初めて表明されたことで、やはり寄稿者のサムリル・ホクの言葉を借りれば、「気候変動が公式に到来した」のである。 

 気候科学は冷戦期にいわば偶然に始まったような分野で、当初は軍やエネルギー産業が研究費の多くを拠出していた。グリーンランドの氷床を掘削して柱状(コア)試料を取りだす試みは、北緯69度線の近くに数珠つなぎに設置されたソ連監視用のレーダー網の基地から始まり、氷の下の都市と呼ばれたキャンプ・センチュリーで53メートルの深さまで掘ったものだった。原子力技術は放射性炭素をはじめとする同位体を使った年代測定法に応用され、地質学や考古学を根本的に変え、氷床だけでなく海底や湖底から同様のコア試料を掘削し、世界の大洋の海水に含まれる放射性炭素年代を測定して世界の大洋の海流の仕組みを解明する研究にもつながった。 

 1957年に10カ月間、大西洋をヨットで縦断し、毎日、海水を汲んで揺れる船上で放射性炭素の測定を行なったのが、コロンビア大学で博士号を取得したばかりの高橋太郎だったことは、ウォレス・ブロッカーの『CO2と温暖化の正体』を訳した際に知った。2019年12月、盟友ブロッカーの死から数カ月後に89歳で永眠した彼の追悼記事がラモント=ドハーティ地質研究所のサイトにあり、そこにはヴィーマ号で調査中の若い彼の写真が掲載されていた。気候科学分野で初めてノーベル賞を受賞した眞鍋淑郎に関しては、1988年にNASAのジェームズ・ハンセンとともにアメリカ議会の公聴会で地球温暖化の事実を証言した折に、一緒に証言に立ったマイケル・オッペンハイマーをはじめ、何人かがグレタの本で言及しているが、眞鍋氏より1歳年上の高橋太郎のことは触れられていない。追悼記事によると、アル・ゴアが1990年代にブロッカーや高橋氏とCO2の上昇の脅威について話合いをもった際に、地球が2℃ほど温暖化することが人類にとってそれほど悪いことだろうかと思い、この問題にゴアほどの熱意を感じなかったそうだ。それには1970年代末から80年代初めにかけて、彼とブロッカーが石油タンカーにモニターを設置して、海洋表面のCO2データを集めるプロジェクトをエクソンとともに実施していたことも、いくらか関連するかもしれないと、この記事を読んで思った。化石燃料産業は研究費の出資者であり、内部の研究者とも顔馴染みだっただろう(高橋氏の追悼記事は、「黒猫の旅」という若手研究者のブログで訳文が読める)。

 モービルと合併して石油最大手となったエクソンモービルは、『気候変動と環境危機』ではかなり槍玉に挙げられている。誰よりも先に温暖化の実態を把握していながら、自社の利益のためにそれを伏せ、温暖化否定論を唱える研究者に肩入れをしてきたのだと。コロナ禍の各国による前代未聞の財政支援で化石燃料産業が大いに潤ったことも指摘されていた。先日の新聞記事によれば、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、「米欧石油ガス企業28兆円〈棚ぼた〉」なのだそうだ。エクソンモービルは4〜6月期の最終利益が178億ドル、7〜9月期は196億ドルと、四半期として過去最高を更新していた。  

 エネルギー産業にとどまらず、本書では温室効果ガスの排出量の多い部門を一つひとつ検討していく。私が10年ほど身を置いた旅行産業も航空産業とともに厳しく追及されているが、日本人の感覚からすると意外かもしれないが、農業と林業も例外ではない。その多くは、地平線いっぱいに広がる広大な農地に、帯水層から汲みあげた水をセンターピボットで給水するため、空から見ると異様な円が並ぶ光景がつづくグレートプレーンズの穀倉地帯や、熱帯雨林の大規模な伐採が進むブラジルやインドネシアなどが非難の対象だが、そこからの産物に世界中が依存している現状を忘れてはならない。日本の農林業の事情はだいぶ異なると思いたいが、農薬や肥料、水資源の使用という観点からも、本当に持続可能かどうかよく検討する必要があるだろう。日本からの、それどころか東アジアからの唯一の寄稿者が水文学者であり、水不足に関する重要な章を執筆した沖大幹で、沖氏には翻訳中にその他の章の多くの疑問点にも答えていただき、たいへんお世話になった。

