2004年12月31日金曜日

タイ旅行2004年

 年末にやむをえない事情があって、急遽タイへ行ってきた。折しも、インド洋大津波が発生した時期と重なった。私はそのころバンコクでの用事をすませ、タイ北部で鳥見ツアーに参加していたので、まわりにいたごく敏感な人たちが地震の揺れをわずかに感じた程度だった。新聞の一面に「チュナーミー」の大見出しがでて、あちこちで津波という言葉が飛び交うようになって、ようやく被害の大きさに気づいた。ちょうど、プーケットでカヤックに乗るといい、という話を聞いた矢先だったので、一歩間違えば、私も津波にのまれていたかもしれないと恐ろしくなった。被害に遭った地域の多くが、貧困や政情不安に悩まされていたところだけに、この津波による被害が最終的にどれだけのものになるか、まったく想像がつかない。  

 幸い、タイ旅行そのものは、大きなトラブルもなく、予想していた以上に楽しい一週間となった。何よりもうれしかったのは、この旅行を通じて、娘の成長ぶりを実感できたことだ。プラトゥーナームの衣料市場を歩きまわり、お小遣いで学校の制服用のブラウスを一枚75バーツ(200円くらい)で買い、気に入った服を見つけては、片言のタイ語で値切り交渉をして買っている姿は、なかなかたのもしかった。  

 鳥見ツアーでは、以前からの知り合いだけでなく、新たなメンバーともすぐに打ち解けて、タイ語と英語のチャンポンで奇妙な会話を交わしていた。普段からあちこちに出かけては、鳥や植物を通じて、見知らぬ人と平気で会話を交わす娘だが、相手が外国人でも臆することなく話していたので、次に参加するときは、もう親が同伴する必要はないかもしれない。 

 私自身も、インターネットでタイ語のニュースを聞きつづけ、タイのポップスをたくさん聞いたおかげで、リスニング能力が向上したらしい。鳥を最初に見つけた人が、その位置を教えるときに、わざわざ英語で言ってもらわなくても、タイ語の会話からおよその位置がわかるようになった。それに、こんなことを書くと娘に笑われそうだが、いつのまにか双眼鏡がうまく使えるようになっていたのもうれしかった。一緒に参加していたアメリカ人の奥さんは、スワロフスキーの双眼鏡をもっていながら、ほとんど使えず、始終あきらめムードだった。もちろん、あまりにも種類が多く、どれも似ているムシクイ類は、動きも速いし、のぞいてみる気にもなれなかったが。タイ人の常連ですら、「ウォーブラー・マイ・ドゥ」(ムシクイは見ない)と言い切っていたから、やっぱりね、と笑ってしまった。  

 タイもいまは乾季なので暑くなく、山の上はかなり寒かったが、日本に帰ってきて雪まで降っているのには驚いた。今年は暖冬だったはずなのに、随分まあ急変するものだ。自然災害がつづいた2004年も今日でおしまいだ。新年はよい年になることを心から祈っている。みなさま、いろいろお世話になりました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 追伸:先日、「わたしの自然観察路コンクール」で、娘が最優秀賞をもらいました。興味のある方はお暇なときにのぞいてみてください。 

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