2007年1月31日水曜日

バランス感覚

 中学の部活で腰を痛めて以来、私は座るときの姿勢には人一倍気を遣っている。バランスチェアを10年近く愛用しているし、水泳、散歩、ストレッチ等なんでも試している。それでも、締め切りが近づいて気持ちの余裕がなくなると、座りっぱなしの時間が長くなり、たちまち腰の調子が悪くなる。  

 そんな話を昨年、友人にしたら、バランスボールに座ってみたらどう?と勧められた。エクセサイズボールとかヨガボールとかいろいろな名称で呼ばれている、直径50~60センチくらいのビニールボールのことだ。最近、まわりでぎっくり腰になる人が続出したこともあって、数週間前ついにこのボールを購入してみた。  

 ボールをパソコン用の椅子代わりにすると、ゆらゆらしすぎて私には集中できないことが判明したが、別の使い道を発見した。両足を床につけずに、この上にできるかぎり長く座っていられるようにするのだ。それも、お湯が沸くのを待つあいだとか、メールの受信中とか、そんなちょっとした時間を見つけては、ボールの上に座る。あまり動かなければ5分くらいは乗っていられるし、前後左右に身体を動かしてもそれほど落ちなくなった。 バランスを保とうとすると、腰のあらゆる筋肉を使うので、なかなかいい運動になる。これはまさに一輪車の要領だ。あるいは、コブ斜面をウェーデルンで滑っている感覚と言ってもいい。スキーでは、腰の位置さえ安定していれば、多少のコブは足で吸収できる。モーグルの選手なら、大きく跳ねとばされてもうまく着地できるのはご存じだろう。  

 学生時代はスキーばかりやっていたけれども、実際にはそこから多くのことを学んだ。滑るとき一番よいのは、跳びあがって着地したときの自然体の姿勢だということ。斜度とスピードという2つの恐怖にとらわれているうちは、身体がすくんで何もできないこと。脚で無理に回すのではなく、自分の体重を利用すること。そして、何よりもバランス感覚と柔軟性。前過ぎず後ろ過ぎず、高過ぎず低過ぎず、しかも斜面の状況に合わせてつねに変化する微妙な腰の位置を習得するまでに、私は何年もかかった。  

 一輪車は、空中乗りができるまでに上達したが、一度ひどい尻餅をついて病院で恥をかいて以来、怖くて乗っていない。スキーも、ろくに滑らなくなって久しい。でも、バランスボール乗りなら、怪我の心配もあまりなく、ちょっとした時間に気軽にできる。しばらく練習したら、昔の感覚がかなり蘇ってきた。このままつづければ、いつかサーフィンができるようになるかもしれない! 何よりも、腰の調子がいいことがうれしい。たとえバランスチェアでも、同じ姿勢をつづけること自体、腰には負担だからだ。  

 バランス感覚は、腰痛に効くだけではない。人との関係でも、金銭面でも、健康面でも、政治でも、ファッションでも大切なものだ。自分の主張ばかり一方的に押しつけて、頑なな姿勢を貫けば、やはりどこかに無理がくる。人生は山あり谷ありで、ときには大きな波に流されてしまうこともある。そんなときは同じ姿勢で踏ん張るよりは、思い切って波と一緒に跳びはね、うまく着地するほうが懸命だ。出すぎたら引っ込める。引っ込みすぎたら出す。こうした柔軟な姿勢が、結局なにごとにおいても一番よい結果を生むのだと思う。学生時代、スキーばかりやっていたのは、ある意味で私なりに人生の哲学を学んでいたのである。

2007年1月3日水曜日

消えゆくもの

 年末年始は、例年どおり船橋の母のところへ行ってきた。私が生まれ育ったマンモス団地は、数年前から建て替え工事が始まっており、母が住む地区も今春には全住民が立ち退かなければならない。だから、今回は正月休みというよりは、荷物の片づけに行ったようなものだった。  

 総数4600戸あまりというこの団地は、かつては子供であふれていた。私が小学校に入学したころは、たしか1クラス50人ほどで12学級もあり、あまりの児童数に4年生の1年間は近所の公園に建てられたプレハブの分校に追い出されたほどだった。  

 高齢化、少子化の波はここにも押し寄せていたが、うちの娘が幼かったほんの十数年前まで、近所にはまだ子供がそれなりにいて、異年齢の子が一緒になってよく遊んでいた。未整理の写真を片づけていたら、花見や水遊び、夏祭り、お月見、鮭鍋、芝滑り、雪の日のかまくら作りに橇やスキーなど、近所の人たちと家族ぐるみで遊んだ日々が蘇ってきた。 そんな幼なじみも、建て替えが決まってからは一人去り、二人去りといなくなり、代わりに空き家の数がどんどん増えていった。現在、母校は全学年合わせて50人ほどしか生徒がいなくて、この3月で閉校になるそうだ。  

 片づけの合間に、ゴーストタウンとなった近所を歩いてみた。建物はまだ昔と同じように残っていても、人の住んでいない家は一目でそれとわかる。窓が真っ黒だったり、反対側の窓を通して空が透けて見えたりするからだ。なんだか瞳孔の開いた目を見てしまったような、不安な気分になる。もう何ヵ月かすれば、ここはすべて更地になり、次に訪れたときには、まるで見当もつかない場所に変わっているのだろう。しょせん、形あるものはすべて歳月とともにいずれなくなるのだから、あまり感傷的になっても仕方ないが、もう二度と見られなくなる光景を、娘の友人からお借りしているデジカメで撮ってきた。  

 大晦日は、今年も真夜中に30分ほど歩いて、光明寺というお寺まで除夜の鐘をつきにでかけた。例年、近くまで行くと鐘の音が聞えてくるのに、今年はなぜか聞えない。もう人手のかかる鐘つき行事はやめてしまったのかと心配になったが、着いてみると今年もちゃんと、地元の消防団や町内会の人たちが篝火を焚き甘酒を振る舞いながら、待っていてくれた。新年と同時に鳴りはじめた鐘の音を聞き、火の粉をあげる裸火を眺めつつ、今年もこうして新年を祝えることを、しみじみとありがたく思った。変わらずにあるものを当たり前と思わず、それがまだこうして存在してくれることを感謝しなければならない。  

 元旦は、行徳まで初日の出と初鳥見にでかけた。行徳駅に着いたころには、すでに空が白みはじめていたが、競歩の選手になれそうな勢いで海まで急いだ甲斐あってどうにか間に合い、対岸にビルが建ち並ぶあまりにも都会的な海で、波間に浮かぶスズガモやカンムリカイツブリを眺めながら初日の出を拝んだ。そのあとは、行徳鳥獣保護区で娘の鳥仲間と一緒に観察会に参加し、穏やかな元日の朝にのんびりとバードウォッチングを楽しんだ。これまた別の友人にお借りしたスコープを担いで、一端のバーダーになっている娘を見ながら、こうして一緒に過ごせる日も、もうあまりないだろうと思った。  

 みなさま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 十数年前はまだこんなだったが……