 エネルギー産業は比較的新しいものだが、農耕と畜産は文明の歴史と切り離せない。だが、地球の生態環境のなかで、自分たちもその一部でしかないという意識が欠如したまま、武力や財力や技術力にものを言わせて、限りある資源を独占してきた人類の文明そのものが、いま方向転換を迫られているのだ。気候問題とは、要するにエネルギー問題であり、食料問題なのだというのが、翻訳を通じて長年この問題とかかわってきた私が理解したことだ。  

 では、どうするのか。それを考える多くの材料を本書は与えてくれる。再生可能エネルギーに切り替えることは当然ながら重要視されているが、肝心なことは、化石燃料とは異なり、太陽光と風力による発電では、富と権力も分散しなければならないという点だ。それが石油や天然ガスのように万能ではない点も、受け入れなければならない。大気中の温室効果ガスを人為的に除去する回収と貯留の技術についても、本書は多くのページを割いているが、その多くが眉唾物であることも明らかになる。 

 前述のブロッカーの書の最後には、晩年に彼が唯一望みを託していることとして、こうしたCO2回収装置や処分場のことが言及されていた。原書(Fixing Climate)は2008年、訳書は2009年に刊行された。それから十数年を経た現在、こうした技術的な試みがどれだけ実を結んだ、いや、結ばなかったのかが、『気候変動と環境危機』では明らかになる。エネルギー問題全般に言えることだが、たとえ理論的・技術的に可能でも、資源として意味があるのは、それを得るために投入する以上のものが生産される場合に限られる。つまり、すでに大気中に蓄積している温室効果ガスの濃度を少しでも下げるためには、回収と貯留技術は役立ったとしても、莫大な費用がかかるこの技術と化石燃料の使用の継続を組み合わせることには意味がないのである。  

 現状がよく見えてくると、八方塞がりのような暗い気持ちにならざるをえない。しかし、ほんの150年前までほぼ人力一筋の循環型経済のなかで暮らしてきた日本人なら、新たな活路を見いだせるだろうと私は信じたい。

追記:この本の参考文献はこちらのサイトで見ることができます。
 

『気候変動と環境危機:いま私たちにできること』
 原題:The Climate Book
 グレタ・トゥーンベリ編著、河出書房新社 
 12月2日刊予定

The Climate Book
原書 
翻訳作業はPDFとプリントアウトで終わっているが、やはり原書が欲しいと思い、取り寄せてしまったもの。
極小のダーラナホースは耳までの高さが5.5cm。
ずっしりと重い巨大な本だ。

これまで気候・環境関連で私が訳した本。ジャンルを問わず訳してきたつもりだが、この分野のものはやはり多かった。

気候関連のニュースが新聞の一面トップを飾ることはないというグレタの嘆きを訳したあと、10月9日の毎日新聞のトップと3面に、長年にわたって懐疑派と論争を繰り広げ、果敢に闘ってこられた江守正多さんの特集記事が掲載され、嬉しかったので保存版にすることにした。

2022年11月7日月曜日

マレーナ・エルンマン

 この記事のタイトルを見てすぐに誰のことかわかった人は、かなりのオペラ好きか、環境問題に深くかかわってきた人に違いない。翻訳中にどんな人だろうと興味本位で検索したところ、最初に見つけた動画が衝撃的で、それまで漠然といだいていた先入観がすべて吹き飛んだんだことを覚えている。

 2015年5月に来日して、N響の第1809回定期公演に出演したこともあるというこのメゾ・ソプラノのオペラ歌手は、2009年にはメロディーフェスティバーレンで優勝して同年のユーロビジョン・ソング・コンテストのスウェーデン代表となるなど、ポップ歌手としての側面も備えた歌姫だった。来日時には「東京からおはよう」と書いてセルフィーを投稿し、何万という「いいね」をもらったのだという。先日ようやく図書館から借りて読んだ『グレタ たったひとりのストライキ』(海と月社)で、このエピソードを知って改めて調べ直し、これは書いておかねば、と思ったしだいだ。そう、彼女の娘が、グレタ・トゥーンベリなのだ。

