2009年8月31日月曜日

『九月姫とウグイス』

 ひょんなことから、子供のころ読んだ本を思いだすことがある。先日も、おぼろげな記憶をたどり、岩波の子どもの本シリーズをネットで捜していたら、懐かしい本が次々にでてきた。その一つが『九月姫とウグイス』。著者はなんと、サマセット・モームだった。いまでこそタイは私にとって身近な国になったが、25年前までタイについて私が知っていたことと言えば、このお伽噺だけだった。  

 シャムの王家に王女ばかりが次々に生まれた。子供の名前をシリーズにしないと気がすまない王様は最初、「夜」と「昼」と名づけたが、さらに増えたために四季に変え、曜日に変えとしたあげくに、12の月の名前をつけ始めたところ、九月姫でようやくおしまいになり、あとは王子ばかり10人生まれて、こちらはAからJまでで事足りた、という設定で話は始まる。王様は自分の誕生日に周囲の人びとに贈り物をするのが好きで、ある年、金色の籠に入った緑色のオウムを9人の王女たちにプレゼントした。ところが、九月姫のオウムは死んでしまい、嘆いているところに、一羽の鳴き鳥が迷い込んでくる。九月姫はその鳥と仲良くなるが、あるとき姉たちの甘言に釣られて籠に入れると、鳥はだんだん元気がなくなり、ついに籠の底に横たわってしまう。九月姫の涙で息を吹き返した鳥は、自分は自由でなければ死んでしまうのだと言う。それを聞いた九月姫は、鳥を空に放ってやる。のちに美しく成長した九月姫は、カンボジアの王様に嫁いでいく、というあらすじだ。  

 改めて読み返してみると、これはイギリス人のモームが創作したというより、何かの逸話をベースに書かれたように思える。この童話はもともと《ピアソンズ・マガジン》の1922年12月号に掲載されたようだが、モームはその年、ビルマのマンダレーからシャン州を馬で抜けて、チェンマイから鉄道でバンコクに向かい、翌年1月にオリエンタル・ホテルに投宿している。旅の途中でマラリアを患い、九死に一生を得たらしいので、そんな状況でいつこの童話を書いたのか、誰から聞いた話をもとにしたのか、興味は尽きない。  

 子沢山のタイの王様といえば、「王様と私」のモンクット王がすぐに頭に浮ぶが、現在のチャクリ王朝は代々、ラーマ1世、42人、二世、73人、三世、51人、四世、82人、五世、77人と、二十世紀初頭の王様まで、お伽噺どころではない子持ちだった。王族だけでも一大エスタブリッシュメントだ。なかには后妃や側室が150人以上もいた王様もいた。どうやって19人も子供を産めたのかと、という子供のころの謎は、これで解決する。  

 もう少し調べてみると、ラーマ1世の時代に、カンボジアのアン・エン王が一時期タイで囚われの身となり、ラーマ1世と養子縁組をして、のちにタイ人のロス妃を娶っていることがわかった。この二人のあいだの息子アン・ドゥオン王が、シアヌーク前国王の高祖父に当たるというから、シアヌーク前国王が九月姫の子孫……という可能性もまったくなくはない。もちろん、チャクリ王朝以前の王様がモデルということも、充分にありうる。  

 肝心のウグイスのほうはどうだろう? 原文ではナイチンゲールだが、サヨナキドリはヨーロッパ、アフリカ、西アジアにしか分布しない。日本のウグイスも、タイにはいない。タイの鳥仲間に聞いてみると、市街地によくいて、よく通る澄んだ声で、さまざまな鳥の鳴きまねもするシキチョウではないか、とのことだった。  

 タイには誕生日に当人がパーティを開くという習慣もあるようだし、籠にすし詰めにされたシマキンパラを放鳥する摩訶不思議な商売もあるので、このお伽噺のなかにはそうしたタイならではの風習がどことなく感じられる。シュリーマンのトロイではないけれども、子供のころに読んで不思議に思っていたことが、のちにわかってくるのは楽しい。

 3月にバンコク市内で見かけた シキチョウ