2008年3月31日月曜日

タイ旅行2008年

 恒例になった年に一度のタイ旅行に、今年もでかけてきた。どこか田舎へ行って船でも漕いでのんびりしたい、という私の希望を聞いて、今回、鳥仲間の友人が連れて行ってくれたのは、バンコクの南西にあるアンパワー郡だった。 最初に訪れたのは、タラード・ロムフップという線路の両脇すれすれに店が並ぶ市場。一日に8回、列車が通る時間だけはロム(傘)をたたんで(フップ)店を片づけ、列車が通過すると何事もなかったようにまた店を広げる、日本人なら目をむきそうな市場だ。  

 その夜は水上マーケットの近くにある、川沿いの家を改装した宿に泊まった。「ここへ来たからには、コークラチョウとパートゥンを着なくてはね」と、友人がにやにやしながらプレゼントしてくれたのは、筒状の巻きスカートとノースリーブのトップだった。当の友人は、「セクシーセクシーすぎるから」と言って自分は着ない。せっかくだからと思って着てみると、涼しくて快適だった。ふと前の家を見ると、パートゥンを胸までたくしあげたおばあちゃんが、ザンブと川に浸かって水浴びをしている。なかなか便利な服らしい。 翌朝は托鉢の僧侶に差しあげる食べ物を注文しておいた、と言うので、薄暗いうちから起きて緊張して待った。お坊さんはどこからくるのかと思ったら、川から小船を漕いで現われた。差しだされた銀の器に食べ物と花を入れると、何やらお経を唱えてくれる。  

 次の日は、友人の友人の友人の家に泊まりに行った。塀も柵もない木立のなかにタイ中部の伝統的な高床式の母屋があり、ほかにもいくつかの小屋が建っていて、目の前には川、横には運河が流れている。チーク材でできた母屋の下は、増水時以外は食事や談話のできる快適なピロティになっている。ピロティはル・コルビュジエが提唱したと言われるが、東南アジアには何百年も前から存在していたに違いない。  

 昼食後、私と娘はさっそく平船を借りて運河へ漕ぎだした。お坊さんや物売りのおばあちゃんたちは易々と漕いでいたはずなのに、竜骨のない船は漕げば漕ぐほどくるくる回ってしまう。何度も泥や茂みに乗り上げているうちに、この家の大型犬トムが興奮して運河に飛び込み、船に乗ってきた。びしょ濡れのトムを乗客に、よろよろと船を漕ぐ私たちを見かねて、この家のご主人が漕ぐ秘訣を伝授してくれた。船尾で櫂をしばらく止めて進路を調節するのだ。手にマメをつくりながら練習した甲斐あって、川にも漕ぎだせるようになり、潮の満ち干の影響で流れる方向が変わる河口域を体感することができた。  

 夜になると蛍が木を飾り、空には満天の星が見える。母屋は階段を上ってすぐのところに屋根のない居間がある。そこに寝てみたいと無理を言ったら、布団を敷いて蚊帳まで吊ってくれた。いざ寝る段になって、蚊帳の上に描かれたピンクのバラの絵が邪魔になって星が見えないことに気づいたが、笑い転げているうちに眠ってしまった。  

 翌日も川に張りだしたサーラー(東屋)で鳥を見たり絵を描いたりして過ごし、ニッパヤシの実を割ってもらってシロップをかけて食べ、誰がいちばん殻を遠くまで投げられるか競争して遊んだ。川で泳ぎ、川で洗い物をし、川に生ごみを捨てる。ちょっと抵抗はあったけれど、川はすべてを洗い流してくれるのだと思うことにした。日がな一日、サーラーで過ごしているタイ人を見て、退屈しないのだろうかとかねてから疑問に思っていたが、実際にやってみたら悪くない。いつの間にか、すっかりくつろいでいる自分に気づいた。緑のなかの屋外キッチンで、ムナオビオウギビタキを見ながら、油が飛ぶことなど気にもせずに野菜炒めをつくっているうちに、それまで着込んでいた鎧が消えて、背中が軽くなったような気がした。ここでは、時間が確かにゆっくり流れていた。

 ロムフップ市場

 水上市場

 泊めていただいた家

 にわか地元民の格好で料理に挑戦する
サーラーからニッパヤシの殻投げ 











この場をお借りしてちょっと宣伝を。 5月に姉がまたピアノリサイタルを開きます。前半はスクリャービン、バルトーク、プーランク、ドビュッシーなど20世紀前半の名曲を、後半はベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番を、5人の弦楽器奏者と共演するピアノ六重奏です。お時間がありましたら、どうぞおでかけください。 
日時:2008年5月2日(金)7:00pm 場所:横浜みなとみらいホール(小) 
全席自由 ¥3,000 (チケットはCNプレイガイド 0570-08-9990)