 来日時の情報が残っていないか検索してみると、何人かのオペラファンが書いた「マレーナ様」の記事が見つかった。そこに貼られたリンクを頼りに、いくつか彼女の動画を観て、さらに驚かされた。私が最初に見つけた動画は、ロッシーニのオペラ『チェネレントラ』からの「悲しみと涙のうちに生まれて」のアリアのコメディー版だったことが、彼女の本格的なオペラ公演の動画を観てわかったのだ。コメディー版では、ストラップレスドレスがずり落ちそうでうまく歌えず、観客の男性に後ろから引っ張り上げてもらうという設定で、満場の笑いを誘っていたが、オペラ公演では、映画『ミッドサマー』の登場人物のような北欧の美女姿で、この長いアリアを歌いきっていた。ABBAのチキチータを、本家に劣らず見事に歌う2009年と思われる映像もあった。

『グレタ たったひとりのストライキ』によると、マレーナはオペラの大衆化に尽力し、ヨーロッパ各地のオペラハウスと数年単位の契約を結ぶ一方で、スウェーデン国内ではオペラ文化の普及に努めた人だったようだ。彼女の多才ぶりに驚かされたのは、2014年1月(たぶん)にチューリッヒ歌劇場で上演されたヘンデルのオペラ『アルチーナ』で、ルッジェーロという騎士を演じた彼女の動画だった。ルッジェーロはもともとカストラートの歌手が演じていた役らしく、「ズボン役」となった彼女は、さほどメイクもしていないのに、宝塚ばり、いや、それ以上のカッコよさで、かなり低音の歌声ときびきびした踊りを披露していた。歌い終えたあとでハンドスプリング(前方転回)を難なく決めてみせたのを見たときは、唸ってしまった。15年前に投稿されたものだが、ヨハン・シュトラウス2世の『こうもり』の「私はお客を呼ぶのが好きだ」の動画でも、口髭をつけて気障なオルロフスキー公爵を好演していた。コミカルな持ち味を存分に発揮して観客を魅了する彼女を、「マレーナ様」と呼ぶファンがいるのもうなずける。

 だが、世界各地の舞台で彼女が華やかな公演を繰り広げていたこうした時期に、当時小学校の5年生だったという長女のグレタが摂食障害になっていた。もともとのきっかけは、学校の授業で見た太平洋のプラスチック汚染などのドキュメンタリー映画で、同書では時期が明確に記されていないが、8歳ごろのことだったのかもしれない。いずれにせよ、グレタは2014年秋に2カ月にわたってほとんど食事のできない状態がつづいて、10キロも体重が減ってしまい、アストリッド・リンドグレーン子ども病院で精密検査を受けることになった。リンドグレーンの作品を愛読していた私には、おさげ髪のグレタが、やかまし村のリーサと重なって見えた。 

 各地を飛び回らざるをえないマレーナに代わって、アスペルガー症候群で場面緘黙症と診断された彼女を支えたのは、父親のスヴァンテ・トゥーンベリだったようだ。舞台で活躍する声楽家が、本番に備えて自分の体調管理と練習にどれだけの神経を使っているかを考えれば、当時のこの一家の悲惨な状況がよくわかる。来月初めに日本でも刊行予定のグレタのThe Climate Book(『気候変動と環境危機:いま私たちにできること』河出書房新社)のなかに、スウェーデンの国民的歌手の母親はほとんど登場しないが、一緒に大西洋をヨットで横断したことでも知られる父親のスヴァンテのことは、アメリカのミネソタ州リンドストロームとサウスダコタ州を一緒に訪ねたエピソードで触れている。闘病中に父親と一緒に読んだ、ヴィルヘルム・ムーベリの『移住者』シリーズの舞台となった地を訪ねたときのことだ。
  
 グレタの名前を最初に聞いたころから、長崎の出島の植物学者ツンベリーと関係がないだろうかと思っていたが(実際あるとする情報もちらほら見つかるが)、驚くべきことに、彼女の父親はスヴァンテ・アレニウスの子孫だそうで、彼にちなんで名づけられていることも『グレタ たったひとりのストライキ』には書かれていた。人類が二酸化炭素を排出することによって地球を温暖化させる可能性をアレニウスが1895年末に最初に指摘したことは、いまでは多くの人が知っているだろう。父親のスヴァンテは舞台俳優だったが、グレタが生まれるに当たって、「世界トップクラス」の歌い手である妻の仕事を優先させ、そのときどきで彼女が公演をしている都市で同居をして、主夫となって育児を引き受けたのだという。

