2000年10月30日月曜日

訳文それぞれ

A:そのふとった紳士は椅子から半分立ちあがって、ちょっとおじぎをしましたが、ふちがしぼうでふくれた、小さな目で、その時ちらりとさぐるように私を見ました。 

B:ウィルスンと呼ばれた、そのふとった紳士は、いすから半分腰をうかせて、ひょいと頭をさげた。ぷっくりもりあがったまぶたの奥では、小さな目がなにか問いたげなようすでこちらを見ている。 

 このふたつの文章は、どちらもシャーロック・ホームズの『赤毛連盟』の一節である。最近、娘が推理小説に夢中なため、私は図書館に行くたびにアガサ・クリスティやルパンやホームズの棚を漁っている。私はあまりこの手の本は読まないので、いままで知らなかったが、ルパンにもホームズにもいろいろな版があり、細かい注釈付きのものから、小学生向けに書き直されたダイジェスト版まで、じつにさまざまである。  

 読みくらべてみたら、これが同じ本かと思うくらい、訳文が違うことがわかった。訳された年代もさまざまなので、あとに訳されたものほど改善されているのは当然かもしれないが、どうせ読むなら読みやすいほうがいい。  

 上のふたつのような短い文章でも、みごとなまでに表現が違う。くらべてみると、わかりやすい文章の特徴が見えてくる。たとえば「ウィルスンと呼ばれた」という修飾語句は、おそらく原文にはないだろう。英語ではthe fat gentlemanとするだけで、それがウィルスンであることがはっきりわかるからだ。ところが、日本語の「その」は、すぐ前にそれに該当する言葉がないと、「えっ、どの?」となってしまう。私もよく、もっと読者にわかるように言葉を補いなさい、と言われるのだが、こういうことか、と改めて思った。  

 長い一文にせずに、ふたつの文に分けたところも、Bが読みやすくなっている理由のひとつだ。それから、「ふちがしぼうでふくれた、小さな目」というのも、日本語にするとちょっと滑稽かもしれない。  

 私があれこれ書くよりも、読みくらべていただいたほうがおもしろいと思うので、もう一カ所、引用させていただく。

 A:この客はふとっちょで、おうへいで、のろまな、ありふれたイギリスの商人ふうの男でした。すこしだぶだぶの、灰色の格子じまのズボンをはき、あまり手入れをしていない黒のフロック・コートを着て、前ボタンをはずしたままにしてあり、うす茶色のチョッキには重いしんちゅうのアルバート鎖をむすびつけ、そこへ四角な穴のあいた金属のメダルを、かざりにぶらさげています。すりきれたシルク・ハットと、しわくちゃなビロードえりのついた色のさめた茶色の外套は、そばの椅子の上においてあります。

B:目の前にいるのは、でっぷりとふとって、もったいぶった、のろまな感じのする、どこにでもいるような、ただのイギリス商人だ。ちょっとだぶついた、灰色の格子縞のズボンに、あまり清潔とはいえない、黒のフロック・コートという姿。その上着の前ボタンははずしてある。 くすんだ茶色のチョッキから、アルバート型の太いしんちゅうの時計鎖をたらしていて、そのさきには、飾りとして、四角い穴のあいた小さな金属がぶらさがっている。そばのいすには、すりきれたシルクハットと、しわのよったビロードのえりがついた、ふるぼけた茶色の外套とがかけてあった。 

 今度、少し暇になって、心の余裕ができたら(いつのことやら!)、原書といろいろな訳本を手に入れて、読みくらべてみようかな。 因みに、Aは林克己訳 岩波少年文庫、Bは常盤新平訳 偕成社です。