2015年4月30日木曜日

「大英博物館展――100のモノが語る世界の歴史」

 東京都美術館で開催中の「大英博物館展――100のモノが語る世界の歴史」に行ってきた。人類の数百万年におよぶ歩みを、100のモノを通して考えるというこの壮大なプロジェクトは、七つの海を制覇した大英帝国があってこそ可能になったものだろう。だが、世界の片隅の、とうに滅亡した文明にまで深い関心をいだき、残された断片を丁寧に調査、修復、保管し、世界中の研究者にそれを調べる機会を提供している大英博物館の姿勢には、やはり感服させられる。私はこの展覧会のもととなった本および、今回のカタログとパネルの翻訳に携わらせていただいたので、どの作品もすでによく知っているつもりだったが、やはり大きさや質感、細部や裏側などは、実物を見なければわからない。間近にじっくり見て初めて気づくことはいくらでもある。  

 小さくて、ガラスケース越しに見るだけではちょっと物足りないものもあった。スペインの銀貨のピース・オブ・エイトもその一つだ。インカ帝国を征服したスペインがポトシ銀鉱山の豊富な銀で鋳造し、世界中で使われるようになった硬貨だが、私にとってこれは、アーサー・ランサム全集にでてくる緑のオウムのポリーの言葉だった。「八銀貨」という訳語に小さくピース・オブ・エイトとルビ文字が振ってあったので、小学生の私には謎の呪文のようだった。  

 最近になって、この硬貨が幕末史によく登場するメキシコ銀、洋銀、メキシコドルと呼ばれていたものでもあることに気づいた。生麦事件でイギリスから10万ポンドの賠償金を要求されたとき、幕府はこれを1ポンド=4ドルの換算レートで、40万ドル分のピース・オブ・エイトで支払った。『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』のチャールズ・ワーグマンの絵には、神奈川運上所の役人が居心地悪そうに椅子に座りながら、硬貨を一心に数える3人の中国人と複数の日本人を見守る光景が描かれた。「早朝から2000ドルずつ収められた箱を積んだ荷車が公使館に到着し始めた。中国人の硬貨鑑定人(極東で硬貨が本物かどうか検査するために貿易商や銀行に雇われた人びと)がみな集められ、鑑定と勘定に取りかかった」と、アーネスト・サトウは書いた。「この作業に3日間が費やされた」のち、前年の第二次東禅寺事件の賠償金と合わせて44万ドルを詰めた合計220箱が、目を丸くした「ヨコニン」たちが「マロホド!」と見送るなか、アプリン中尉の率いる騎馬護衛隊と海兵隊に守られ、現在の象の鼻パークの桟橋の英海軍のパール号まで運ばれる様子も報じられている。  

 鎖国時代にこれだけの洋銀を幕府はどうやって集めたのだろうか。いや、幕府だけではない。たとえば生麦事件後に薩摩藩がグラヴァー商会からイギリスの鉄製蒸気船ランスフィールド号を購入する契約を破棄された際に、噂を聞きつけた長州藩が代わりにこの船を英一番館のジャーディン・マセソン商会から12万ドルで購入している。この洋銀を調達したのは横浜本町二丁目の伊豆倉商店で、交渉役は町人姿で現われた井上馨だった。番頭の佐藤貞次郎は「其翌日志道聞多君御出にて、町人の姿、無刀は勿論、紺地に白の花形有る紺更紗の風呂敷に紙入様の物を包み、頸に巻掛け、伊豆倉見世先に立ち、予が名を呼で云く、今日洋銀五百枚程入用なり、赤根方迄持参を頼むと」と語った(『井上伯伝』、『密航留学生たちの明治維新』犬塚孝明著に引用)。この硬貨は1枚27gほどなので、12万枚となれば重量が3.24トンにもなるが、いったいどうやってひそかに支払いを済ませたのだろうか。井上はその後すぐに、このコネを使ってイギリスに密航するのだが、ランスフィールド号のほうは壬戌号と名前を変えられ、下関戦争でアメリカ軍艦ワイオミングの砲撃を受けて沈没した。  

 今回の大英博物館展には、ほかにも花祭りの「天上天下唯我独尊」ポーズのお釈迦様にしか見えないゴアのキリスト像や、シルクハットをかぶったシエラレオネの儀式用仮面など、不思議なものがたくさんきている。後者は理想の女性像を表現した仮面なのだそうだが、19世紀末にエリート層が男女を問わず、ステータス・シンボルとしてシルクハットをかぶるようになった時代の珍品らしい。つい苦笑したくなるが、日本でも明治期に同じような光景が見られたので、いずこも同じということか。「親子で似たような装いをして夕飯時に帰宅の途につく日本のパパは、親としての威厳だけでなく、この奇妙な恰好の息子の本来のあどけない魅力も、ほとんど発揮させていない」と、1875年の『イラストレイテッド・ロンドン・ニュースは伝えている。  

 東京都美術館では101番目のモノとして、坂茂の紙の避難所用間仕切りを選んでいた。紙管を使って教会も建ててしまう建築家なので、そのアイデアには脱帽だが、考えてみれば幕末にきた外国人はみな、日本人は木と紙の家に住んでいると書いていたので、いかにも日本らしい101番目のモノかもしれない。この展覧会は6月末まで東京で開催されたあと、福岡、神戸へと巡回する。4月からNHKラジオ第1で「モノが語る世界の歴史」という番組も放送されており、インターネットでも過去の放送を聴くことができる。一つの物を掘り下げることで見えてくる歴史の意外なおもしろさを、ぜひお楽しみください。 http://www.nhk.or.jp/radiosp/daiei/

『大英博物館展――100のモノが語る世界の歴史』公式カタログ(筑摩書房)