子供のころ、「~しなさい」と言われると、途端にやる気が失せた。幸い、勉強しなさい、と言われた記憶はほとんどないので、もっぱらピアノのお稽古をしなさい、と毎朝夕、言われつづけたのだが。勉強にしろ、ピアノにしろ、自分から進んでやろうと思った日は、気持ちよくできたし、大いにはかどったのに、怒られて渋々と腰を上げた日は、少しも集中できなかった。だから、私の子供には、うるさく言わずに、なんでも自分でやる習慣を身につけさせてきたつもりだ。
でも、こうしたダイエット本によれば、自分のなかにいるもう1人の自分が命令を下し、欲望を押さえつけるのも、同じように効果があがらないらしい。自分に厳しい人間、自分を律することのできる人間が、かならずしもよい結果をだせるわけではないのだ。
それなら、自分を甘やかしていいのか、ということではもちろんない。要は、自分を強制するのではなく、やる気を引きだすことなのだ。ダイエットにしろ、勉強にしろ、仕事にしろ、自分がそれを楽しんでできるように、一種の自己暗示をかけるのだ。やらなければならないことと、やりたいことが同じ方向であれば、自分のなかの矛盾がなくなるので、ストレスを感じることもない。
問題は、どうすればやる気を引きだせるのかだ。まずは興味をもてるようにすることだろう。ダイエットなら、徹底的に食品の研究をして、カロリー計算ばかりでなく、それぞれの食品のもつ効果や先人の知恵を学び、実際に自分の身体で実験して、画期的な方法を開発するつもりにでもなれば、おもしろいにちがいない。勉強なら、与えられた課題をひたすらこなすのではなく、自分なりの勉強方法を見つけ、興味深いものがあれば、時間の許すかぎり脱線してとことん調べ、考えてみることだろう。仕事の場合は、なおさら苦痛なものが多いから、たいていの人は労働の対価を得ることに唯一の慰めを見出しているけれども、ストレスを減らすにはやはり仕事の過程を楽しむ努力も必要だ。受身の姿勢でノルマをこなすのではなく、効率を上げる、新しい需要を掘り起こすなどの工夫をすれば、どんな単純労働でも、いくらかは楽しくなるはずだ。
始める前や、集中できないときのために、気分転換の儀式のようなものも必要かもしれない。シャワーを浴びるとか、体操する、コーヒーを飲む、瞑想するなど、頭のなかをいったん空にできるものがいいような気がするが、まだこれといって自分にぴったりするものは見つからない。
ダイエットの本を読んで、思わぬ発見ができたような気がする。これで昔のスカートも履けるようになり、仕事も順調に進むようになれば、万々歳だ。