2007年5月31日木曜日

調べ物

 このところ、というより、もう数ヵ月間、缶詰状態の生活をつづけているので、エッセイに書けるような楽しい話題がない。毎日ひたすらコンピューターの前に座りつづけ、今日のノルマのページ数をこなそうと必死に頑張るのに、計画はあくまで計画で、思いどおりに進まない。  

 それはひとえに、どこでつまずくかわからないからだ。たった一文の意味がわからず、半日を無駄にしてしまうこともあるし、調べものをしているうちに、どんどん脱線してしまうこともある。以前、ゴルディオスの結び目(Gordian knot)を難題とそのまま訳せば一秒ですんでしまうところ、私はネットでこの結び目の作り方を探しだし、あげくに紐をもちだしてそれをつくったことがある。  

 締め切りが迫ると、さすがにそこまではやらないが、先日も「ベラージオ・カジノとルイ・ヴィトンの中間」という表現に戸惑った。ラスヴェガスには疎いので、そこがどんな場所なのかもわからない。それで、つい気になって検索してみた。サイトに入ると、いきなりヴィヴァルディの冬が流れてくる。カジノにヴィヴァルディ……と苦笑しながら、そのヨーロッパの貴族趣味的な建物を見ているうちに、ふと思いだした。以前に訳した本に、NBAで活躍したデニス・ロッドマンが「夜、家に帰ると、暗い部屋に一人で座って本当はヴィヴァルディの音楽を聴いている」という一節があった。ひょっとすると、アメリカ人にとってヴィヴァルディの音楽は、憧れの成功のイメージなのだろうか。  

 ハーレクインにもよくラスヴェガスで結婚式を挙げる話がでてくる。ネオンと賭博の街で結婚式なんて、変わった趣味だと思っていたけれど、このサイトのウェディングのページを見ると、厳かなチャペルから、ライトアップされた華麗な噴水まで、いかにもハーレクイン好みだ。そうか、こういうものをイメージしていたのか、と納得。 ついでに賭け事のページも開くと、どこかで聞いたバイオリンの音楽が……。それからずっと、その曲が頭をめぐって集中できなくなる。翌日になってようやく、昔、姉がピアノで嫌というほど練習していたラ・カンパネラのバイオリン版であることに気づく。  

 さらに、その少し先のページで、ロサンゼルスの高級住宅街ベルエアについて調べると、その西門がサンセット大通りとベラージオ・ロードの角にあることを知り、俄然、「ベラージオ」に興味がわく。そこで、本家本元と思われるイタリアのコモ湖畔にあるベラッジオまで探してしまう。こちらは、はるかに質素な町で、それでいて作り物にない味わいがありそうだ。そうそう、コモ湖と言えば、確かカサ・デル・ファッショ(ファシストの家)があるはずだが……。  

 こんな具合に、ただ「ベラージオ・カジノ」とそのまま訳していれば、だいぶ先まで進んだはずなのに、ついついあちこちへ思考が飛んでしまうので、また元の原稿に戻るまでにかなりの時間が経過してしまう。でも、こうした雑多な知識のたくわえが、雨をろ過しておいしい湧き水に変える山のような働きをするのだと思う。だから、時間がなくなって、それすらできなくなり、ひたすら翻訳マシンに徹しなければならないときは、本当に辛い。一年に一冊くらいのペースで食べていけたら、本当にいいのになあ、とつくづく思う。