  だが、グレタの摂食障害をめぐる騒動が、グレタの3歳下の妹ベアタにも影響をおよぼし、ADHDやアスペルガーと診断されるにいたって、マレーナがこの下の娘の面倒をみなければならなくなった。このような時期にグレタに引きずられるようにして、一家は気候変動問題に関心をもつようになったようだ。2016年3月のウィーンでのコンサートを最後に、マレーナは飛行機に乗らない決心をし、地方紙に寄稿していた毎月のコラムでも気候問題について書くようになっていた。ただし、音楽活動をやめたわけではなく、やはり歌手として活動を始めた次女のベアタと一緒に、2021年には『フォレヴァー・ピアフ』というミュージカルに出演し、母娘でエディット・ピアフの生涯を演じたようだ。スヴァンテも2017年には飛行機に乗るのをやめたそうだ。

  一家はウプサラ大学の地球科学研究所にケヴィン・アンダーソンと同僚を訪ね、そこで衝撃的な現状を教えられる。アンダーソンは『気候変動と環境危機』でも、ひときわ鋭い論考を寄稿して異彩を放っていた研究者だ。学校ストライキの計画をグレタが彼に打ち明けた場面も、『たったひとりのストライキ』には書かれていた。この本の邦題にもなった、2018年8月にスウェーデンの総選挙前に3週間にわたって国会議事堂の前で彼女が始めた学校ストライキのことである。 

「スヴァンテは私と同じく、グレタには学校ストライキなんていう考えを捨ててほしかった。不愉快な結界になることは目に見えているからだ。だが、彼女がそのことを考え、話すときは生き生きとしている」と、マレーナは書く。父親と一緒にアビスコの極地研究所で講義に参加した際、環境問題を専門にする大学生たちも答えられないなかで、太陽電池の変換効率は16%だと、手を上げて英語ではっきりと答える娘の姿に、「家族や教師のアニータ以外の前で、自分から率先して話すグレタを見るのは数年ぶりだった」とスヴァンテは書いた。このときの講師キース・ラーソンも『気候変動と環境危機』の寄稿者で、北部のこの地まで電気自動車で向かう道中、父娘は、やはり寄稿者となったナオミ・クラインの『これがすべてを変える』(岩波書店)のオーディオブックを聴き、「ときどきそれを止めては内容を話し合った」そうだ。 

 スヴァンテは学校ストライキの前には、「何があっても必ず自分ひとりで対処しないといけないよ」と諭し、想定問答をして娘を鍛えた。娘の決心を変えられない以上、せめて娘が必要以上に傷つかないように親として精一杯の助言をしたのだろう。
「あなたのご両親がこうしなさいと言ったのです? この質問はしょっちゅうあるぞ」 
「それなら、ありのままを答える。両親を感化したのは私であって、その逆ではありません」 

『ひとりぼっちのストライキ』には、それでも娘が心配で、アーチの陰からスヴァンテが見守っていたことなども書かれている。おもにマレーナが執筆した断片的な文章を、闘病と気候運動に関連するものが入り組んだまま、時系列も曖昧な形でまとめられている本なので、決して読みやすくはないが、巻末にはグレタが行なってきたスピーチも収められている。『気候変動と環境危機』を訳す過程で、彼女の歯に衣着せぬ物言いにたびたび驚かされたが、グレタ節とでも言いたくなる鋭い見解を15歳のときにすでに身につけていたことがよくわかった。 

 2018年末にポーランドのカトヴィツェで開かれたCOP24で、アメリカの環境専門家のスチュアート・スコットが彼女の勇気ある行動に涙がでたと言い、ジャンヌ・ダルクだと思ったと語る動画を、少し前にたまたま観ていた。あいにくリンクを保存しておかなかったため、どうにも探せず、再確認できないのだが、どうやら彼がグレタを国連の場に引きだした当人のようで、惜しくも2021年7月に急逝しているようだった。捨て身の覚悟で人類最大の問題に挑み、直球を投げてくる若い世代が登場したことが、両親を皮切りに、世の中を動かしているのだと思った。

ミネソタ州リンドストロームを訪ねたエピソードに、赤いダーラナホースの看板のことが書かれていて、つい買ってしまったミニサイズの馬と、その昔、娘につくってやったおさげ髪のウォルドルフ人形。トチーちゃんと名づけられ、可愛がられたのでだいぶ汚れてしまったが。

『グレタ たったひとりのストライキ』
マレーナ&ベアタ・エルンマン、グレタ&スヴァンテ・トゥーンベリ著、羽根 由訳、海と月社