コウモリ通信その100

 鳥と動物のあいだで大紛争が起こりそうになった。両軍が集結すると、コウモリはどちらに加わるべきか迷った。コウモリがぶらさがっているそばを飛んでいく鳥たちが言った。「一緒においで」。でも、コウモリは答えた。「ぼくは動物なんだ」。しばらくのち、下を通りかかった動物たちが見あげて言った。「一緒にこいよ」。でも、コウモリは答えた。「ぼくは鳥なんだ」。幸い、土壇場になって和平が結ばれたので、戦いにはならなかった。そこで、コウモリは鳥のところへ祝宴に加わらせてほしいと頼みに行った。ところが、鳥はみなそっぽを向いたため、コウモリはすごすごと引き返した。今度は動物のところへ行ってみたが、八つ裂きにされかねず、逃げ帰るはめになった。「ああ、ようやくわかったよ」コウモリは言った。 「どっちつかずの者に、友達はいないんだ」――イソップ寓話  

 コウモリ通信と名づけたエッセイを一月に一度、牧人舎のホームページに寄稿させていただくようになってから8年の歳月がたち、今回で「その100」を迎える。翻訳の仕事は英語が得意な人よりも、日本語がうまい人のほうが向いているそうだが、私の場合は、残念ながら国語は大の苦手科目だった。だからこそ、毎月のこのエッセイは作文の練習だと思ってつづけてきた。途中、3度の引越しを重ね、人には言えない悩みで頭がいっぱいで、当り障りのないことしか書けない辛い時期もたびたびあった。それでも書きつづけてきた甲斐あって、最近は文章を書くことがあまり億劫でなくなってきた。   

 エッセイを書きだしたころは、翻訳業に足を踏み入れてまだ数年目だった。すでに平日の昼間に外を歩いても違和感がない程度には自由業の生活に順応していたが、PTAの集まりにでると、時間がたっぷりある周囲のお母さんとのあいだで浮いていた。旅行会社にいたころは、残業、出張、添乗が日常的な職場で、ずいぶん肩身の狭い思いをした。かといって翻訳の世界も、本来は運動したり工作したり、旅にでたりするのが好きな私には息の詰まることが多い。自分にぴったりの環境を探し求めながら、どこにも身の置き場がなかった私は、いつしか自分をコウモリと重ねていた。 

 100回目のエッセイを書くに当たって、イソップの寓話をネットで検索したら、「卑怯なコウモリ」という題名だった。卑怯……そうなのかなあ。もう少し、検索したら、The Bat, the Birds, and the Beastsと題された英語版が見つかった。それを訳したのが冒頭の話だが、少しニュアンスは異なる。コウモリは鳥でないのに、鳥のふりをすることはできず、動物でないのに、動物のふりができなかっただけなのだ。私にもコウモリどころか、カメレオンほどいろいろな「顔」がある。そのどれもが私なのに、どれか一つだけを仮面のようにかぶり、それ以外のアイデンティティを押し殺すことはできない。  

 ハンギング・プランツ、根無し草のコスモポリタン、そう言われても仕方ないかもしれない。でも、エッセイを書きながら、音信の途絶えてしまった昔の友達が、いつかネット上で私を見つけてメッセージを受け取ってくれたらとも願っている。コウモリだって友達がいないと寂しい。だから、懐かしい人から、「読んだよ」と言われるのが何よりもうれしい。バックナンバーまでさかのぼって読んでくれた旧友もいるし、このエッセイのおかげで何十年ぶりかの再会をはたすこともできた。毎月、拙文を欠かさず読んでくださっているみなさまには、本当に感謝している。いまやコウモリ通信は私の大切な宝だ。 

 8年間、多忙ななか毎月かならずこのホームページを更新し、私のエッセイにひょうきんなコウモリの挿絵を描き、いつもフォローしてくださった野中先生に、この場を借りてお礼を申しあげたい。それから、「別にいいんだ、私は私。どうせ変人だから」と言って、私の悩みも笑い飛ばすうちの子コウモリにも、たびたびイラストを描いてくれ、話のネタになってくれたことを感謝せねば。最近、娘は絵のブログ http://pub.ne.jp/KuinaSoi17/や、その他の活動に忙しくてあまり協力してくれないが、今回は100回目だからと、マレーシア旅行に飛びだしていく前日に、親子コウモリの絵を描いてくれた。テレマカシー。

 イラスト:東郷なりさ

 イラスト:野中邦子