2006年2月27日月曜日

境川から江ノ島へ

 横浜に住んでもう何年もなるのに、貧乏暇なしでいつも仕事に追われているので、県内の名所もまだほとんど訪れたことがない。幸い、娘が早々と受験勉強から解放されたので、ぽかぽか陽気の日に江ノ島に行ってきた。藤沢駅で下車して一時間ほど境川沿いを歩いた。冬のあいだ家にこもりっぱなしだったせいか、太陽の光に目がくらみ、さながら地面に顔をだしたモグラの気分だった。こういう状態を、まさにdisoriented(方向感覚を失った)と言うのだろう。  

 境川にはたくさんの船が係留されていて、いかにも湘南らしい。その船の合間を、オオバンやカンムリカイツブリ、ヨシガモなど、ちょっと珍しい鳥が泳いでいる。娘は夏休みの宿題などで、この川に何度かきているので慣れたもので、途中、鳥見スポットで立ち止まっては、いろいろと教えてくれた。子育て中は外にでるといつも神経を尖らせ、子供が車道に飛びださないか、途中ではぐれないかと警戒心を怠らなかった私も、いつしか漫然と娘のあとについて歩くようになっている。これも動物本能の衰えだろうか。  

 いよいよ目の前に江ノ島が現われたが、味気ない道路が島まで延びているうえに、正面に和洋古今なんでもあれとばかりにちぐはぐな建物が並んでいて、それこそ「顎が落ちて(jaw dropped)」しまった。余談ながら、英語にはなぜ顎に関する表現が多いのかと、私はつねづね疑問に思っている。日本人は「口をあんぐり開ける」のに。  

 同じような陸続きの島――陸繋島というそうだ――でも、学生時代に見たフランス西部のモンサンミシェルとは大違いだ。バスの窓から要塞のような修道院が見えたときには、感動のあまり声をあげた。モンサンミシェルの頂上にある城砦から見た夕日は、いまでも目の裏に焼きついている。夜風に吹かれながら飲んだシードルの味まで思いだせるくらいだ。満ち潮になると警告のサイレンが鳴って、あたりは一面の海になった。  

 島のなかはどちらも京都の二年坂、三年坂のような雰囲気で、いくらか似ているけれど、少なくともモンサンミシェルには興ざめな江ノ島エスカー(要は有料エスカレーター)はなかった。それもこれも、観光客が求めるものの違いが生みだすのか、単に考えもなしに開発するからなのか。 江ノ島も、断崖のほうをまわるとなかなかよかった。春を感じさせる陽光が水面に反射している。この上を鳥が飛ぶと、海が反射板になっておなかの色がきれいに写るんだと、そこにいた写真家のおじさんがうれしそうに話してくれた。雛を守る雌がどれほど熾烈な戦いを繰り広げるか、といった話を聞きながら、道中の出来事を思い返した。  

 潮が満ちてきたので、普通の靴を履いていた私たちは早めに退散せざるをえなかった。「今度また、長靴を買ってきます」と、おじさんたちに別れを告げる娘を見ながら、やれやれ、大学生活でまず必要となるものは長靴か、と少々この先が不安になった。帰りがけに土産店をのぞいたら、“世界の珍しい貝”を売っている店が何軒もあり、前から欲しかったマドガイを一枚(20円也)手に入れた。かつてはこの貝を本当に窓ガラスとして使用していたらしい。この貝を通して入る光はどんなだったのだろう? どうやって繋ぎ合わせたのだろうか? 娘は本物のハリセンボンでつくられた飾り物を買って大喜びしていた。今度、これが泳いでいるところをぜひ見てみたい。
 
 イラスト: 東郷なりさ