2000年8月29日火曜日

旧東海道めぐり

 春以来、仕事にかまけてしばらく中断していた旧東海道めぐりを、夏休みに入ってから再開した。娘がそれを夏休みの自由研究にすると言いだしたからだ。下調べはすべて娘がやり、地図を見るのも娘で、私はただついていくだけ、という条件で協力することにしたが、炎天下の探索はなんともくたびれた。ああ、なんで私が夏休みの宿題をやらなければならないんだ、とぶつくさ言いながら、ひたすら自転車をこぎ、歩いた。  

 旧東海道がそのまま国道1号線になっているところでは、排気ガスを嫌というほど浴びながら進むしかない。しかも、途中いくつも心臓発作を起こしそうな長い坂がある。行く先々で地図に記された一里塚跡や、本陣跡を捜してまわるのだが、たいていは味気ない一枚の案内板に変わってしまっているから、よほどきょろきょろしないと見つからない。  

 それでも、昔の面影をとどめている古い民家や松並木に出会うと、不思議な気分になる。江戸幕府が東海道を整備するに当たって街道沿いに並木を植え、それが夏には木陰をつくり、冬には風除けになったというのだから、すばらしい。箱根では、あの時代にどうやって運んだのか、山のなかを石畳の道がつづく。まあ、参勤交代を強いたのが自分たちなのだから、旅人のために多少の便宜をはかって当然か。  

 資料を調べたり、現地で碑を読みながら、娘はいろいろと質問してくる。お軽勘平ってなあに? 曽我兄弟ってだあれ? うーん、聞いたことはあるけど……。辞書で調べなさいよ、それが勉強なんだから、とごまかして、私はあとから娘に教わる。  

 夏休みも残りわずかとなった今日は、川崎の六郷の渡し跡を見てから、生麦事件碑まで行き(もちろん、京急で移動)、そばにある私設の参考館にも立ち寄った。生麦事件という名称だけはテスト勉強で覚えたけれど、それがどんな事件だったかはよく知らなかったので、館長自ら出演のビデオによる説明を30分間、拝聴。すると、生麦事件の犠牲者は本覚寺のアメリカ領事館に運ばれ(あっ、このあいだ行ったお寺だわ!)、ヘボンが手当をした(えっ、明治学院に銅像がある、あのヘボン式ローマ字の人?)という具合に、次々にいろいろなことがわかり、とても利口になった気がした。やっぱり、歴史はこういうふうに、実際に現場に赴いて学ばなければだめだわ、といままでの積め込み式教育を批判しながら帰路に着いた。  

 それにしても、今日も暑かった。あんまりくたびれたので、このコウモリ通信の原稿を書きながら、つい昼寝をしてしまったので、またまた締め切りぎりぎりになってしまいました!