2003年2月27日木曜日

餌台日記

 隣の家の紅梅が満開になった。濃いピンク色の木に渋い緑色のメジロがくると、じつに絵になる。色のない寒い冬ももうおしまいだ。春がすぐそこまできたいま、わが家では一年間つづけてきた鳥のレストランを今後も営業するかどうかで悩んでいる。  

 白鳥などの餌付けが最近よく問題にされているが、うちのように人工的に餌をやることもやはり生態系を崩すらしい。庭に鳥の餌となる木を植えるのは構わないが、いわゆる餌やりは、食べ物の少ない冬季だけにという意見が多いようだ。  

 でも、一年間の開業で常連客もできたいまとなっては、急にやめるのは忍びない。このごろでは、私が庭にでると鳥が集まってくる。キジバトなどは、手を伸ばせばつかめそうなところに止まっている。もちろん、私は素知らぬふりをしているのだが。  

 果物フィーダー用に、冬のあいだずっと「お徳用みかん」を買いつづけたおかげで、最近はメジロとヒヨドリも完全に固定客になった。シジュウカラにはピーナッツと自家製ヒマワリの種とスーパーの棚からもらってくる牛脂をやりつづけた。  

 餌台をつくるそもそものきっかけは、娘が受験で鳥を見にいかれないからだった。その娘も受験勉強から解放され、あちこちに鳥を見にいかれるようになったいま、庭にくる鳥はもっぱら私の楽しみになっている。コンピューターの画面から目を離してふと窓の外を見たとき、そこに鳥がいるとほっとする。  

 いまも、隣の家の瓦屋根に、スズメが一〇羽ほど集まって餌はまだかと待っている。冬のスズメはもこもこと太っていてかわいい。付け根のほうが黒く、先にいくにしたがって白くなっているスズメのおなかの羽は、一見地味な色だが、双眼鏡で見るとカシミアのコートのようだ。スズメはとりわけ警戒心が強いが、最近では私がまだ庭にいるうちから待ちきれずに餌台に群がる。狭い餌台にときには二〇羽近くが押しかけ、あぶれたのがその上でホバリングしている。  

 私が与えるほんのひと握りの餌に、ソースの蓋一杯の砂糖水に、小鳥は飛びついてくる。自分の行為が誰かに(たとえ鳥でも)これだけ喜んでもらえるということが、餌やりをやめたくない一因かもしれない。生態系にとってどうかはわからないが、少なくとも私の精神上は大いに役立っているので、もう少し餌やりはつづけてみたい。  

 世の中はいまひどく物騒になっている。イラクを攻撃しろと血相を変えて叫んでいる人たちは、おそらく道端の鳥などまるで目に入らないだろう。以前、ブッシュ大統領が双眼鏡をのぞいている写真を見たことがある。何かの視察なのだが、双眼鏡にはキャップがついたままだった。一瞬の失態を撮られたのだろうが、盲目的になっているいまのブッシュをよくあらわしている一枚だった。もし、あの双眼鏡でのぞいた先に一羽の鳥がいて、その鳥が一心に餌をついばんだり、さえずったりする姿を見ていたら、少しはブッシュも変わっただろうか。  

 地球上には自分たち以外の人間や動物がいて、それぞれに一所懸命に生きている。その相手とは仲良くなれるかもしれないし、かかわり合いたくないかもしれない。いずれの場合も、おたがいに存在を認め合い、共存する道を探るべきであり、相手を支配したり、自分の都合に合わせて変えてはいけないのだと私は思う。

 イラスト: 東郷なりさ