2000年7月30日日曜日

富士登山2000年

 昨年に引きつづき、また富士山に登ってきた。砂利だらけの急坂をひたすら登るだけの山だけど、頂上に着いたときの達成感はやはり格別だ。昨年は、九合目あたりから大嵐になり、お鉢巡りができなかったが、今年は富士山測候所跡のある最高峰、剣ケ峰にも登り、火口をぐるりと一周してきた。これで、どこから富士山を見ても、私はあの頂上に立ったと自慢できるようになった!  

 今年の登山でつくづく感じたのは、何よりもまず天気予報のありがたさだ。出発前日の夕方にふと思い出して、甲府気象台に電話をかけてみた。東京の予報が晴れでも、富士山がそうとは限らない。案の定、土曜日は晴れるけれど、日曜日は台風の影響で荒れるとのこと。そこで急きょ予定を変更して、土曜の朝一番の新幹線で新富士に向かい、その日のうちに登ることにした。頂上に着いたのは4時近くだった。急ぎ足でお鉢巡りをしたあと、富士山の影が地上に映る影富士を堪能しながらの下山となった。宿を新七合目にとってあったので、最後は暗闇のなかを懐中電灯をたよりに歩くはめになったが、頭上は満天の星空だった。  

 ところが、夜半過ぎから風が強くなり、やがて大嵐になった。それでも、夜間に山頂をめざす登山者があとからあとから来る。みんな下着までぐっしょり濡れて、寒さに震えている。自分や同行の子供たちが雨風の防げるところにいることが、これほどありがたく感じられたことはなかった。山小屋のきたない布団だって、なんのその。一晩降りつづいた雨は、翌朝にはほとんど上がり、私たち一行はまったく濡れずに五合目まで無事下山した。  

 もう一つ感じたのは、富士山の登山者に無防備な人が多すぎるということだ。夜中に山小屋にレインコートや懐中電灯を買いにくる人が跡を絶たないのだ。3歳くらいの子供を連れてきて、夜遅くその子を負ぶって帰るはめになった親子連れもいた。たしかに富士山にはいわゆる鎖場がないから、辛抱強く登れば誰でも登頂できる。でも、富士山はディズニーランドではない。気象条件の厳しさと、斜度のきつさと、高度は、日本の他の山とはくらべものにならない。みんなもっと充分な下調べをして、覚悟のうえで登るべきだ。  

 それにしても、どうしてこれだけ多くの人が、普段の快適な生活を抜け出して、わざわざ苦しい思いをしに来るのだろうか。ヒマラヤの山岳民族からすれば、ひどく滑稽に見えるかもしれない。おそらく、人間が自分も自然界の一員であることを思い出すためなのだろう。自然の厳しさと人間の非力さを学ぶことで、本能を呼び覚ましているのかもしれない。