2003年6月29日日曜日

外国語の音に慣れる

 先日、久しぶりに映画を観に行った。「タイ王国最大のタブー、解禁」と大げさに宣伝された『ジャンダラ』というタイの映画だ。観客が男性ばかりだったら困るので、友達にお願いして一緒に行ってもらったが、ポルノ的ないやらしさはなく、俳優の肌から吹き出る汗がむし暑さを感じさせ、いかにもタイらしい映画だった。  

 映画の出来映えもさることながら、ちょっとうれしかったのは、映画のなかのセリフが断片的ながら聞き取れたことだ。タイで暮らしたのはわずか1年だったが、そのわりに私の耳はずいぶんタイ語の音に慣れていたらしい。  

 これはひとえにバンコクで通ったタイ語の学校で、うんざりするほど発音の練習をさせられたおかげだ。タイ語には基本的な母音が9つ、子音が21あり、さらに5つの声調がある。母音の微妙な違いはなかなか聞き取れないし、「タ」の音でも、thaとtaの二種類があるというのは日本人には相当やっかいだ。声調を間違えば、犬が馬になったりする。だから、タイ語を学ぶときは、ひたすら発音の練習をするしかない。  

 耳慣れない音でも、何度も聞くと、しだいに脳のなかでその音に反応する回路ができてくる。聞き分けられるようになれば、少なくとも人間の言語であれば真似できるようになる。聞いて、しゃべる。語学において非常に大切なこの2つの学習が、日本の学校の英語教育ではまだ欠けているような気がしてならない。話す訓練は、なぜか決まったセリフを繰り返す練習だけになり、結局、いつまでたっても英語が使えない。  

 挨拶の表現を教える前に、文の構造を教える前に、その言語の音とリズムに徹底的に慣れさせるほうがいいのではないかと、最近考えている。それも、母音、子音をひとつずつ取りあげ、その音を含む単語をいくつも発音させて修得させるのだ。英語のisは、日本語の「イズ」とはまるで異なる音だし、strangeのように子音が3つも重なる場合、「ストレインジ」と発音すればsとtの後ろに余計な母音が入ってしまう。  

 それぞれの音が発音できるようになったら、今度は文章のなかで使ってみる。英語だってリエゾンする。つまり、子音で終わる語のあとに、母音で始まる音がくれば、一緒に発音する。たとえば、All you need is loveは、オーリュニーディズラブと聞こえる。これをオール・ユー・ニードゥ・イズ・ラブと発音すれば、どうやったって、あの歌のリズムには当てはまらない。  

 フレーズなり、文章なりを身体にたたきこんでから文法を理解すれば、すんなりと覚えられる。人間には五感が備わっているのだ。できるかぎり多くの器官を使って学習したほうが、楽に決まっている。遠回りのように感じるかもしれないけれど、まず音を身につけたほうが、実際に使えて理解できる言語習得になるのではないか。 

『カーマスートラ/愛の教書』よりも激しい禁断の愛のかたち、と言われる映画を観なら、こんなことをひそかに考えていた。ちょっと無粋だっただろうか。