2004年7月30日金曜日

猛暑

 暑い日がつづく。夜中に暑さで目が覚めるなんて、まるでバンコクにいたときのようだ。こうも暑いと、昼夜、冷房をつけっぱなしという人も大勢いるだろう。その点、わが家は、コンピューターのファンが唸るほど暑くならないかぎり、めったに冷房はつけない。午前中は東側の窓のカーテンを開けずに日射をさえぎり、すべての窓を開け、玄関のドアも半開きにして、扇風機をまわしてひたすら耐えている。  

 電気代を気にせずに暮らせるようになれば、私も一日中、エアコンに頼るようになるだろうか? そうなってみないとわからないが、ケチケチ生活をしていると、それなりに得るものがある。ただ暑い暑いと言っていると不快さが増すので、私は100円均一で買った温度計を目の前の壁にかけて、しょっちゅう気温をチェックしている。たとえば、いまは29度だ。なんだか暑くて仕事に集中できないと思うと、たいてい30度を超えている。これ以上は耐え難いと感じるのは35度以上。こう客観的にわかれば、それに応じて首を濡れタオルで冷やすとか、庭に水を撒いてみるとか、アイスクリームを食べるとか、ささやかながら対策がとれる。 

 先日、散歩にでかけたとき、ふと思い立ってこの温度計をもっていった。日傘を買ったものの、真夏の昼間の散歩は快適とは言いがたい。自然と木陰のある場所に足が向く。そんななかで、ひときわ涼しく感じる場所がある。尾根道の両側にちょっとした木立ちが残っている場所だ。崖の下は環状2号線が走っているのに、その一画だけはいつ行ってもひんやりとしている。それで実際、どのくらい涼しいのか、計ってみようと思ったわけだ。  

 日向の道路に温度計をだすと、目盛りは37度まで上がる。日傘の下では少し下がって35度くらいだ。日傘は紫外線を防ぐだけでなく、涼しいこともわかった。ちょっとした日陰に入ると目盛りはさらに下がって34度になり、前述の場所まで行くと、32度になった。ほんの数メートル手前の日向が37度なのに、この木陰は5度も気温が低いのだ。涼しいだけでなく、空気が澄んでいるような気もする。  

 木があるだけで、なぜこうも涼しいのだろう? 葉で日射がさえぎられることがまず大きい。それに木が生えている場所は地面の水分も多い。フィトンチッドのおかげで、さわやかな気分になるのかもしれない。わずかこれだけの木立ちが、なんの電力も使わずに5度も気温を下げられるとは、まったく驚きだ。  

 歩道でも、街路樹がある場所はいくらか涼しい。煉瓦で舗装されているところは、アスファルトよりも照り返しが少ない。定期的に水を撒ければさらにいい。日本は幸い、水が豊富な国だ。雨がもっと浸透するような舗装に変え、貯めた雨水を散水に使えるようにすれば、いくらか気温も下がるだろう。砂漠化すれば気温は一気に上がる。イラクは50度を超える暑さになるという。いったいどうやって人は暮らしているのだろう。 

 冷房の効いた部屋に閉じこもれば、電気を大量に消費するうえに廃熱で気温をさらに上昇させることになる。もう少し自然の力や人間の適応能力を知り、暑い夏を賢く乗り切れるようにならないだろうか。ケチケチ生活は、財布だけでなく環境にも優しいのである。