シャムの王家に王女ばかりが次々に生まれた。子供の名前をシリーズにしないと気がすまない王様は最初、「夜」と「昼」と名づけたが、さらに増えたために四季に変え、曜日に変えとしたあげくに、12の月の名前をつけ始めたところ、九月姫でようやくおしまいになり、あとは王子ばかり10人生まれて、こちらはAからJまでで事足りた、という設定で話は始まる。王様は自分の誕生日に周囲の人びとに贈り物をするのが好きで、ある年、金色の籠に入った緑色のオウムを9人の王女たちにプレゼントした。ところが、九月姫のオウムは死んでしまい、嘆いているところに、一羽の鳴き鳥が迷い込んでくる。九月姫はその鳥と仲良くなるが、あるとき姉たちの甘言に釣られて籠に入れると、鳥はだんだん元気がなくなり、ついに籠の底に横たわってしまう。九月姫の涙で息を吹き返した鳥は、自分は自由でなければ死んでしまうのだと言う。それを聞いた九月姫は、鳥を空に放ってやる。のちに美しく成長した九月姫は、カンボジアの王様に嫁いでいく、というあらすじだ。
改めて読み返してみると、これはイギリス人のモームが創作したというより、何かの逸話をベースに書かれたように思える。この童話はもともと《ピアソンズ・マガジン》の1922年12月号に掲載されたようだが、モームはその年、ビルマのマンダレーからシャン州を馬で抜けて、チェンマイから鉄道でバンコクに向かい、翌年1月にオリエンタル・ホテルに投宿している。旅の途中でマラリアを患い、九死に一生を得たらしいので、そんな状況でいつこの童話を書いたのか、誰から聞いた話をもとにしたのか、興味は尽きない。
子沢山のタイの王様といえば、「王様と私」のモンクット王がすぐに頭に浮ぶが、現在のチャクリ王朝は代々、ラーマ1世、42人、二世、73人、三世、51人、四世、82人、五世、77人と、二十世紀初頭の王様まで、お伽噺どころではない子持ちだった。王族だけでも一大エスタブリッシュメントだ。なかには后妃や側室が150人以上もいた王様もいた。どうやって19人も子供を産めたのかと、という子供のころの謎は、これで解決する。
もう少し調べてみると、ラーマ1世の時代に、カンボジアのアン・エン王が一時期タイで囚われの身となり、ラーマ1世と養子縁組をして、のちにタイ人のロス妃を娶っていることがわかった。この二人のあいだの息子アン・ドゥオン王が、シアヌーク前国王の高祖父に当たるというから、シアヌーク前国王が九月姫の子孫……という可能性もまったくなくはない。もちろん、チャクリ王朝以前の王様がモデルということも、充分にありうる。
肝心のウグイスのほうはどうだろう? 原文ではナイチンゲールだが、サヨナキドリはヨーロッパ、アフリカ、西アジアにしか分布しない。日本のウグイスも、タイにはいない。タイの鳥仲間に聞いてみると、市街地によくいて、よく通る澄んだ声で、さまざまな鳥の鳴きまねもするシキチョウではないか、とのことだった。
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