2005年3月31日木曜日

自分の好きなこと

 まわりに思春期の子が多いせいか、このところ子供の生活態度や進路に関する悩みごとや愚痴をよく聞く。その多くは、親の勧める道と、子供の進みたい方向が異なるといった具体的な争いではなく、子供はとにかく親からあれこれ言われ、進路を押しつけられるのが嫌で、かといって自分が何をしたいのかもわからず、いらだっているという状態のようだ。自分はこれが好き、と言えるものがなく、とりあえずいま流行していることを、友達に合わせてやっているタイプに、特にこうした傾向が強い。  

 日ごろ、そうした悩みに接しているだけに、先日読んだ木田元さんの『新人生論ノート』に次のような一節を見つけたときには、うれしかった。ここに引用させてもらうと、「本当に好きなものを見つけること、自分がいったいなにが好きなのか見きわめることは結構むずかしい。いや、そのまえになにかを好きになる能力、なにかに夢中になれる能力をつちかう必要がある。なにかを好きになるというのは、訓練して養わなければならない一つの能力なのである」。また、こうも言っている。「本当に好きになれるもの、本当に夢中になれるものを探すがいい。そうすれば、人生をいまよりももっと深く豊かに生きることができるようになる」  

 いざ、進路を選ばなければならない段になって、突然、自分の好きなものを探しても、なかなか見つかるものではない。だから、本当は子供がごく小さいうちから、親があまり干渉せずに、テレビやゲームのように刺激の強すぎるものもなるべく与えず、子供がもて余した時間に自分で見つけたことをそのままつづけさせるのがいいのだろう。とはいえ、時間は逆戻りできないから、すでに成長してしまった子は、いま少しでも関心のあることを、とことん突き詰めていけばいい。お菓子づくりだって化粧だって、ロックだって絵を描くことだって、一見、将来あまり役立ちそうにないことも、その道をきわめれば何かしら得るものがあるはずだ。  

 最終的に好きな道へは進まず、無難な就職先を見つけたとしても、余暇に本業と同じくらい専門的に打ち込めるものがあれば、それはそれで楽しいはずだ。少しくらい回り道をしたってかまわない。建築家の丹下健三さんを偲ぶ記事に、一時期、文学や哲学に没頭したために、二年間浪人しなければならなかったが、「この時代に読んだり考えたりしたことが目に見えぬところで大いに役立った」(丹下健三、『私の履歴書』)という一文が紹介されていた。  

 親が好ましいと思う進路を、最短距離で進ませれば、子供は早くゴールに到達するだろう。でも、そういう子は、目的に達したとたん、自分を見失わないだろうか。はたしてこれが自分の望んでいた道だったのか、と。自分の道を模索しながらあちこちめぐってきた人は、スタートラインに立つのは遅くても、幅広い視野をもっているから、いわゆる専門ばかよりも成功するかもしれない。いや、たとえ出世しなくても、自分なりの人生を送れるのだから、それでいいのではないか。結局、社会的に成功することよりも、充実した人生を生きているかどうかが肝心なのだから。こうした根本的な問題を考えないまま、学力の低下を理由に、早くもゆとり教育の見直しが叫ばれている現実が悲しい。

『新人生論ノート』木田 元著(集英社新書)