2010年8月31日火曜日

娘の巣立ち

 30代になったばかりのころ、勤めていた会社に訪問セールスにきていた生命保険のおばちゃんの執拗な勧誘に負けて、教育保険に加入した。お勧めのプランの「設計書」によれば、積立配当金はどんどん増えて、18年後の満期時受け取り総額は400万円ほどになる予定だった。途中で私が死亡しても娘に保険金が入る、という点につられて契約してしまったのだ。なぜか満期時の娘の年齢が23歳に設定されており、いちばんお金のかかる大学入学時には、育英資金を引きだすか、解約するしかない妙な教育保険だったが、卒業後だってさらに進学するかもしれないし、結婚資金が必要になるかもしれない。そう思って、失業中の苦しい時期もとにかく保険料を支払いつづけた。  

 幸い、親の懐具合を充分に承知していた娘は、小学校から大学まで国公立に通い、塾にも行かず、通信教育も受けず、必要最低限の教育費しかかからなかったため、この教育保険は無事に満期を迎えた。ところが、90年代のバブル時代に契約した保険は、蓋を開けてみたらシュルシュルと萎み、みごとに元本割れしていた。私が苦労して払いつづけた保険料は、利潤を生むことなく、あのおばちゃんの人権費に消えてしまったのだろう。  

 娘は理系の大学に進んだものの、自分は研究者タイプではないと早々に見切りをつけていた。とりあえず数年間どこかに勤めて資金を貯めてから、好きな絵の道に進む、というのが当初の予定だったが、あいにくいまは100社回っても就職口が見つからず、就職浪人すらでるようなご時勢だ。卒論のための研究調査に4年次のほとんどを費やさなければならなかった娘には、その「とりあえず」すらままならなかった。同級生の大半は進学し、残りの多くは公務員になった。  

 進路に迷った娘に、切り詰めれば1年くらいなら教育保険で暮らせるよと伝えると、あれこれ検討したあげくに、娘はイギリスで児童書のイラストを専門に学ぶコースを選んだ。これまで学んできた生態学や生物の知識を生かしつつ、美術の世界でそれを表現してみたい。そうすることで、自然とかけ離れた暮らしをしている都会の人びとの目を、自然に向けさせたいというのが、娘の漠然とした夢のようだ。それで食べていかれる保証などどこにもないが、絵の勉強をする機会を一度くらいは与えてやりたい。初めて親元を離れ、異文化のなかで暮らせば、自分を試し、鍛えることにもなる。留学後、改めて進路を決めればいいし、そのころには不況がいくらか改善することだって、まったくありえないわけではない。一時期の景気に、生涯を左右されるのもばからしい。 実際、この円高もわが家にとっては幸運であり、2年前まで230円くらいだったポンドが、いまは140円以下になっている。最大の出費となる授業料は、送金するまでもなく、ポンドが比較的安い日にクレジットカードで簡単に決済されていた。教育保険で損をした分、いくらか取り返したかもしれない。  

 娘が日本を離れる日がいよいよ一週間後に迫っている。いまはインターネットがあるし、国際電話も無料でかけられるし、送金も簡単にできるし、航空券でもなんでもカードで買える。巣立ちの練習も何度かさせたつもりだし、山川捨松のお母さんのような覚悟はいらないはずだ。大丈夫、頑張れるよ。娘にも自分にも、そう言い聞かせている。  

 前回のコウモリ通信に書いたアラスカの本がとりあえずできたので、ご興味があればのぞいてみてください。http://www.photoback.jp/introduction/home.aspx?&mbid=261542(現在はアクセス不可)