若いころに受けた刺激は、より鮮明に脳に残るのだろう。私の記憶には、学生時代や会社勤めのころに体験したことがいまなおはっきりと残っている。入社したころはまだ紙テープをつくってテレックスを流していたし、ファックスは通信室にあるだけだった。初めて使ったコンピューターは立ち上げるのに大きなフロッピーを何枚も出し入れしなければならなかった。携帯電話は大きなイベントがあるたびにNTTに借りに行ったが、充電器がとてつもなくかさばり、不便な代物だった。インターネットが導入されたときは、画期的なことになると言われながら、どう使えばいいのかわからずもて余していた。
それらが徐々に新しい機種に変わり、新しい機能が加わると、便利になったと感激して率先して新しいやり方を覚えた。そして、新しいものについていけない年配の人たちを哀れみの目で見ていた。そのころまではよかった。
やがて、新しいものが登場しても新鮮味がなくなり、どうせまたすぐに次のものが出るだろうと考えるようになった。コンピューターをはじめとする機器は、私にとってしょせん道具にすぎず、必要な機能さえ使えれば充分であり、それ以上に時間をかけて奥深く追究したいものでもない。いまある機器でも充分に役に立つし、新しい機能などとくに必要ないし、何よりも新たに操作を学ぶのが面倒なのだ。だが、それが間違いのもとだったらしい。
私が関心を失ってからも、技術は日々進歩し、瞬く間に普及していたのだ。先日も、娘が学校の部活で撮ってもらった写真だといってCD-ROMをもちかえってきた。つい数年前までデジカメの画質があれこれ論じられていたのに、もう学校ですら写真をこうして配るのが当たり前の時代になっていたのだ。こんなことを書くと、へえっ、まだデジカメ使っていないの?と言われそうだが、それどころか私は携帯電話ですらもっていない。
しかし、どうやらこんなことを言っていては、そのうちに本当に世の中から取り残され、私がかつて哀れみの目で見ていた人たちと同化しそうだ。現状に満足していてはいけない。新しい情報を貪欲に求め、より優れた機能を追求しなければならないのだ! そのためにも、いつまでもダイヤルアップ接続などしていてはいけない。というわけで、私もようやく重い腰を上げてADSLの申し込みをした。
それにしても、疲れるなあ。これから大嫌いなマニュアルを読まなければならない。